世界を救う旅を続ける一行の目の前には青々と茂る木々。
鬱蒼とした森の中を進む彼らの視界は狭く足場は悪い。
誰かが嫌そうに舌打ちをした。
「ったく、キリねーや!!」
ザードが魔獣に向け銃を放つ。
彼らはこの悪い条件の中次々と現れる魔獣に苦戦を強いられていた。
ロナードが大剣を振りかざし魔獣に一閃を食らわす。
魔獣は粉塵と一緒に消え去った。
「このまま闇雲に進むのは得策ではありませんね…」
「一旦船に戻るか?」
「そうした方が良さそうね」
ニアがロナードに施術をかけながらザードに返事をする。
と、がさりと叢から音がして皆が息を潜めた。誰からともなく目線を通い合わせ、こくりと頷く。
じっとしていると魔獣の恰好の餌食になりかねない。
「さっさとずらかろうぜ」
「そうですね」
小声でヴァイスは言い、ザードに続いてその場を立ち去ろうとした。
と、
「ヴァイスっ!!」
ぱんっ、乾いた音がヴァイスの背後で聞こえ振り返ると叢から飛び出した魔獣が胸に弾を浴びて、その巨体を地面に横たえようとしていたところだった。
「油断してんじゃねーよ」
その弾はハントが放ったもので、彼はため息をつきやれやれとクリスタル銃を降ろす。
ヴァイスは無感情に足元に転がる魔獣を見下ろし、ふむ、と呟くと
「良いところを譲ってあげたまでです」
いつものごとく冷静に言ってのけた。
その発言にハントがこめかみを引きつらせる。
「てめぇ」
「ちょっと二人とも、早くこの場から去りましょ」
喧嘩は後!!とニアがハントの袖を引き、ヴァイスに歩み寄った。
ヴァイスはおとなしく従い魔獣の側を離れた…その時、
「っ…!!」
魔獣がその身を起こした。致命傷には至っていなかったようだ。
咄嗟にニアがヴァイスの名を叫びながら強い力で彼を引いた。体制を崩しながらもニアを庇うようにしたヴァイスの横を魔獣はすり抜け、自分の胸に風穴を空けた人物に向って襲いかかった。
咆哮を上げハントに最期の一撃、とばかりに爪を振りあげる。
「げっ!」
顔を歪め、光を纏った銃の先を目の前にいる魔獣に向け―――


「へ、」

ぽかんと惚けた表情のハントは体制そのまま、目の前には今までの緑一色とは打って変わって眩しい青空が見えた。一瞬の浮遊感。
「きゃあぁっ」
「ハント!!」
皆の声が響く。
ロナードがすぐさま飛び出して魔獣を切り倒した。
「おっさん!!」
ザードが手を伸ばす。
ハントもその手を掴もうと伸ばすが届かない。
「うわあぁぁぁぁっ!!!」
目の前が真っ暗になった。

大切な人

うっすらと瞼を開ける。意識が覚醒する少し前のまどろみの中、耳に響く重低音。
続いて目を開けて最初に見えたのは一般的な茶色く使い込まれた天井。だが見たことのない天井。
少しゆらゆらと体が揺れている…いや、この場所自身が揺れているのだろうか。
ぱちくりと瞬きを一つ。自分の身に起こった事態を理解しようと思考を巡らせた時、部屋の扉が勢い良く開け放たれた。
「ハントっ!!良かった…」
クリーム色の髪をした少女が抱き付いてくる。
続いてばたばたと騒がしく大勢が部屋へ入ってきた。
「全く心配させないでくださいよ」
「おじさま、崖に気付かず落ちちゃったんだって?大丈夫?」
「痛むところはないかハント」
銀髪の失礼な発言をする青年からぐるりと視線を巡らす。自分をおじさまと呼ぶこれまた銀髪の少女に、心配そうにこちらを伺う人の良さそうな青年…。
「ハ、ント…?」
青年の言葉を繰り返して呟いた。きっと自分の名前。
それなのに全くしっくり来ない。
何か更に言おうとして、ぎぃんと激しい後頭部の痛みが襲いかかった。
なんだか頭の奥がぼやけているようで、気分は優れない。
「おっさん…大丈夫かよ」
頭を抑えていたら生意気そうな少年が表情を曇らせこちらをのぞきこんできた。
強気そうな三白眼が不安に揺れている。
こんなに心配そうな顔をして、とハントは心が痛んだ。だがこの少年が自分にとってどんな存在だったのかが思い出せない。今の彼は何もわからない。
「俺、は」
記憶が、ない。
ずきずきと痛む頭。その奥で冷静な思考が答えを導き出した。
どうやらこれが、
「もしかして、さ」
「記憶喪失、とか」
誰からともなく発せられた一言、ハントは視線をかちりととめた。思いつくのはそれしかないのだ。信じられないといった表情の一同に向けハントは静かに頷く。
「…なんだか靄がかかったように以前のことが思い出せないんだ。俺がどんな人間だったかも…君たちがどんな存在だったのかも」
「頭を強く打っていたからな」
「マジかよ…」
愕然として椅子に深く腰掛けるザード。ラナもニアも驚きを隠せず口を閉ざしていた。
ハントはそんな彼を切なげな瞳で見つめる。
「すまない」
「悪い冗談だったら容赦しませんよ?」
「本気だ」
そう言う彼は真剣そのもので、事実を認めざるを得なかった。勿論認めたくはないのだが。ヴァイスはその突き刺さる視線にふいと顔を逸らし、
「まぁ確かに、ニアさんが抱き付いたのに無反応でしたしね」
「…俺は一体どんな印象を持たれているんだ?」
いつもの軽口にも眉を顰めるハント。ヴァイス!とまだ言い足りない様子の彼をレイナスがたしなめる。自分のことさえわからない今の彼に不用意な発言は不安を煽るだけだ。
「これからどうするか…」
「一旦近くの街に戻るとしよう」
ハントは俯いたまま、ずっと黙っていた。



