第57回フリーワンライ「調香師」 お題:全部 遠花火 隠しきった涙 舞う花はただ ニセモノの笑顔を浮かべて あなただけの香り ジャンル:近未来 SF 戦時下 遠距離恋愛 2366文字 「いらっしゃいませぇ」 ふぉん、と開いたドアの先には、女性が一人。物珍しそうな、やや怖気づいているような、そんな表情で一面の棚を見回しながら入ってくる。 “貴女が商品に興味を抱いていただけるか気にはかけつつも過剰な声掛けはいたしません、それでいて声をかけられればすぐ飛んでいきますよ”、そんな空気を醸し出しながら、営業用スマイルを浮かべる。 入ってきた女性はまだうら若い。おそらく香水を探すのも、つけるのも、初めてだろう。そもそも、「香水」という単語自体、最近知ったかもしれない。 このコロニーでは、空気は完全管理されている。公共の場において芳香化合物――良かれ悪しかれ何かしらの香りが検出されれば、すぐに空気清浄機が作動する。例えそれが、人に安らぎをもたらす香水の香りだとしても。 女店主は改めて、自分の小さな店を見渡した。棚一面に並ぶ瓶やボトル、手のひらほどのケース。どれもこれも、鼻を近づければ淡い香りを放つ。「お偉いさん」に掛け合って、たくさんの制限事項と店内の大規模改装を突きつけられながらも、営業時間内は室内の空気清浄機を停止する権利を勝ち取ったのだ。 「お気軽にお試しくださいませぇ」 客の女性が一つのケースに手を伸ばしたのを敏感に察知し、声をかける。一瞬びくりと肩をすくませた女性が、店主へと振り返り、小さく頭を下げた。 「お探しの香りがございましたら、お声掛けくださいませぇ」 狭い店内に、自分の声だけが響き渡るのは慣れっこだ。それ以上に、静寂にも慣れっこだ。 最近は戦争がますます加速し、香水も「ぜいたく品」として立場が危うくなってきている。硝子のボトルも精油も、手に入りづらくなってきている。 かつて地球で大人気だった香水ブランドは、戦争中にもNo.5を売り出して、故郷に恋人を残してきた兵士たちに大人気だったのよ。貴方もおひとつ、甘ぁい関係の女性にいかがかしら、お役人さん。 そう言いくるめて、時には袖の下に小瓶を滑り込ませて、何とか店は続けている。けれどもそれも、いつまでもつだろうか。 「…………あら」 ふいに窓ガラスに何か移った気がして、店主は視線を窓の外へと移した。漆黒の宇宙空間に揺蕩うは、たくさんの花びら。 もとい、微細なスペース・デブリ<宇宙ごみ>。 舞う花はただの機体だった欠片。決して幻想的な光景ではない。けれどもそれは、なぜか視線をそらすことのできない魔力を放っている。それは機体に残された怨念か、あるいは。 「……どちらの機体かしら」 ぽつり、魂を慰めるようにつぶやく。 目を凝らそうが、色すら判別不可能なデブリでは、どちらの戦力の機体か見分けることなどできない。 この広く暗く冷たい宇宙の、どこから揺蕩ってきたのだろうか。乗っていた人の名は、破壊された日時は。 「すみません」 「はぁい、大変失礼いたしましたぁ」 即座に作り物の――ニセモノの笑顔を浮かべて、女店主はローテーブルに向かう。 「調香をご希望でしょうかぁ」 「えっと、……調香って、自分だけの香りを作れる、ってことですか」 「そうですねぇ。組み合わせ次第で、無限の香りを作り出すことが可能ですわ」 言いながら、サンプルの小瓶をいくつかと、ムエットを数本準備する。 「例えば、こちらは今、若い方々にとぉっても大人気の香り。コロニー内で最近開発された植物から、香りの成分だけを抽出したものですわ。この香りをトップにして、最近植民地化した惑星の植物から採取した香りをベースに――」 どぉん。と、音が聞こえた、気がした。 ぐらりと床や壁が揺らいだ。硝子の瓶が、棚から柔らかな床へと転がり落ちる。客の女性と二人、慌てて机にしがみつく。何事か。こんな揺れの時はどうしたら良いのだろうか。 時間にしては数分ほどで、揺れは収まった。ふと船窓に眼を遣ると、遠くで点るかすかな光。 まるで、学生時代に音と光の授業の映像で見た、地球の遠花火のような。 ふわり、と鼻に届いたのは、何かが焦げるような香り。この香水に囲まれた中で、立ち上るはずのない、仮想の芳香。 笑みを消し、ムエットと小瓶を放り出して、即座に窓ガラスに張り付く。次いで、船内放送のスピーカーへ視線を送る。 「……只今、本コロニーに届いた衝撃波は、コロニー外での戦闘行為による爆発によるものと推測されます。現在のところ、コロニー維持装置および外壁への影響はありません。繰り返します。只今の衝撃波は――」 機械的な声が、客観的な情報を流し始める。 違う。私が聞きたいのはそれじゃない。 あの方角は。私のこの店と背中合わせの位置で戦っていた、あの隊は。 「――影響はありません。繰り返します。只今の衝撃波は――」 彼が居た、隊。 思わず、胸元に垂らしていた長い髪を握りしめる。そこから薫る、仄かな甘い香り。 「これは、あなただけの香り。お守り代わりに、毎日つけていてね。わたしも、毎日つけるから」 希少な地球産の植物からとった香りを、ベースにもトップにもふんだんに使った、世界にたった一つの香り。 そう言い交わした日々が、走馬灯のように走り去る。 まさか。そう、これはきっと勝利。あの人が、わがコロニーの軍隊が、敵機を爆破したんだわ。きっと、きっとそう。 じわり、と目元に涙がにじむ。胸がいっぱいで、苦しくて、今にも叫び出したくなるのは、なぜ? 「……あの」 後ろからかかった声に、ふと我に返った。 そうだった。今は接客中。あの人が戦地で敵と対峙しているように、私も今は、目の前のお客様とまっすぐに向き合わなければならない。 「…………大変失礼いたしましたぁ。先ほどはどこまでご説明いたしましたでしょうかぁ」 再び営業用の笑みを貼り付け、客の女性へと向き直る。 隠しきった涙は、あとでいくらでも零せるもの。 願わくは、それが安堵の涙であることを。 [目次] [小説TOP] 11 |