深夜の真剣物書き120分一本勝負「牛乳は何の味」

#深夜の真剣物書き120分一本勝負 に参加させていただきます。



お題:
ポイントカード
冷凍庫
牛乳


ジャンル:オリジナル 現代







狭いながらも整頓されたリビングの二人掛けテーブルに、てん、てん、と紙パックが置かれた。2本とも、青地にコップと牛の絵柄が描かれた1000mlパック。成分無調整、美味しい牛乳。
「今日、牛乳がポイント2倍だったのよ。で、さらに、お買い上げ5000円以上ならクーポン券プレゼントって。あそこの店、安売りはあまりしないけれどポイントはすぐ貯まるし、クーポンはくれるし、いいわよぉ。ポイントカード、作っておいたらお得よ」
久美<くみ>がくしゃりとビニールを縛りながら、屈託なく話し続ける。ビニールにはこの辺りでは有名な高級スーパーのロゴが印字されていた。エコ志向の為にビニール袋は有料だと聞いた事があるのだが、久美は持ちよりパーティーの時には決まって、このビニール袋にオードブルを入れて持って来る。料理ができないから、ともっともらしい言い訳を付けながら。
「考えておきますね」
「で、そうそう。他のお買いものも見て回って計算してみたら、丁度牛乳一本分届かなくてさぁ。だからね、調子に乗って2本買って帰ったのよ。ほら、うちの子最近、良く牛乳を飲むようになって」
「へえ、そうなの」
話を半分聞き流しながら、理子<りこ>は無意識に腹部をさすった。先日この身に宿り、おととい空へと還ってしまった子のことを、理子は久美に話していない。
「そうしたらさ。帰ってみたら、冷蔵庫にまだ残りがあったのよ。しかも未開封。旦那が昨日の夜、気を利かせて買ってきてくれたみたい」
「ええ、それで?」
 くるり、と久美に背を向け、理子はカウンターキッチンの中へと向かい、冷蔵庫を開ける。ひんやりとした冷気が流れ出し、頬を撫でる。怒りとも恥辱ともつかないぐるぐるとした感情で火照った体には心地よい。
もう、好きなだけ体を冷やして良いのだから。
「そうそう、だからね、うちでは余っちゃったからおすそ分け、……って思ったんだけれど、……必要ないかしら」
「ええ、そうですね」
 開いた扉の内側には、すっぽりと鎮座する赤い紙パックの牛乳。目の前の棚には寝ころばせて、もう一本。
「折角だから、その牛乳で何かお菓子を作って、持っていきましょうか」
 冷蔵庫の中、卵や牛乳の期限を確認しているふりをする。
「あら、本当? それは嬉しいわぁ。理子さんの作るスイーツ、いつも評判だものね。うちだとちびちゃんが危なっかしくて、オーブンの焼き菓子なんて作れないのよ。折角高くて高性能なのを買ったんだけれど、使いこなせていないわぁ。あ、材料代出すから」
「いえ、そんな、結構ですよ。私もお菓子作りは趣味なので」
 それより早くお引き取り下さい。
「後で、ご自宅にお持ちします」
 手持無沙汰に冷凍庫を開けながら、ぴしゃり、と言い放つ。手元から冷気が噴き出す。
「……そーお?じゃ、甘えちゃおうかしら」
 やや合って、久美の声が背後から聞こえる。続いて、ブランド物の鞄を持ち上げる音。
ぴぃぴぃと冷凍庫が文句を言い始めたので、冷凍パイ生地を取り出して、流しの横に置いた。
 あれやこれやと薄っぺらい謝辞をマシンガンのように並べ立てる久美を、理子は玄関まで送る。
 扉が閉まる直前、ちらりと久美の視線が、理子の腹部へと走ったような気がした。
 


