その大人を嫌いな理由。




ザードが青い顔をして、しかし決意の籠った凛々しい目をして話しかけてきたので、ヴァイスはあぁさっきの話を聞かれていたのかと感情の乗らないどろんとした目で振り返った。
ザードは何を勘違いしたのか、

「俺、誰にも言いふらさないし、変に思ったりしない!」
「いやいや十分変な誤解してますよね?」
「え、ちげーの?」
「違うも何も…」

途端にかぁと頬を染めザードは、そっか、ならいいんだと笑った。
なるほど、先程の会話を中々色のついた会話だと思ったのか。ザードの勘違いはさておき、あの内容でそんな誤解が出来るとは、とザードの理解力にこっそり驚く。きっとレイナスあたりじゃあなんとも思わなかっただろう。

「へへ、深刻な雰囲気だったしさ。俺、ビビっちゃったよ」
「そうですか。そのまま勘違いしていれば幸せだったかもしれませんね」
「へ?」

ふたりの立つ廊下は冷たく、とても静かだ。まるでふたりだけ残して時が止まったかのように感じてしまう。遠く微かに聞こえるクルーの声と足音だけが、ここは商業船エアベルンの中だとザードの意識を繋ぎとめる。

ヴァイスは表面に出ていないがとても苛立っていた。
本当はザードにだって振り返りたくはなかったが、彼の切迫した声に渋々応じたのだ。
棘のある意味深な言葉にザードはぽかんと口を開ける。

「誤解なさらないで、ザードさん」

にぃと、艶やかに唇を弓のようにする。まるで男を騙す悪い女のようなその空気に、ザードは息を呑んで、見ていられなくて下を向いた。

「私はあの人が大嫌いなのです。貴方が想像した艶っぽいことは何もなく、むしろ砂漠のようにからからな干からびて草木も生えないような、修復不可能なほど、私はあの人が嫌いです」
「ご、めん」
「構いませんよ、そう見えたのなら今後はもっと仲が悪いように接するだけです」

喧嘩するほどなんとやら、そんな風に取られたら不快ですから。
ヴァイスは言い放ち、くるりと背を向けた。ごめん、ザードの声が揺れる。

「でもさ!」

立ち去ろうとする細い背中に、気持ちを奮い立たせザードは声をかけた。ぎゅっと拳に力がこもる。なのに心の中では振り返るな振り返るなと弱気なことを考える。

ヴァイスは振り返らなかった。
そのまま、呼吸を整えて問いかける。

「なら、なんであんなこと聞いたんだよ!」
「…あの人は答えなかった。答えの得られない問いは聞かなかったことと同意。そんなこと、ありましたっけ?」
「誤魔化すなよ!」

誤魔化しきれてないくせに、とまでは恐ろしくて言えなかった。
ヴァイスが、振り返った瞬間最強魔法を発動させるのでは、という恐怖と、彼にこれ以上言ったなら、その透き通る瞳から涙が零れてしまうのではと思ったからだ。

痛々しい。
ヴァイスを見て思った。

ザードの質問は解答が得られなかったので、なかったことになる。なかったことにして欲しいのだろう。ザードが見かけてしまったあのやりとりを。

あの涼やかな面立ちと振る舞いで感情を隠すのがうまそうに見えて、実は子供みたいに表情に出てしまう彼に同情する。
だって、彼が嫌うあの男は飄々とした面で、何もかも隠しているに決まっているのだから。
ヴァイスがなかったことにしなくたってもうあの男の中ではなかったことになっているはずで、なかったことになんてできっこないヴァイスはひとり部屋で何を思うのだろう。

「ザード」

と、ヴァイスの背中が見えなくなった時不意に廊下の先から現れたロナードがくいと顎を動かした。手合わせを頼んでいたのだ、ザードは慌てて彼に駆け寄る。
ロナードはだらりといつもより気だるげに剣を携え、トレードマークの軍服は脱ぎ黒のインナーだけ。涼しい表情にほんのり汗が香っていたのでひとりで鍛錬をしていたのだと察する。

「うわ、ごめん!約束の時間過ぎてる?」
「ああ、でも気にするな。ヴァイスと話し込んでいたんだろう?」

ロナードは剣を持っていない方の腕をぐるりと回す。ひとりで確認したい動作もあったと彼は呟いた。
ザードは、ぴたりと足を止めて、その言葉は全く耳に届いていなかった。

「…ザード?」
「…俺が、ヴァイスと話してたって、知ってんだ?てことは見かけたんだろ、俺らを。話も聞こえたんだろ?なんで、何も聞かないんだ?」

もとより彼が他人に深く関わる性質ではないことは知っている。でも今回はわざと聞かないようにしている気がするのだ。

ロナードは、ふと口元を緩める。

「聞いてくれるな、ザード」

その表情がなんとも大人びているものだから。

「…大人って、キライだ」
「俺もだ」

口を尖らせるザードと、それを見て困ったように笑うロナードの表情は、子供のようだった。


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