1 事件勃発


ちょっと話があるんだ、とエアベルンの自室の扉の向こうから控え目に声がかけられた。レイナスはあの豪快な上司らしくもない周りを気遣うような、少しおびえたような声色に首を傾げた。
室内に招き入れると、ドモラはうつむきがちに差し出した丸椅子に腰かける。いよいよおかしいぞとレイナスが思った時だった。ぎりりと引き結んだ唇が僅かに開いた。

「軍のほうから指令が入った」
「指令、ですか」
「あぁ。厄介事を頼まれてほしいと」
「はぁ」

カイゼルシュルトの軍人である彼らは、国から多くの支援を受けている。食糧や多少の金銭面での支援。何より武器や防具は定期的に支給されている。そのため時折こうして軍の仕事や調査依頼が入ったりもするのだ。決して珍しいことではない。ドモラが何故言いづらそうにしているのかが理解できなかった。

「それで、内容は」

また近くの浮島の調査、もしくは行方不明になった隊員の回収だろうか。

「…うむ」
「どうしましたか?」
「うむ、内容なのだが…」

ドモラは床に落としていた視線をすぅっとレイナスの深い茶色い目に当てる。わけがわからず目を丸くするレイナスに、対照的にドモラは鋭く目を細めた。鬼のドモラと言われる厳しさが垣間見えて恐怖すら感じてしまう。

「言えん」
「…へ、」
「言えんのだ。今は」

じゃあ何を伝えに来たのだろう。肩透かしを食らうような気分になって、少しかくんと体を傾ける。そんな部下に見向きもせず、ドモラは巨体を揺らし椅子から立ち上がると、さっさと部屋を出ようとする。先ほどのあの目は、射抜くような目はなんだったのだろう。

「レイナス」
「はい」

ドアノブを回す前に、ドモラが言った。

「ひとつだけ忠告しておく。『決して仲間を裏切るな』」
「…」

レイナスは無言で、敬礼を一つ。それが正しい反応のように思えたからだ。
ばたんと室内に静けさが戻ってくる。レイナスは、木でできた薄っぺらい扉を見つめ、にんまりと笑みを口元に浮かべる。

「…さすがですね、ドモラ少佐」



よく晴れた日のことだった。その日の昼食はニアとレイラが作ったマッシュポテトとオムレツ。デザートにはもはや定番と化した赤い果物があった。食事はエアベルンの正規クルーが優先だ。残った食材で皆が働いている昼下がりにレイナスたちの食事となる。食後の団欒、ラウンジの外からは休まず働く男たちの声。つかの間の心休まる時間だ。その温かな空気を割ったのは、やはりドモラであった。咳ばらいをし、聞いてほしいことがあると告げた彼に、レイナスはカフを飲むふりをして仲間たちの様子を見まわした。

「カイゼルシュルト軍から、要請依頼があってな。次に停泊する浮島で少し働いて欲しい。なに、簡単な仕事だ。ばっとアジトに乗り込んでがっとやっつけてざっと立ち去る」
「…ドモラ少佐ァ、それ作戦か?」

ザートの静かな問いに確かに、と笑いながら全員がうなづく。ごほんと誤魔化すように咳をした。やはり最近のドモラはどこかおかしいように思える。だが隣に座る彼の妻はいたって平常で、優雅にカフをすすっている。

「で?内容は?」

ハントがつまらなそうに顔を上げる。

「…うむ。実はな公にできない極秘任務だ。みんな気を引き締めてほしい」
「その前に」

静かにヴァイスが手を挙げる。

「その任務は全員が参加するのですか?言いましたよね、少佐。簡単な任務だ、と」

上目遣いに顔を見てくるヴァイスにピクリと僅かだがドモラの頬が引きつった。確かに簡単な任務であれば全員が出動する必要はない。しかもこれはカイゼルシュルトの依頼だ。今までもカイゼルシュルトの軍人を中心に、ハントやザード、時にヴァイスを加え任務をこなしていた。特にニアやラナといった女性陣まで参加させる気なのだろうか。

「あぁ。だが今回は全員に参加してもらう」
「…決して今が平穏な時というわけではありませんよ」
「理解しておる。が、だ」

ニアたち女性陣も含め全員だ。ドモラはそう告げた。

「…了解いたしました」
「おいおい、それまじで簡単って言えんのかー?」

ヴァイスはその答えに満足そうに笑い、ハントは軽口を飛ばした。ザードはそれぞれの顔を見比べて、いつもとどこか違う空気に戸惑っていた。最後に不安げにロナードの顔を見上げたが、彼はいつも通り無表情で判断付かなかった。

任務の内容はこうだ。とある浮島で野党が暴れていると。軍も駆けつけたのだが彼らの持っている武器がただの野党と比べ物にならないもので、情けなくも甘く見ていた軍隊は一時撤退したという。その武器と言うのもカイゼルシュルト軍のものが奴らの手にあったというのだ。カイゼル軍人にのみ支給されているはずのものが何故、まさか誰か流したのでは、と

「ちょっと待って。それって私たち疑われているんじゃないの?」

不安げにニアが言った。ドモラは答えなかった。
そう、この任務の本質はそこにあった。武器庫から盗まれた形跡も、誰か軍人が襲われたという報告もない。ならば考えられるのは一つ。支給物を横流ししているのだ。しかし一介の軍人がそんな事をするわけがない。自分の武器がなくなってしまう。それにその野党の有している武器はひとつやふたつではない。例えて言うならば、定期的に支給している積み荷をそのまま渡したような、量なのだ。
ラウンジはしんと静まり返る。

