第59回フリーワンライ「水面に映るは」 お題: 水たまりだけが知ってる この日だけは 抜き身 離さないと誓ったのに 瞳から大粒の雨 ジャンル:オリジナル 和風 注意書き: 時間超過。 アスタリスク(***)より前がフリーワンライ時間内に書き上げた部分です。 私の長期予報はたいてい外れる。けれど明日の予報だけは、100%当たり。 村人は皆、私の「予報ごっこ」に付き合ってくれる。今年の冬は雪が多くなる……かもね。来週、1回くらいは雨が降るかも。明日?晴れ、風強し。 池や川、時には水たまりを覗き込みながら、むにゃむにゃと自作の呪文を唱えて「明日」を伝えれば、様々な反応を見せながらも一応、感謝の声をかけてくれる。時には藁で作ったおもちゃのおさがりを貰ったり、野菜を分けてもらったり、一晩軒下に寝かせてくれたり。 みなしごの私は、そうやって村の中で生き抜いてきた。 父と母を奪った流行り病で、私も生死をさまよった。二晩高熱にうなされた後、何とか回復したら、不思議な力が身についていた。 流行り病が完治するまで隔離されていた、村の神社。水が飲みたくて、這いだした。そこにある澄んだ泉を覗いて、様子を見に来てくれた刀自に「明日」を教えたのが始まり。 おばあ、たいへんだ。明日、すごい雨。 あの日から私は、“予知をする娘”となった。父母を喪った幼子へ、八百万の神からの加護だろうと。もっとも、明日より後が全くの誤報だと知られてからは、保護も薄くなったけれど。そして神社はそのまま、私の「家」になった。 “澄んだ水を覗き込むと、明日が見える。“ だが、使い勝手はすこぶる悪い。澄んだ水がないと予知はできない上に、明日しか見えない。この日だけは、と願っても、明日より後の未来に思いを巡らせた途端、はっきりと映っていた「未来」がすぐにさざ波立って消えてしまう。折角ならば、少し先まで見通せればよかったというのに。 ぶつくさ文句を言っても神社に毎晩拝んでも、力がそれ以上にもそれ以下になることもなく。 私は少し変わった力を持つ娘として、10数年を生きてきた。 時には両親を想って涙した。瞳から大粒の雨が零れると、板張りの床や地面に水たまりができた。ようやく涙が収まると、そこには「明日」が見えた。 だからその出会いも、前の日には見えていた。娘の赤くなった頬は、水たまりだけが知っている。 山の奥深くまで分け入り、娘は一心不乱に人影を探す。草で手足を切ろうが、沼に足を取られようが、構わず先へ。 「……いた」 茂みを掻き分けた先にいたのは、大樹の下であぐらをかく、一人の男。 浅黒い肌に、背の半ばまで伸びた黒いざんばら髪。ゆるりと上げた顔には、紅の瞳が輝く。 「待ちくたびれたぞ、娘」 深山に凛と響く深い声。水を通してではなく、相対して聞いた声は、耳からするりと入り込み、心を絡め取る。 娘は身動きもできず、ただそこに立っていた。 「わしの番となれ」 形の良い唇が、そう言葉を紡ぐこともわかっていた。だからこそ娘はここへ来た。 尋ねたかった事柄も、恐怖も不安も、全てが溶けて消えていく。 娘にできることは、唇を固く結び、小さく頷くことだけだった。 そのまま夜を共にした。 山の奥深くにもかかわらず、苫屋は居心地が良かった。家の裏手には、澄んだ湧水がこんこんとわき出している。耳に届くのは、ただその水音だけだった。家の周りで動物たちの鳴き声が聞こえないことは、次第に気にならなくなった。 紅の瞳の男は、山のようなつづらを用意していた。急かされ開けてみると、街でも手に入りそうにない嫁入り道具の数々。 「婚礼は明後日だ」 「明後日……」 日が良いのかわからない。何日ここにいるのか、それすらもつかめなくなってきている。 「名主様と、おばあに、伺いを立てないと」 ふらり、と立ち上がる。夢見心地のようで、足元がおぼつかない。 細い腕を、男が掴んだ。 「村には戻さない。お前はここで暮らすのだ。わしとお前は家族になる。この手は、絶対に離さぬ」 ぐいと引き寄せられ、男の腕の中に納まる。仄かに薫る香に、再び意識がかき乱された。 * * * 目覚めると、庭からは土の香りがした。しとしととあばら家の屋根を叩く水の音。 雨は嫌いだ。水がかき回されて、「明日」が覗けなくなる。 その日は一日、男の腕にかき抱かれて過ごした。部屋の隅に置かれた白の打掛をぼんやりと眺め、耳で雨音を拾いながら、心ははるか遠くへ。 一刻、一刻と、時の流れに乗ったまま、足がこの地上から離れていくようだ。 けれどそれでも構わない。あの村で身寄りもなく、将来の展望もなく、ただ日々を送るだけよりも、きっと、きっと…… 明日は晴れるだろうか?明日は、どんな日になるのだろうか? 娘の心配の一つは杞憂に終わった。 初秋の風が苫屋に流れ込む。 白い打掛を身に纏いながら、娘は定まらぬ瞳で庭の泉を眺めていた。 皺だらけの細い腕が、屏風の影からするりと食事を出してきた。そういえばここ数日、何も口にしていない。それでも空腹は感じず、ついぞ見た事もないような豪勢な膳を見ても、美味しそうだとただ感じるだけだ。 これを口にすれば。 なみなみと注がれた杯に、手を伸ばした刹那だった。 わずかに揺れた、それでも透き通った酒に、紅の瞳の男が映る。 苦しげな表情、赤黒く染まる服。 乱れた長い黒髪は、まるで―― 「……外が、騒がしいな。望まぬ客か」 紅の瞳の男が、娘の隣で胡坐をかいたまま、苦々しげに呟いた。 人の声、どたどたと駆ける音。かすかに聞こえていた庭の水音はかき消された。 苫屋の壁を破って、村の男衆が次々となだれ込んでくる。 「いたぞ!鬼だ!」 「あの娘もここにいる!」 鬼? 娘は隣に座る男を見る。黒髪のその上へと眼を遣ったところで、ぐいと誰かに引きたてられた。 「数日姿が見えないと思ったら、鬼に誑かされていたか」 手から杯が払われた。酒の雫が宙を舞う。 引き立てた男の手に、抜き身が光っていた。 「鬼を殺せ!」 男衆の声に、紅の瞳の男がゆらりと立ち上がった。品の良い香が薫り、娘の意識を奪う。 夢か現かわからないその刹那、娘は胸の中で一つ、涙をこぼした。 あの人は私に、絶対に離さないと誓った。 やっと私にも、新しい家族ができると思ったのに。 男の咆哮が、耳の奥で鳴り続けていた。 迷走…… [目次] [小説TOP] 28 |