高尾
季節の変わり目。吹き付ける風が一段と冷たくなってきて、今年初めてのマフラーの出番も訪れた。ヒートテックなんかも着込んでしっかり気をつけていた筈なのに、うっかり風邪を引いてしまった。
朝の冷え込んだ寒さを耐え忍んでやっとのこと教室までたどり着き、ひざかけの毛布を肩から被りながら私はじっと自席でうずくまっていた。頭がぼうっとしていて、出来るだけ動きたくないのだ。
鼻が詰まっていてうまく息が吸えないので、マスクの内側で短く口呼吸をする。詰まっているというのになんだか水っぽい鼻水は、啜っていないと垂れてしまいそうで困る。ぐじゅぐじゅと変な音がするのも困る。ああ、いつも通りの、スムーズな呼吸が恋しい。風邪を引くと、いつも自分が息をしているのだということを実感する。やっぱり頭がぼうっとして、自分が何を考えているのかもよく解らなくなってきていた。
「はよーってあり?笹木風邪?」
隣の席である高尾はきょとんと首を傾げている。登校してきたばかりであるらしく、チェック柄のマフラーを外しているところだった。
「…引いちゃったみたい」
「あちゃー、辛そうだな」
「喉と鼻がつらい…」
「ばっちり風邪だねえ」
ずず、と鼻をすする。なんだか顔が熱くて、机に頬をくっつけてみると、いいかんじに冷たくて心地が良かった。
「つめたいー…」
「おいおい熱あんじゃねえの?」
「家で測ったけど、熱はなかった…」
「でも辛いんだろ?無理して来る必要なかったんじゃね?」
「皆勤賞が…」
「ばっかじゃねえの」
高尾は呆れたように溜息を零した。席に座りながらほお杖をついて、こちらへ顔を向けている。座ったことでやっと高尾が見えるようになったけれど、机に顔をくっつけている私からは、それでも視界のずっと上の方に見えた。
「マスクしてるけど、うつしたら嫌だからちゃんとうがいしてね」
「人の心配する前に自分の心配しろっつうの」
「でも…」
「でもじゃねえの。つうか本当に平気か?顔大分赤いけど」
保健室行くか?という問いには頭を振って断った。喉が痛いのであまり声を出したくないのだ。喉が渇いたみたいに痒くなったので、けほ、と咳を漏らす。がさがさした喉にはそれすらも沁みて、痛くて、思わず顔をしかめた。
「…喉いたい」
「あ、ちょっと待ってろ」
高尾は机のサイドに置いていたスポーツバッグを探り出すと、何かを掴んでこちらへ向き直した。手に持っているのは、たぶん、飴の袋。
「じゃーん、のど飴」
「…なんで持ってるの?」
「これ美味くてさ。最近はまってて。あんまスースーしなくて食べやすいんだよ。」
ほい、と高尾は私の手の平に三つ程飴玉を置いた。こんなにくれるの?と聞いたら「足りなかったらまたやるよ」と高尾は言った。ありがとう、とお礼を言って、がさりとひとつ、小さな袋を開ける。透き通ったオレンジ色の、ビー玉みたいな綺麗な真ん丸い飴だった。口に含むと、それは優しい甘酸っぱい味がした。
「…おいしい」
「だろ?俺もそれが一番好き」
「…オレンジ?」
「せいかーい」
てか袋に写真ついてんじゃん、と高尾は楽しげに突っ込んで笑った。
甘くて優しいのど飴は、ささくれたみたいな私の喉にスッと染み渡って、随分と痛みが楽になっていく。
なんだかこれ、高尾みたいだ。と思った。
隣の席の風邪引き迷惑女にでさえ、高尾はどこまでも優しい。身体が辛くて本当は泣きたいような気持ちがしていたというのに、高尾はすっかりそんな気持ちを吹き飛ばしてくれてしまった。
弱った心には、ちょっとした優しさでさえ深く深く染み渡る。
こうやって女の子を勘違いさせちゃうんだろうな、高尾は。なんて、そんなくだらないことまで考えてしまった。
「…高尾って、いいパパになると思うよ」
「パパ?!ぶはっマジで?!旦那じゃなくて父親かよウケる」
早く風邪なおすんだぞー、なんてお父さんみたいに頭を撫でてくる高尾の手は、大きくてあったかかった。
121105
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