エアベルンは重苦しい空気を乗せて雲海を突き進む。
ハントが記憶喪失になり2日が経ったが、彼は食事以外では部屋から出て来ない。他の面々はなるべくいつも通りに過ごそうとするのだが、沈んだ気持ちと戸惑いを隠せずにいた。
ラウンジに集まるが会話もない。
と、
「ねぇ、あの優男はどうしてるよ」
声を掛けられレイナスが振り向くと、エアベルン内の掃除を担当している老婆がいた。
「なんか頭打ったんだって?昨日あたりから姿を見掛けないけどさ」
「はぁ、まぁ…」
レイナスが曖昧な返答をすると女性は明るく歯を見せて笑った。
「まぁそんなんでくたばるタマには見えないさね。ただあれが居ないと、まぁ静かなもんだね」
「…」
「ありゃあたしみたいな婆さんにも必ず朝会うとさ『お嬢さん今日も綺麗ですねー』なんて。なぁに言ってんだと思ってたけどさ、その挨拶を聞かないとなんだか寂しいもんだね」
くしゃっと顔を歪め笑い、立ち去っていく背中からレイナスは目が逸らせなかった。
「奴にゆっくり休むよう伝えとくれよ」
その言葉にレイナスは頷き応える。
寂しい、という感情。
彼女の言葉で気付かないようにと隠していた心が露にされた気がする。
静かにその様子を見ていたラナが堪え切れずに涙を零した。
「…寂しいっ、よぅ…」
「ラナちゃん…」
「私たちのことも今までのことも、何よりおじさま自身のことも忘れちゃったなんて」
この気持ちに気付いてしまったら絶対に切なくて泣いてしまうとわかっていたのに。
だから気付きたくなかったのに。
「ハントの前では我慢してたのよね…」
「偉いぞラナ」
彼女の姉が優しく背中を擦り、レイラが頭を撫でる。
「あいつが居ないだけでこんなに静かになるとはな」
ロナードが呟く。
皆一様に彼の存在の大きさを思い知った。
ラウンジに漂う空気は一層重みを増す。
そんな中ザードが何かを断ち切る様に勢いよく立ち上がると、駆け出した。
「ザード?」
「どこ行くんだ」
「どこって」
ザードは真剣な、思い詰めた表情で叫ぶようにして答える。
「おっさんとこに決ってんだろ!?」
「えっ」
「あんな部屋に引き籠もってたら治るもんも治んねぇよ!!それに、ラナを泣かせたまんま放っておけねぇだろ!?」
はぁ、息継ぎをして俯く。
ザードは殆ど掠れて聞こえない声で
「…おっさんはラナを泣かせるような真似はしねぇ…絶対」
そのままラウンジから出て行った。

