その大人を嫌いな理由。



自室に帰り、ぼふっと決して質が良いとは言えない布団に身を預けた。
ごろりと寝転がって手近に散乱している本をひとつ手に取る。だが、どうしても読む気になれなくて、冷たい革の表紙に頬をつけた。

思い出すのは先程のやりとり。
自分はなぜ、あんなことを聞いたのか、口にしたのか。

そして、あの男の言葉にどうしてこんなにも苛立つのか。



特にすることもない午後の時間、ラウンジではハントが新聞を読んでいた。
がさりがさりと乾いた音が響いて、煩いかなとも思ったがヴァイスも向かいの席に座り持ってきた本を開く。
眼鏡をかけてブックマークをしたページに手をかける。

こうして、同じ空間にいても何も話さず別のことをしている状況はこのふたりに限ったことではなく、エアベルンの仲間たちではよくあることだった。
そのうち誰かがチェスや腕相撲の勝負を持ちかけ、女性陣がお菓子を作り始め、何時の間にか全員揃っている。これもお約束だった。

数ページ本を読み進めて、ふとヴァイスは顔をあげる。
ハントは器用に新聞を折り畳んで読んでいる。そんな読み方を初めて見たヴァイスはぱちぱちと瞬きをしてからじぃっと見つめていた。
ページを捲りながら、反対側に織り込む。なるほど、とひとり頷いた。

「ん?なんか良い話載ってたか?」

なんの気なしにハントが尋ねる。ヴァイスは、まさかじっと彼の行動を見ていたとも言えず、

「え、えぇ。まぁ」
「ふーん」

ばさり。
ハントがまた新聞を畳む。
と、捲られたページに見覚えのある地名を見つけヴァイスは少し身を乗り出し、眼鏡に指をかけた。

「あ、この事件貴方の故郷じゃないですか。プテリュクスで10年に渡って活動していた海賊団がついに逮捕…へぇ、隠れ家があったんですか」

途切れた会話を引き戻す様に、すらすらと小さな文字を読み上げる。
なにかしら反応があると待ち構えていたヴァイスの思いに反し、ハントの手は止まったままだ。

「聞いてますか?」

言って、向かいの男の顔を見る。

「ハン…」

ゆっくりと、ヴァイスの示したページに戻る時、下げられた新聞の向こうにゾッとする程冷たい眼差しがあった。
その記事を流し読みすると、乱暴に新聞を小さく折り、テーブルに置いた。眉間に皺を寄せたまま、溜息を吐いて天井を見上げる。
彼の纏う空気はもういつものハントのものだったが、ヴァイスの心臓はどきんどきんと脈打って大人しくならない。
見てはいけないものを見てしまったような、恐怖。それと、確かに存在する好奇心。

「…つまらない内容でしたか?」
「ん?ああ、まぁな」
「海賊って、まさかあの大海賊グラッフルと関係があったり?」
「さぁ」

つれない態度のハントにむっと眉を上げた。
そんな態度をとられると更にむくむくと好奇心の方が恐怖より勝って膨らんで行く。

そういえば、ハントの過去についてはあまり知られていない。
ロナードも自分のことを口にしないから詳しく知らないが、ナイトスターというだけで察せられる部分はある。
一方のハントはどこの家の出だとか幼少期の話、マジックスナイパーと呼ばれるまでなにをしていたか、殆どヴァイスは知らないのだった。
時折自慢げに話すのは、もう狙撃手として名が知られており、戦地を転々としていたころの武勇伝だ。それ以前のことは聞いたことがない。

こちこちと時計が時を刻む。
呼応するどくどくという音はヴァイスの心臓で、それに後押しされるようにヴァイスは口を開いた。

「ねぇ、貴方の憎い人は誰ですか?」
「…あ?」

ハントが顔をこちらに向ける。
その表情は困惑と苛立ちが浮かんでいてヴァイスは笑みを強める。

「殺したい程憎い相手はいますか?」
「それ聞いてどうすんだよ」
「私が殺してきてあげます」
「…へぇえ」

目は全く笑っていないがハントは口の端を持ち上げた。

「そりゃあ愛情感じちゃうな」

その茶化したような余裕たっぷりのセリフに今度はヴァイスがこめかみをひくつかせる。

と、ラウンジの入り口付近でさっと逃げ出す小さな気配があったがふたりとも気にも留めなかった。
見あったまましばらく沈黙が漂う。

ハントには、殺したい人間がいて、彼は絶対に自分で始末をしないと気が済まないだろう。復讐、雪辱。誰だってそうである。
それを代わりに殺してやると言えばきっと彼は苛立ちを募らせる。ふざけんな、と吐き捨てる男の大人げない姿が見たかったのだ。そこから、彼の過去を少し想像することができるはずだったのに。

