「3組のあの子、霧野くんに告ったんだってぇ」
身のほどを知れって感じ!
キャハハハと高くて耳がキンとするような声を教室中に響かせながら、彼女達は毒を吐き続ける。
1時限目の授業前、少しだけあるフリーな時間をクラスメートたちは思い思いに過ごしていた。
クラスの派手めな女の子たちは教室の隅に固まって、朝から元気に噂話に花を咲かせている。
せっせと1時限目の英語の予習を自席で勤しんでいた私は、気にしない振りをしながら、けれどどうしても耳に入ってしまう彼女達の声に溜息を漏らした。
自由に過ごしているようにみえるクラスメートたちも、よくよく観察してみると少しばかり声を押さえていたりと彼女達に気を使っている様子である。
まるで蜘蛛の糸が張り巡らされているみたいにピンとした妙な緊張が走っていて、教室は微妙に息苦しい雰囲気にまとめあがっていた。
「おはよう、笹木。」
声を掛けられたので顔を上げてみると、今しがた登校したばかりらしい一乃が目の前に立っていた。
「おはよう。」とあいさつを返すと一乃は耳元に顔を寄せてきて
「どうしたのこれ、何かあったの?」と小声で問い掛けてくる。
我が彼氏ながら弱々しい態度につい苦笑してしまう。
「いつもの噂話だよ。
なんか誰かが霧野くんに告白したみたい。」
「そっかまたか、霧野モテるよな」
元々サッカー部であった一乃は、一年生の頃からよく霧野くんとのパイプ役として女の子たちからこき使われていたらしい。
そのせいかなんだかとても苦々しい顔をしている。
お人よしというのも結構損な役回りだなあ、なんて思ったり。
「それに比べて、一乃と付き合ってても誰も何も言わないからいやはや本当助かるよね。」
「それは嫌味と受け取っていいのかな?」
「いやまさか。」
ステキな彼氏さまでいつも感謝してるよありがとう。
と満面の笑みで白々しくそう言うと、口元を微妙に引き攣らせて、なんとも形容しがたい複雑な表情を浮かべていた。
不服そうに一乃が口を開いたところで「授業始めるわよー」と前方のドアから音無先生がやってきたから
「ほら、早く席戻らないと。」とにまにましながら背中を押した。
恨めしそうな表情を一度こちらによこし、一乃は小走りで自席へと戻って行った。
***
放課後、一乃と帰ろうと思って辺りを見回すと彼らしい人物が見当たらなかった。
あれれ、と思ってきょろきょろしていると
「一乃なら今先生に呼ばれて職員室行ったよ。すぐ戻ってくるんじゃない?」
と親切に青山が教えてくれたので、大人しく彼を待つことにした。
暇つぶしにトイレで髪でも結い直そうかな、と思ってふらふら廊下に出ようとしたところ、ポスンと誰かと正面からぶつかってしまった。
「わっ、ごめんなさいっ。」
「いや、俺こそごめん。」
返ってきた少し高いボーイソプラノが知らない声だったので、恐る恐る顔を確認してみると、朝から噂の学年の王子霧野くんだった。
一年の時もクラスが違った私は特に接点もなかったので、彼を遠目でしか見たことがなかったのだが、
近くでみると本当に恐ろしいくらい整った顔立ちをしている。
大きな猫目は少し驚いた様子で、縁取る長くて艶やかな睫毛をパチパチと何度も揺らしていた。
大きなエメラルドグリーンの瞳に透き通ったきめ細かい白い肌、極めつけが愛らしいピンク色のツインテール。
あまりにも完璧なかわいらしさに、女である自分が勝てそうな要素などちっとも見当たりそうもない。
なんだか少し悲しい気持ちになった。
王子というよりも姫の方がしっくりくるなぁ、だなんて今更な事実をひしひしと実感した。
「笹木さん、だよね?」
ちょうどよかった。と満面の笑みで声を掛けられたので驚いた。
ふわりと浮かべられたあまりにも端正すぎる微笑みは、まるで人形のようで少しぞっとしてしまう。
「えっと、一乃なら今職員室にいるはずだよ。」
ちょうどよかった、と言う言葉の意味を「一乃を呼んできて欲しい」に続くものだと解釈した私はそう返事をすると、
「なんで一乃が出てくるの?」
と霧野くんはきょとんとした顔を向けてくる。
「俺が用があるのは笹木さんだよ。」
と言われて、今度は私がきょとんとする番だった。
今、これがファーストコンタクトである私に何の用があるのだろうか。
てんで予想がつかない。
疑問符を浮かべて彼を見つめると、霧野くんは廊下中に響き渡るような声ではっきりとこう告げてきた。
「俺、笹木さんが好きです」
………は?
廊下が、教室が、全てが静まり返った。
が、それも一瞬でザワッと一気に周りのギャラリーが騒ぎ出す。
冷やかし、悲鳴、喚声の嵐。それに加えた突き刺さる視線すら気にならない位に、私の思考は置いてけぼりになっていた。
いま、いったい何が起こっているのだろうか。
予測不能な事態に頭が回り切らない。
彼の意図が全くわからない。
第一、私のあまり多くない経験による解釈だが、告白とは人目の付かないところでひっそりと行われるものではないのか。
少なくとも、一乃のときはそうだった。
それにサッカー部である彼は知らないはずがないのだ。
一年生の頃から週に何度か一乃の部活終わりを待って一緒に下校していたのを、まさか一度も見たことがないなんてことはあるまい。
割とオープンにしていた私と一乃の付き合いは周知の事実だったはずだ。
なのに、どうして?
けれど私は一乃と別れるつもりは毛頭ないし、この状況はどうにかしなくてはならない。
少し冷静さを取り戻してきた思考でそう考え、とりあえず霧野くんにその事だけは伝えなくてはと、彼へとまっすぐ向き直った。
いくらこの状況を創ったのが彼であっても、こんなに大勢の前で恥を掻かせるのはどうだろうと思い、少し小さめの声で
「あの、私一乃と…」
と告げようとすると、唇に綺麗な人差し指がそっと当てられた。
勢いを失い、発し損ねた言葉を渋々飲み込むと、霧野くんは満足げに指をゆっくりと離す。
そして代わりに伸びてきた腕にぎゅっと抱きしめられた。
あまりにも衝撃的な事態に身体が硬直した。
更に拍車を掛けた喚声に顔が青ざめていくのを感じる。
再び見た彼の唇は、不気味な位に綺麗な三日月を描いていた。