一方ザードが向かっている部屋の中、ハントはぼうっとベットに長身を横たえていた。
狭い室内に家具は堅いベッドとタンスしかない。
そして壁に立て掛けられた、淡く光る銃。
「…マジックスナイパーだって?」
この俺が?とその銃を睨み付ける。俄かには信じられない話だった。
この船に乗る仲間たち―彼はどんな仲間たちだったのか思い出せないけれど―から今までのことは一通り聞いた。けれどどれも信じられないことばかり。
自分は腕の立つ狙撃手であること。
空の下のもう一つの世界があること。
この世界の運命は、自分たちの手にかかっていること。
何一つとして思い出すことは出来ない。
そんな自分の居場所はここにはない気がして、ずっと部屋に籠っていた。
ゆるゆるとため息にもなりきれない息をついてハントが目を開けて前を向こうとした時、ノックもせずにその扉が乱暴に開かれた。
「おっさん!!外出ようぜ!!」
先ほどザードと紹介された短髪の少年が元気良く入ってきた。しかしその表情は強張り、緊張しているのがわかる。
「ほら、こんなとこで引き籠もってたら頭にキノコ生えちまうぞ!!」
「きの・・・」
強引に腕を掴まれてずんずんと歩いていく。そのハントの腕を掴んだ少年の手からは緊張も感じられて、半歩遅れてついていくハントはじっとその手を見つめていた。

少年に連れていかれたのは、Bデッキ。船のエンジン音と風が通り抜ける音しか聞こえない。
目の前に広がる空を見て、自分が本当に雲をかき分け雲海を進んで行く船に乗っているのだと実感する。
「おっさん?」
ザードが口を開けたまま空を見つめるハントにそっと声をかけた。
「綺麗な景色だな。エアシップに乗ったのなんて初めてだ」
それは彼が記憶をなくしてからはじめて見せる穏やかな笑顔だった。
その笑顔にザードの心が痛む。ハントも隣の少年の切なげな瞳に気がつき口を噤んだ。
「…おっさん!!これ」
ザードが気を取り直して、その背に担いでいたハントの愛銃を差し出す。
「…クリスタル銃、か」
「おう。おっさんの狙撃の腕はクラウディア一だぜ。まぁ、途中女の子に見惚れて手元が狂ったりするけどな」
明るく笑うザード。ハントはその銃を掴み、色々な角度から眺めた後スコープを覗いてみた。
「…駄目だ」
「え?」
困ったようにザードに笑いかける。
「すまないな…打ち方すらわからないよ」
「そんな、」
「どうやらこれは自分の魔力を弾にして撃つようだが…今の俺じゃ」
「…」
ザードは悲しげにハントの表情を見つめるが、すぐに表情を戻してクリスタル銃を取り返した。
「…気にすんなよ。それよりおっさんが元気ない方がみんな、悲しいってか、なんつーか」
「ザード、君」
「ザード!!君とか付けんなよ気持ち悪い。だからおっさんが独りでくさくさしてっとみんなが調子狂うんだよ」
人差し指を突き付けて真剣に言う。
ハントは無言で彼の目を見つめていた。
ザードはみるみる内に赤くなり
「なんか、恥ずいこと言っちまったな。その、元気出せ!!」
照れ隠しに思い切りハントの脇腹を叩き―殴り、と言った方が適切なくらい思い切り―大股で船内へ帰って行った。
脇腹を抑え、一人取り残されるハント。
「…痛てて、」
鈍痛は直ぐには引かず、暫く蹲っていると、どこからともなく声がして温かい光が降り注いだ。痛みはすっかりなくなっている。
不思議な現象にきょろりと首を回せばデッキの入り口に長い銀色の髪をなびかせ、ラナが立っていた。心なしか不貞腐れたような顔で、目と鼻が赤い。
「ラナ、さん」
「…うん」
「君は施術の魔法が使えるのか。ありがとう、すっかり良くなったよ」
「そ。良かった」
素っ気なく答えると、デッキの手摺に近付いて空を見上げた。
「おじさま、」
「…あ、あぁ。俺のことか」
「そうよ。私のおじさまはおじさまだけ。ねぇ、おじさまは今までのことを思い出したいって思わないの?」
ハントは黙る。
勿論思い出したいとは思っている。しかし思い出せない。
自分はずっとこのままではないのかという漠然とした不安が込み上げる。
「…以前の俺は、どんな人間だったんだ?」
この少女からおじさまと慕われ、ザードはおっさんと呼びからかってくるがその中に尊敬のまなざしが宿っていることを感じた。
この短い間でも、彼らがハントという人間に向ける真直ぐな視線を感じることが出来た。
「俺は、そこまでしてもらえるような人間だったのか?」
あの人の良い青年はカードゲームに誘って来て他愛もない話で和ませてくれた。
その青年の親友という青年も、冷たそうに見えるが常にこちらを気遣ってくれた。
ラナの姉は明るく接してくれ、この2日間朝と夕に施術をしに自室へ足を向けてくれた。
カイゼル軍人だという男はよくマジックスナイパーとしての功績を話してくれ、その妻は口数は少ないものの以前好物だったという食事を作ってくれた。
物静かな青い髪をした女性は常に微笑みを絶やさず、他の面々が思わず以前のハントを思い出して沈んでしまった時に、気丈に振る舞っていることを知っている。
「自分のことをこう言うのもなんだが、どうしようもない人間だったようだな」
自嘲気味に笑ってみせた。
散々皆の会話に出てる以前の自分。
女の子好きだとか、節操がないとか軟派だとか。
そんな人間が果たして本当に好かれていたのだろうか?
どうしようもない不安は記憶を取り戻したいという前向きな思いの邪魔をする。
ラナの困ったような表情に今度は穏やかに微笑んでやった。
さらりと流れる髪がふと、もう一人の銀髪の持ち主を思い起こさせた。
―あのセントミラの魔導師という青年は、最初にベッドの上で会って以来会話をしていない。なんとなく、彼からは嫌われている気がするとハントは感じていた。
彼は…自分が居なくなって清々したと思っているのだろうか。
「…そんなことない」
はっと現実に引き戻された。
おじさまは素敵な人よ、そう呟くラナの切なげな表情に胸が締め付けられる。
「しかし」
思い出したいという思いと同時に存在する気持ち。
「俺は必要のない人間なのか?」
その問いにラナの瞳が大きく揺らいだ。
「以前の俺がどんな人間だったかわからないが、どんなに駄目な人間でもここの皆は受け入れてくれている」
「それは…」
「じゃあ今の俺じゃ駄目なのか?」
ラナは今にも泣きそうな、しかしぐっと堪えて少し怒っているような複雑な表情で
「わかんないよ…」
「…そうだよな」
「でも、」
俯いたままハントの手を握る。
以前と変わらない、大きな手。
「みんなおじさまが大好きなんだよ。だから必要じゃないなんて言わないで…おじさまはおじさまじゃない」
勿論以前のハントに戻って欲しい。
ここで泣いて、泣き喚いて戻って来てと叫びたい。
以前の貴方じゃないと嫌だ、と。
でも、彼も十分に悩んでいることを知ってしまったらもう何も言えなかった。
ザードも同じ気持ちなのだろう。
「…変なこと言って悪かったな」
優しくラナの髪を撫でる。
彼女はぐっと唇を引き結び、頭を振った。綺麗な髪がハントの胸に当たる。
こんなに同じなのに。
優しく撫でる手も、声も。
込み上げる切なさに涙が一粒、ラナの頬を伝った。