ヴァイスの多少なりとはある加虐的な思考は一瞬にして打ち砕かれた。簡単に言えばただの好奇心と悪戯心だったのだ。
それがハントは全く堪えていないどころか人を食ったように斜に構えて、それはできるもんならやってみろと言わんばかりである。

「愛情?馬鹿言わないでください」
「え、違うの?だって俺の手を汚させたくない!みたいなことだろ」
「呆れます。本当に貧相な思考なのですね」
「はっ、どっちがだよ。ガキみたいなことしてんな阿呆」
「な…っ、」

にやにやと戯けていた顔から一転、低い声できつく言い捨てる。
ヴァイスは頭に血が登り、机を強く掌で叩いた。全て気づいている向かいの男は冷めた目で様子を見ている。

「もっと、お前は賢いと思ったが、ヴァイス」
「…余計なお世話ですよ」
「お前の遊びに付き合う気はない。そんなことで俺の過去を話すつもりもない。知られたくもないし慰められたくもない。同情だって勘弁。それから、」

それこそどっちが子供だと言いたくなる様な身勝手なことばかりつらつらと。ヴァイスはぎゅっと口を引き結ぶ。

一呼吸おいて、ハントは立ち上がる。
新聞を引っ掴み、ちらりとヴァイスを見た。

「それから。お前の手を汚したくもないし」

据えられたゴミ箱に手にしていたものを投げ入れてラウンジから出て行く。
立ったまま宙ぶらりんにされたヴァイスの気持ちは、行く宛をなくしもやもやと心に積もる。

いつもは子供みたいに、大人げない癖にこういう時ばかり。
自分が敵わないくらいずっと大人なのだと思い知らされる。

面白くないと爪を噛んで、ヴァイスも部屋を後にした。



ごん、と拳で扉を一回叩くのはハント流のノックで、そんなものはノックとは言わないと何度言ったって直らない。
そのノックの後にヴァイスーと間延びした声がかかり、続いて開けてーと聞こえる。
ヴァイスは苛立ちを通り越し、呆れていた。

開ければハントが気軽によっ、と手を上げる。

「なんの用ですか」
「んー、なんかな。ロナードに謝れって言われた」
「ロナードさんは事情を?」
「いや、ロナード曰く。ザードがヴァイスにビビらされてた。ヴァイスが苛々してるのは大抵お前のせいだろう、だと。ひでぇよなぁ」
「それで謝りに?」
「大人しく」
「馬鹿ですか?」
「かもな」

ほら、と差し出すのはニアが焼いたというクッキーだ。
謝れと言われたという子供じみた理由。しかし本当に素直に謝りにこれるのは彼が大人だからか。
ヴァイスは大きく肩で呼吸をして、良いです、と言った。

「元は私がふざけたことをしたからです。すみませんでした」
「じゃあおあいこってことで」

彼はヴァイスの手に載せた皿からクッキーを摘み口に放り込む。そして至極嬉しそうに目を細めた。
ヴァイスもクッキーをかじり、穏やかな気分になった。
今日あったいざこざとか、子供っぽい自分の行動や大人くさい誰かの言葉。そんなもの、まぁいいやと思ってしまうような素朴なクッキーの味。信頼し会えた仲間の繋がりを感じる。

と、しみじみ感じているヴァイスに、最後にこんなことを言うのだ、この男は。
「あ、お前の殺したいやつは俺が撃ってやるよ」

一撃必殺、マジックスナイパーとは俺のこと。その代わり報酬は弾むぜぇ。
歯を見せてハントは歩いて行った。
途端にあたりが静かになったようだった。咀嚼した甘いクッキーをごくんと飲んで、脱力したように肩を落とす。

「大嫌いですよ、あんな大人なんて」


モドル


























































































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