* * * * * 


狭いカウンターキッチンにずらりと並んだ紙パック。その数4本。色は2種類、青と赤。それぞれの紙パックには、牛の絵が描かれている。
赤い紙パックは青い紙パックに比べて賞味期限が2日早い上に、片方は開封されている。赤パック2本を冷蔵庫に戻し、ややぬるくなった青い紙パックの牛乳を1本手に取る。ぺりぺりと開封し、計量カップに注ぐ。
卵を数個ボウルに割り入れ、牛乳を注ぎ、0.1g単位まできちりと測った砂糖を流し入れる。泡だて器で手際よくかき混ぜると、引き出しから茶こしを取り出し、丁寧に漉す。
全て漉しきったところで、カウンターの上のココットへ手を伸ばす。薄く敷かれた、苦めのカラメル。その上に、丁寧にクリーム色の液を流し込む。
蒸し器の蓋を開けると、もわり、と湯気が立ち上った。狭いカウンターキッチンの中が一気に蒸し風呂のようになる。
背後のオーブンも、張り合うように高熱を発している。首筋を汗が伝った。
熱い水蒸気で火傷をしないよう気を遣いながら、ココットを蒸し器に並べる。蓋を閉じ、壁に貼り付けられたタイマーを操作すると、「スタート/ストップ」を一押し。
逃げるようにカウンターキッチンを出て、隣の部屋から扇風機をとって来る。風を体に当てながら、流しでボウルや泡だて器、カラメルを熱したミルクパンを洗う。
軽く水けをきったミルクパンは、もう一度二口コンロに乗せられる。扇風機の位置をずらし、粉寒天を引き出しから取り出すと、さらり、と鍋に流し込む。
計量した水道水を鍋に流し入れ、火にかける。左手でかき混ぜながら器用に砂糖を計量し、粉寒天が溶けきった鍋へと投入する。
そのまま数分。砂糖が完全に溶けきったところで、火からおろした。流しの下を漁り、大きめの片手鍋と浅いバットを取り出す。
片手鍋に牛乳を1カップ。一気に軽くなった牛乳の紙パックをカウンターの上に戻すと、片手鍋を火にかけた。ほんのり湯気が上がり始めたところで火からおろし、先ほどのミルクパンへ移す。
木べらで手早く混ぜ、流しの横に置いたバットへと向き直った瞬間、背後のオーブンがかちどきを上げた。賑やかな声を背に、ミルクパンの中身をバットへと流し込む。
ミトンをはめてオーブンを開けると、甘いバターの香りをまとった熱風が顔を撫でた。こんがりと焼きあがったきつね色のパイ生地が、真ん中に鎮座している。
くらりとする頭を支えながら、オーブンからパイ皿を引っ張り出し、ケーキクーラーに乗せる。
熱さと忙しなさで、目が回りそうだ。
冷蔵庫から赤い紙パックの牛乳を取り出し、透明なグラスに注いだ。ごくり、ごくり、と喉を潤す。
赤い紙パックに書かれた「3.6」と、青い紙パックの「3.8」。これは数字が大きいほど良いということなのだろうか。どうせ理子のような庶民には、違いなどほとんどわからない。
空になったグラスを、もう一度牛乳で満たす。縁から零れる寸前で、注ぎ切りになった。紙パックを流しの横に置くと、慎重に口許へ近づけ、もう一度、ごくり。ごくごくごく、ごくり。
牛乳の柔らかな甘みが、喉を過ぎていく。
母乳も、このくらい甘いのだろうか。甘くてさらりとした母親の味が、腕に抱いた赤子の喉を潤し、空腹を満たすのだろうか。
グラスを持ったままの手が、下腹部に触れた。空いた腕は胸元へ。
昨日一日泣きはらした。涙などもう出ない。
胸の痛みに耐え、下唇を噛みしめ、きゅ、と顔を上げる。
グラスを流しに置き、紙パックを軽く水洗いすると、流しの隅に逆さに置く。手を拭うと、パイ生地とバットに手を翳し、温度を確かめた。粗熱が取れたバットは、ラップをかけて冷蔵庫へ。場所がないので、片手で赤い紙パックを、扉の内側へ移動させる。
 流しとコンロにはさまれたスペースに、必要なものを並べ始める。
 青い紙パックの牛乳をすべて流し込んだ計量カップ。バニラエッセンス。砂糖。小麦粉。バター。卵はセパレーターで卵黄を取り出し、白身とは別の容器へ。
 蒸し器はまだ、収集と湯気を上げ続けている。その横で、先ほどミルクを温めた片手鍋に、もう一度牛乳を流し込む。バニラエッセンスをふた振り、火をかける。
卵黄、砂糖、小麦粉をボウルに入れ、カシャカシャと泡だて器で混ぜる。混ざったところで片手鍋に流し込み、木べらでゆっくりじっくり混ぜ合わせる。
暫くして木べらを持ち上げると、とろりとした感触が手に伝わった。バターを鍋に入れ、火を止める。バターが馴染んだのを見計らってもうひと混ぜし、粗熱の取れたパイ生地へと流し込む。
壁際のタイマーが、ぴぴぴ、と鳴り響いた。


