※いじめ表現があります
朝学校へ行くと、上履きがなくなっていた。
流石に困ったので、仕方なく裸足のままペタペタと廊下を探し歩いていると、集団で固まっていた女の子たち数人にクスクスと小さく笑われた。
ああ、やっぱり犯人は霧野ファンか。
三日前のあの日から始まった嫌がらせは、徐々にエスカレートしはじめている。
最初こそ消しゴムがなくなったり、小さな悪戯みたいなものだったが、
私が特に気にかけることもなく生活していると、廊下で肩をぶつけられたり足をひっかけられたり、とあからさまなものに変わっていった。
始めから今までで変わらないのは、これらの行為すべてに紛うことなき悪意がふんだんに込められていることである。
上履きは案外あっさりと見つかった。
校舎裏のごみ箱に無造作に投げ入れられていたそれをつまみ上げると、中からバラバラと無数の画鋲が落ちてくる。
生ごみとかでなかっただけマシかな、などと思う辺り私の感覚はそろそろ麻痺し始めているのかもしれない。
中に入っているそれらを落としきってみると、踵の辺りに紙の端切れと共に一本だけ画鋲が刺さっていた。
無理矢理引っこ抜いて二つに折り畳まれたそれを広げてみると、
【霧野くんに近づくなブス!】
と乱雑な文字で書きなぐられている。
分かっていたことではあるが、犯人は確定だ。
***
教室のドアを開くと、まるでスイッチを入れたみたいに空気が変わり、クラスはシーンと静まり返った。
「嫌がらせなんて気にしないほうがいいよ。」
なんて優しい言葉を掛けてくれていた友達は、あからさまに跳ね除けたりはしないものの、日が経つにつれて態度はたどたどしいものになっていった。
大方、圧力でも掛けられたのであろう。
それでも横を通り過ぎるときに「…おはよう。」と蚊の鳴くような声ではあるが挨拶をしてくれる。
けれどちらりと目を向けた彼女は後ろを向いていて、目を合わせてはくれない。
ギュッと握られた両手はカタカタと小さく震えていて、申し訳なくなった。
友達に迷惑を掛ける訳にはいかないので、さっさと自席へと移動し着席する。
椅子に乗っかっていた多量の埃はあくまで平然と払い落とした。
ふと顔を上げたら教室の前方に居た一乃と目が合ったが、すぐに逸らされてしまう。
あの日から一乃とは連絡が取れていない。
電話も取り合ってはくれず、必死になって送ったいくつものメールはついに一つも返事がなかった。
拒絶の言葉を直接本人から浴びせられるのが怖くて、未だに話掛けることも出来ずにいる。
状況はますます悪化していく一方だった。
***
お昼休み、午前中の授業を終えやっと迎えた気楽な時間に学校中が活気づきだす。
おしゃべりをしだす人、さっさとお弁当にありつく人、机に突っ伏し居眠りしだす人。
皆おのおの好きなように自由な行動をはじめていた。
廊下は購買へ全力疾走する人たちの足音でバタバタと賑わっている。
私はその人達に紛れるように、お弁当の袋を抱えてそっと教室から抜け出した。
嫌がらせ初日はいつも通りに友だちと近くの机をくっつけてごはんの時間を過ごしていたが、
昨日になって私たちのグループはあからさまに口数が減ってしまった。
わざとらしく私に浴びせる嫌みと陰口の数々がそうさせたのだ。
まるでお葬式でもあったかのように、顔に影を落として静まり返る皆の中で、ああもうここには居られないな、ということをひしひしと悟ったのだった。
廊下を歩きながら、人目の付かない場所を探して回る。
教室を出てもなお、罵声や陰口はとめどなく背中に浴びせられた。
言われのない悪口の数々にいい加減うんざりしてきていた私は、やっぱり移動するなら外しかないかなどとぼんやり考えはじめていた。
「あれ、笹木さんだ。」
突然憎たらしいボーイソプラノに名前を呼ばれ、身体が一気に冷えるのを感じる。
奇遇だな、などと気軽に声を掛けてくる方へ目をやると、予想通り霧野が立っていた。
手にはビニール袋が下がっている。どうやら購買帰りらしい。
あの日から、霧野は事あるごとに私に構ってきた。
野次が飛んで来ようがあからさまに私を詰る声が響こうが、まるで彼には聞こえていないようで、霧野は私にひょうひょうと話し掛け続ける。
それがまた彼女達のカンに障り、更に嫌がらせに拍車が掛かって、全くもって非がない私に災難が降り懸かるものだから実に腹立たしいことこの上なかった。
まさかこいつにはこの死闘と呼ぶに相応しい女の戦いが見えていないのだろうか。いやさすがにそんな訳はないだろう。
ともかくこいつと関わるとろくなことにならないので、私は大方それらのちょっかいを無視し続けている。
これが事を荒立てない、一番の有効手段だった。
なので今日も唇をきゅっと一文字に結び、何事もないように目を合わせずスタスタと横を通り抜ける。
…はずだったのに、なぜか私の右手首は細くて華奢な指でぎゅっと締め上げられている。
「無視とか、傷つくんだけどな。」
形のいい眉をハの字に下げて、霧野は困ったように笑った。
その言葉に、態度に、頭にガッと血が上るのを感じる。
こちとらお前のせいで心は傷つくどころかボロボロの雑巾レベルである。
あまりにも無神経な奴の態度が頭にきたので文句のひとつでも浴びせてやろうと思い口を開いた瞬間
「あ、その袋ってもしかしなくても弁当だよな」
と言葉を被せられ、またも言い損ねた言葉を飲み込むはめとなった。
「ちょうどよかった、一緒に食べようぜ。」
「っはあ?!」
嫌よ!と即座に返すときょとんとした目で「なんで?」と返される。
なんで?むしろその言葉がなんで?である。
何が楽しくて自分の災難の根源と仲良くお昼を共にしなければならないのか。
大体、事を荒立てないために教室から出てきたのにそれでは全く意味を成さなくなってしまう。
私を馬鹿にしているのだろうか。身体の中でグツグツと沸き上がっている怒りが収まらない。
「ひとりで食べても美味くないだろ。」
な?だからいいよな、と勝手に自己完結した霧野は、そのまま私の手を引いて勝手に移動を始めた。
全力で抵抗を試みたが、霧野は細くて華奢な身体に全く似合わずかなりの力を備えていてびくともしない。
反抗も虚しく、私は有無を言わさず連行されるはめとなった。