その日の夜、夕食後例によって一人自室に帰ったハントを見送ってからヴァイスは重々しく口を開いた。
「…ずっと記憶を取り返す方法を探していたのですが」
長い睫毛を伏せ、ゆるゆると首を左右に振る。
一同もやはり、という気持ちとそんな、という気持ちでため息を漏らした。
「あと3日でプテリュクスに着くわ」
ライはベルンハイムから教えて貰ったことをそのまま伝える。
一番近い街を選んだら、そこは何の偶然かハントの故郷の街だったのだ。
「街に着いたとして…どうするか」
「ろくに銃も撃てないんだぜ、今のおっさんは」
「降ろすしかないでしょう」
キッパリと言うヴァイスに視線が集まる。
「…それしかないだろうな」
「悲しいけど」
レイラとレイナスが呟く。ロナードも無言で頷きヴァイスの意見に同意した。
「…今まで一緒に、ここまで来たのに」
ザードが唇を噛み締める。
「銃も撃てないような人を危険な旅に連れて行く訳にはいきません」
「…っ、でも!!」
ラナが立ち上がる。
ヴァイスは冷たい瞳でそれを見つめた。
「今のおじさまを認めてあげないの?確かに今までのような銃の腕はないけど、おじさまはおじさまに変わりないでしょう」
ラナの訴えにラウンジが静まり返る。
「…おじさまだって、辛いんだよ…」
頬を紅くし、訴える彼女に彼女の姉も泣き出しそうな表情をしていた。
かたん、ヴァイスは静かに席を立つと
「タイムリミットは、あと3日です」
冷たくそれだけ告げて、その場を後にした。



