第62回フリーワンライ「命の宝石」

第62回フリーワンライ


お題:こうかい→航海、航海、降灰
貴方のそんな声は知らない
御城
ブルームーン
切り傷


ジャンル:オリジナル ファンタジー 双子 人魚


1834字








――ねえ、聞いてくれるかしら。
陸の王子様に恋をしてしまったの。
お父様やみんなには内緒なのだけれどね。
魚一人通らない御城の裏側、夢見るまなざしでつぶやく妹に、背筋の凍る思いがした。
人魚が陸の人間に恋をしてはいけない。あの悲しく残酷な伝説は、小さなころからきつくきつく、言い含められていたのに。
共に歳を重ねてきた双子の妹。誕生日を迎え、海の上に顔を出したのも同時だった。そして航海に赴く船と、甲板に立つ男性を目にしたのも同時。
――私も。
とは、言えなかった。常識やら言い伝えやら親の思いやら、その他多くのモノががんじがらめにしてくる。
私は大人の言いつけを守る良い子。妹は自由気ままで手のかかる子。そう評されながら、可愛がられるのはいつも妹。
言葉をすべて飲みこみ、小さく頷く。
妹はその日から、毎日のように海上へと赴くようになった。

――ねえ、あの人の船が帰ってきたの。
――どうしよう、またどこかへ行ってしまうみたい。
――彼ね、どうやら、この近くの陸の国と、遠くの陸の国を、行き来しているみたいなの。今度、太陽が何回昇ったら帰ってくるか、数えてみるわ。
――あたしね、この間、思い切って手を振ってみたの。彼はすっごく驚いていたわ。けれど、笑顔で手を振り返してくれたのよ。

日に日に美しくなる妹を見るのは、嬉しくて、寂しくて、胸の奥がぎゅうぎゅうと締め付けられる。
心配する父上には、陸に咲く花に心を奪われているのだと弁明しておいた。同時に父上や家臣の目を引き付けようと、勉学に励み、社交界へ顔を出し、歌の練習をする。

――ねえ、聞いて。この間、彼がとうとう、声をかけてくれたのよ。
――今日はね、彼のお仕事と、彼の乗る船の話を聞いたの。彼ね、自分の船を今度買うんですって。
――ああ、どうしましょう。今度の満月の夜、二人だけで、浜辺で、会いましょうって。

密会の話を聞いた翌日、私は久方ぶりに、海の上へと向かった。珊瑚や真珠で身を飾り、うきうきと泳ぐ妹の背を追って。
彼はあの日見たような、大きな船には乗っていなかった。小さな木舟がゆうらりと、穏やかな波に揺れる。
妹は身に着けていた宝石を外すと、次々に男へと手渡し始めた。笑顔を浮かべ、口をぱくぱくと動かし、全身で気持ちを伝えながら。
彼女の声と言葉は、私にしか聞こえない。それは生まれながらに、彼女が背負った運命。
声を持たない彼女が、かの伝承の人魚と同じように、陸の者に恋をしたのもまた、運命?
必死に言葉を伝えようとする妹に、男性が身をかがめて、優しく甘い声をかける。肩にかかる妹の髪を指で漉き、そのまま頭の後ろへ手を回し、顔を近づけ。
最後まで見守ることはできなかった。光あふれる海上へ背を向け、暗く重い後悔と共に、水底へと沈んでいく。長い髪を振り乱しながら、深く、深く、マリンスノーが降る深海まで。
真っ白な降灰の中、石に腰を下ろし、ただただ静かに考える。
最後に見た妹と彼の表情は、瞼に焼き付いてしまっていた。


満月の夜が来た。海月のように青ざめた月は、水面の下からも不気味に妖艶に輝いて見えた。
妹が楽しげな、けれどほんの少し緊張した面持ちで、手を振ってくる。いつものように手を振って、送り出す。いつものように身を飾り立てて、妹が泳ぎ去る。
いつも通りのことだ、と自分に言い聞かせる。胸の奥で燻る不安には蓋をしながら。


妹はその晩、帰ってこなかった。
月が細い船のようになった頃、捜索隊が結成され、海の隅々まで調べるよう通達が出された。歌でコミュニケーションをとりながら泳ぎ回る人魚たちに加わるふりをして、そっと海上へ顔を出す。
妹の姿は見当たらなかった。自慢していた髪の一筋、うろこ一枚見つからない。
そのまま陸へと目を凝らすと、遠く浜辺に小さな舟が見えた。
真夜中に漕ぎだす木の舟を、水面すれすれに沈みながら、じっと待つ。
進路をふさぐように顔を出すと、大海に男の叫び声が響き渡った。わめきたて、口汚く罵る彼へは視線を向けず、舟に横たえられた妹を救い出す。ああ、貴方のそんな声は知らない。知りたくもない。
勢いをつけた鰭で船の底を叩き、歌で他の人魚たちへ危機を告げる。すぐに集まってきた人魚たちに、彼が水底へと引きずり込まれる。ともに沈んでいく金貨や陸の宝石たちは、きっと妹の命と引き換えられたもの。
抱きかかえた妹の胸には大きな切り傷。頬をたたいても、声をかけても、もう目を開けない。
瞳から零れる涙はとどまることを知らず、小さな粒となって海底へと沈んでいった。


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