「ほら、たーくん。りこおばさんに、“ありがと“って」
「あーと!」
「よーく言えましたぁー」
数十分後。理子はマンションの角部屋の玄関前で、西日の熱を背に浴びながら、小さな男の子が頭を下げる様子を目の当たりにしていた。
「たーくんねぇ、最近、“ありがと”が言えるようになったのよ」
「早いですね」
適当に相槌を打ち、手元の箱に力を込める。
「そうそう、暑いでしょ。入って入って」
 角部屋は、理子たちの住む部屋よりも一回り広いようだった。少なくとも理子の目にはそう映った。
 そして、リビングのあちらこちらに転がるおもちゃ。たーくんはソファの裏で、積木を振り回している。
「散らかっていてごめんなさいねぇ。たーくんが元気で元気でしょうがなくって。あ、何飲む?」
「お構いなく」
「良いわよぉ、だって理子さんにお菓子なんて作ってもらっちゃって、何かお礼をしないと気が済まないもの」
 冷蔵庫から久美が出してきたのは、オーガニックと英字が銘打たれたオレンジジュースだった。
「んー、良い香り。バターかしら?」
「ええ」
高級そうなデザインのグラスにオレンジジュースが注がれるのを横目に、理子は持参した袋を机に乗せた。
「まず、これ。牛乳、1パックしか使いきれませんでした」
「あらぁ、そんな、貰ってくれて良かったのよぉ。律儀ねぇ、理子さん」
 ジュースのボトルを一度机に置いて、久美が大仰な仕草をしてみせる。その視線が、再び理子の胸元から下へと走ったのを、理子は感じた。
「だって理子さん、カルシウムが必要でしょう。聞いたわよお、この間、中央病院の産婦人科の待合室前で見かけたって」
 心臓が凍るような思いがした。誰だろうか、そんな噂を――もとい、事実を流したのは。同じマンションの棟で、おめでたの人を数人、思い浮かべる。その中で久美の傘下にいる人は。
「楽しみねえ。男の子かしら、女の子かしら。男の子なら、たーくんのお洋服がいっぱいあるから、良かったら貰ってちょうだい」
にこにこと笑みを崩さずに、久美は小さなプラスチックカップへ、オレンジジュースを注いでいる。よほど払い落としてしまいたい衝動に駆られながら、理子は震える指で、白い箱へ手をかけた。
「それより、お菓子を」
「あら、そうだったわね」
もう一つのグラスへ、久美がボトルをずらす。それを目にしながら、理子はふたを開けた。
「フルーツを乗せたカスタードタルトと、プリンです」
久美の手が止まった。どぽり、とジュースがグラスに流れ込む。その音と衝撃で我に返ったのか、久美が慌ててボトルを上に向ける。
「……ええっと、そう、タルトと、プリン。……まあ、素敵ね」
ボトルの蓋をぎゅうぎゅうと締めながら、ぎこちなく言葉を紡ぐ久美へ、理子は箱の中身を見せた。鮮やかな緑が、白い箱の内側に映える。
「タルトには、生のキウイフルーツをあしらってみました。先ほどご紹介いただいたスーパーで買ってきたんですよ」
 今度こそ久美が動きを止めた。
「……ええと、理子さん?あたし、お話したことがなかったかしら。あたし、キウイを食べると、舌が腫れちゃうのよ」
「まあ、そうだったのですか。初めてお伺いしました。それは残念……こんなに食べたら、ショックで倒れてしまいますね。では、旦那様にお召し上がりくださいとお伝えください」
 けろり、と告げながら、箱の蓋を閉める。持ち寄りパーティーの時、誰かが準備したフルーツ盛りの前で、大声で話していたのは聞こえていた。“直接話を聞いたことはない”が。
「それでは、プリンをどうぞ。これなら、たーくんも食べられるかと思いまして」
「理子さん、それ、……卵は、使っている、の?」
「ええ」
 こともなげに告げると、久美の顔が若干歪んだ。プラスチックのボトルが、めきりと音を立てる。
「そう、……理子さん、あなた、いろいろ知らないのね。あんまり持ち寄りパーティーにもいらっしゃれないものね。パートのお仕事がお忙しそうだから。たーくん、……卵アレルギーなのよ」
「まあ」
 大げさに驚いて見せる。普段の久美のように。
「そうだったのですか、たーくん。では、プリンも、もちろんカスタードタルトも、食べられませんね」
「他には、他のスイーツは作っていらっしゃらないの」
 縋るような、甘えるような、それでいて目の奥に憤怒を宿した表情で、久美は詰め寄る。
 理子は困ったように眉を下げ、さも残念そうな声で、告げた。
「ごめんなさい、この2つしか」
 声が、ほんのわずかに震えた。それは恐怖からでも申し訳なさからでもなく、弾みそうになる心を必死に抑えたからだった。


 部屋に戻ると、理子は冷蔵庫を開けた。
 ひんやりと冷えたバットが、冷蔵庫の中でふんぞり返るかのように、横幅を占めている。
 冷たいそのバットを取り出し、ラップをめくると、中でぷるりと固まる牛乳寒天。スプーンとガラスの深皿を戸棚から出すと、白い鏡面のような寒天へ、スプーンを突き刺した。
 一すくい、二すくい。スプーンの上で寒天が躍る。
 深皿が半分程度満たされたところで、理子はバットに再びラップをかけて、冷蔵庫にしまった。
 二人掛けのテーブルに移動して、深皿とスプーンを置く。ふと思い立ち、スマートフォンでアプリを立ち上げた。
 SNSのグループ一覧から、マンションの持ちよりパーティーグループの名が消えていた。「友人一覧」に移動すると、一番下にあったはずの久美の名がない。
 ぱたりと携帯のカバーを閉じ、寒天を一つ掬う。
 そのまま口に運ぶ。甘みが口の中で広がり、理子は思わず口端をゆるりと持ち上げた。
 3.8の牛乳は、やはりほんの少し味が濃いかもしれない。






未完です。この後も続きますが、いちどばっさり切り落としてここまでを時間内での執筆とします。

アスタリスクの中央線以降、時間外に加筆いたしました。
[ 43/50 ]

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