その後もハントの記憶が戻る気配はなく、いよいよ明日プテリュクスに着くというまでになった。
ハントは以前までではないが少しずつ船員や仲間たちと馴染んできていた。
そんな中ヴァイスだけは一定の距離を保っていた。
やはり、嫌われているらしいとヴァイスの背中を見つめてハントは思った。
しかし、何かヴァイスの背中を見る度に心の奥がざわつく。頭の奥で何かが叫ぶ。
思い出せ、と言っているように。

ヴァイスはラウンジを後にしデッキへ向うようだった。
ハントは自分でもわからないが、その背中を追ってデッキへ向っていた。
「…何か私に話でも?」
風に銀髪を靡かせ、感情の乗っていない視線を送るヴァイス。
ハントは気まずそうに目を泳がせながら
「なんとなく、君が気になって」
「ふうん」
ヴァイスは興味なさそうに言い、視線を逸らす。
「どうですか具合は」
「あぁ、体調は至って健康だ」
「…記憶の方は」
「全く」
そう言うハントはどこかさっぱりとした顔で、ヴァイスは思い切り怪訝な表情を送る。
まさか、と脳裏に必死の表情のラナの顔が浮かんだ。
「まさか…記憶が戻らなくても構わないとでも?」
「そういう訳じゃないが、以前の俺は大した人間じゃなかったようだし、ここの人たちは皆このままの俺にも優しくしてくれる」
彼のどことなく晴れやかな表情に確信を抱いた。
ざわり、ヴァイスの周りの気配が殺気を帯びる。
このままでは―――
しかしハントは気付くことなく話を続けた。
「なんだか、記憶が戻るための鍵が見つからないような、何か足りないような気分なんだ、今。だから俺はずっとこのままなのかなぁ、と」
―――ばちばちっ
ハントの耳にも、そのはぜる音が届いた。
だがその口からはするすると言葉が零れ落ちて止まらない。
「…君だって、俺のことが好きではないんだろう?なら、このままでも」
「―っ!!!!」
ものすごい轟音。ハントがぎょっと目を見張った。
このままでは―――『ハント』は帰ってこない。
空を切り裂くような音と共に、眩い雷がハントのすぐ側に落ちた。
地響きとその迫力に驚き思わず身を屈める。
「…誰がいつそんなことを言いました…?」
発散しても尚ヴァイスの周りに纏わりつく魔力と雷がばちばちと音を立てた。
圧倒的な威圧感と怒りのオーラにハントはただただ黙っていることしか出来ない。
「貴方はこのままで、私たちと共に居られるとでも?」
ヴァイスは口角を吊り上げる。
ばちばち、手に宿る金色。彼の銀髪をふわりと浮かばせる魔力のオーラ。
「はっきり言って差し上げますよ。今の貴方は足手纏いでしかない。明日街へ着いたらこの船を降りて頂きます。異論はありませんよね?銃も使えない貴方が一緒に居て何の役に立つと?」
ハントは口を堅く引き結ぶ。
「また貴方は言いましたね、今のままでも受け入れてくれる…と」
「あ、あぁ」
ヴァイスはゆっくりとハントに歩み寄る。
「私は、認めません」
キッパリと言い切った。
「私には貴方は必要ない。私が求めているのは…『ハント』、」
目の前のハントをじっと見つめる。
瞳の奥、どこかで眠る彼を呼び起こすかのように、その名を呼んだ。
「『ハント』。貴方だけです」
「…!!」
ハントの胸の奥で表しようのない感情が生まれる。
あのラナさえも言わなかった、以前の彼が良いという台詞をヴァイスは真剣に言ってのけた。
「貴方以外の『ハント』なんて必要ないんですよ」複雑な表情を浮かべるハントに余裕の笑みを見せる。
「…」
「貴方が居ないとつまらないのですよ」
微笑み、それから唐突にが輝いた。霧散する魔力、音と光だけのエネルギーの放出。
「…待ってますよ、『ハント』…」
―聞き間違いかと思った。
ヴァイスは何事もなかったかのように歩いて行く。
一人取り残され呆気に取られるハントの頬を乾いた風が撫でていった。

あの青年のあんな必死な姿など誰が想像出来るだろう。
しかしそんな表情をさせられるのは自分ではない。この身に沈んでしまったかつての自分なのだ。
そう思うと、自分を否定された悲しさより他の感情が強く現れた。
『ハント』が羨ましい、と。
あの青年を必死にさせるなんて…『ハント』になりたい、と。
ふ、と笑顔を漏らした。