「今回の任務、厄介なのは我々の中に裏切り者がいるかもしれない、というところだ」

軍の上層部もそれを疑いドモラに任務を託したのだろう。ハントはげぇと舌を出しあからさまに嫌そうな顔をした。

「胸クソ悪ぃー。なにそれ、全員でかかれって全員が容疑者だからなんだろ?馬鹿馬鹿しい、んな暇ねぇっつーの」
「そんなこと言ってると疑われますよ。野党がもしプテリュクスの出ならば特に」
「あぁ?テメェだって余裕ぶっこいてらんねぇぞ?そもそもセントミラとカイゼルだって仲良こよしだったわけじゃねぇ。こういう小さいことから中を崩しにかかるってこともあり得る。それに頭のよーくキレるヴァイスさんならこれくらいの小細工…なぁ」
「なんですって?」
「お前らやめろ」

仲間同士で疑いあうなんて、とロナードが制したが、そんなロナードだって疑いがかかっている。ちらりとヴァイスとハントが彼を見る。

「お前だって」「あなただって」

やめなさーい!とニアが叫んだ。

「…混乱を招いてすまない。今回は皆の潔白を晴らすためにも協力してくれ。な?」

ドモラが頭を下げる。皆、しぶしぶといった様子だったが、それぞれ返事をした。壁にかけた時計のベルが鳴って昼の休憩時間がちょうど終わる。ザードが大きく伸びをして見張りの当番だとラウンジを飛び出していった。食器を片づけない彼の背中にラナが大声で怒鳴る。いつもと同じ光景だった。
だが誰しも心の中は窓の外とは正反対の曇天模様。どことなく元気がなくうつむくロナードに、レイナスはただ肩を叩いてやるしかできなかった。



深夜、誰ももう起きていはいないこの時間にこそこそと動く影。ラウンジに差し掛かるとベッドの上に大きな男が寝そべっているのを確認し、かさかさと中腰で近づいた。足元のほうから近づいて、頭のほうに、

「おいでけぇゴキブリ」
「いだっ!」

ベッドに寝ていたハントは、にじり寄ってくるザードの頭めがけてかかと落としをお見舞いした。涙目で頭を押さえるザードに眠そうに、足が長くてね、と言ってのける。

「それよりどうした。もう子どもは寝る時間だぜ」
「うっせ子どもじゃねぇし。ってそうじゃないんだ。おっさんに聞きたいことがある」
「んだよ」
「裏切り者、誰だと思う?」

ハントはあ?と半眼で睨んだ。ザードは意に介せずむしろわくわくとした目で見つめてくる。好奇心に満ちた少年にため息をし、ごろりと天井を向いた。

「…まずお前らはシロだ」

ザード、ニア、ラナの3人はエルディア出身でクラウディアの事情にそこまで詳しくない。なによりカイゼルシュルトの武器を流して得られるものなど彼らにはなく、またそんなことをできるようにも思えない。

「ま、得た金をエリオルに送ってるとかならまた話は別な」
「んなことしてねぇよ」
「だろ?」

と、なると残りのメンバーなのだが、困ったことに皆怪しく、グレーと言ったところだ。

「少佐はねぇだろうとは思うんだけど」
「今回の件の発端だからか?」
「まぁな。あの人の性格、キャリアを考えてもこんなくだらないことを起こすとは思えない。今日の様子からも。でもなぁんか引っかかるんだよなぁ…」
「じゃあレイナスとロナードは?」
「怪しい。レイナスは嘘がつけないだろうけど、ああ見えても軍人だ。案外腹の中は真っ黒かも。ロナードはポーカーフェイスだし、またなんかに取り憑かれてたらやりかねん」

ザードはまさかぁと笑った。

「ヴァイスはありゃ限りなくクロに近い灰色だ。なんでもできるぜ奴は。国同士のことを考えても…もしかしたらセントミラ王直々ってことも」
「ライは特殊部隊だし一番信憑性強いよな。単独行動も多いし」
「大穴がレイラさんな。少佐もこれにゃあ気付かないだろ」
「うわ、みんな怪しい…」

何か有名な絵画のように顔を手のひらで挟む。ハントはにぃと笑うと自分を指差した。

「それから、俺な」
「それはない」

ザードは立ち上がる。寝るわ、と言って手を肩越しに振る。

「なんでそう言える」
「おっさんの場合…その計画を聞いて、全部知ってて、断わりそう。つまんねぇとか言って。だから俺はおっさんに聞いたの」

ハントはふぅんと相槌を打ち、タオルケットを腹にかけなおしてハントは目をつむった。まぶたの裏に先ほどの少年を浮かべる。

「なかなかの目利きじゃねぇの、ザード君」

そうそう。おじさまはそんなくだらない依頼には応えないのよー。歌うような独り言がラウンジの天井に吸い込まれていった。

レイナス。ロナード。ハント。ヴァイス。ライ。ドモラ。レイラ。

「7人…か」

多くて誰が犯人なのかなんて見当もつかない。だが願わくば全員が犯人ではないという結果であってほしい。少佐も言っていた。皆の潔白を晴らす、と。

「気分悪いもん。仲間を疑うなんて。ぜってーみんなシロだって!」

俺がみんなの疑いを晴らしてやる!ザードは両手を高く突き上げた。

































































































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