目を開けると見慣れた茶色い天井があった。
起き上がろうとするハントの頭が鈍く痛む。長い夢を見ていたのか、今までの記憶がない。
取りあえずラウンジに向う。と、バケツを持った老婆と出くわした。
「おや」
「おっ、婆さん元気そうだな」
ハントは言ってから軽く笑って
「お持ちしましょうかお嬢さん?」
「はっ、お断りするよ。それよりあんた頭は良くなったんかい?」
「…そりゃどういう意味でだ」
複雑な表情をしていると老婆は笑って肩を軽く叩いてきた。
「はは、問題ないみたいだね。早く他の子たちに顔見せてやりな」
「あぁ…?」
ハントは訳もわからず老婆を見送る。一体何だって言うのだろうか。
がしがしと頭を掻く彼はそういえば、と一つ気が付いた。
船が、走っているのだ。
確かあの魔獣がうようよいる森の手元に停泊させていたはずが、何故?とハントは勢いよくラウンジに飛び込むと一同が目を丸くする中驚きの声を上げた。
「何でプテリュクスに向ってんだよ!?」
「…ハント?」
ロナードが訝しげな目線で見やる。
「つーか今何日だ?一体何が何やら…なんでこんな記憶がぽっかり抜けてんだか」
昨日までのハントとは明らかに違う様子にラウンジがざわめく。
まるで、
「…記憶が戻ったのか?」
「はぁ?」
ハントは怪訝な表情をレイナスに向けた。
「お前そりゃどういう意味だ」
「覚えていないの?」
「お前がこの何日間にどうなっていたのかを」
ずいっとにじり寄る女性陣にハントは両手を上げた。
「そんな見つめられたって何にも出ないぜ?一体何の話だ?」
「今の切り返しは確かにおっさんだ!!」
「何だよザード急に叫ぶな。煩せぇ」
煩いと言われたにも関わらずどことなく嬉しそうなザード。ラナとニアに至ってはもう泣きそうになっている。
「おいおいニアちゃん、ラナちゃん…」
「昨日までハント色々大変な状況だったのよ」
「おじさま…ぐす、良かったぁ…」
状況は飲み込めないが、皆が自分の身を案じてくれていたのは本当らしい。
ラナの頭を撫でながら
「なんかよくわからねぇが…心配かけたな」
「けっ、そのままでも良かったのによー」
「嘘。ザード、あんなにハントのこと心配してたのに」
「う、嘘言うなよニア!!」
途端にハントににやついた笑顔を浮かべ
「何だよお前、俺が居なくて寂しかったのかよ」
「馬鹿!!そんなんじゃねぇよ!!」

ラウンジはいつもの明るさを取り戻したのだった。



「…おい」
ハントが前を行く人物を呼び止める。
その人物はさらさらの銀色を靡かせゆっくりと振り返る。
その表情はいつものごとくどこか冷たく、高圧的で
「何です?」
「お前何かしたろ」
「はい?」
ヴァイスは片眉を上げる。
「…昨日までの記憶がない人が何を言いますか」
「まぁな。ずっと寝てた覚えしかねぇや」
でもな…と彼は言葉を続け、照れ臭そうに頭を掻く。
「お前の声が聞こえたんだよ」
「私の?」
「あぁ、ハントって。それでヴァイスが待ってるから起きなきゃって思ってさ」
「…」
ヴァイスはじわじわと頬を緩め、いつもの勝ち誇った笑みを零した。
「それはそれは。私に感謝してくださいよ」
「はっ。それよりもお前もあれか?俺が居ないと寂しいクチか」
「誰に向って言ってるんです」
ふふ、と笑ったヴァイスにつられ、ハントも声を上げ笑った。
「やっぱりお前が居なきゃつまんねぇからな」
「おや、そこに関しては同意します」
「相思相愛?」
「まさか」
軽く手を振りその言葉を撥ね除ける。
ありがとう、とは言わなかった。
おかえりと言うつもりもなかった。
用意していた言葉はなくて、自然に出てくるセリフもない。
ただ、風が流れて、ただ、視線を外して笑いを漏らした。レイナスとロナードのように真直ぐな誰から見てもわかるような友情じゃない。
友情?親友?そんな言葉はふたりには似合わないし恥ずかしいのだ。
素直になれない意地っ張りなふたりは良く似ていて、それだからよくぶつかる。

互いに心揺さぶる大切な人にはかわりないのだけれど、そんなこと言ってやらない。




モドル











































































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