高尾


*「ツナグ」のパロディ
*死ネタ

私が手を掛けるより先に開いた扉の向こうには、屈託のない笑顔が待っていた。
二ヶ月。その間見ることが叶わなかった恋人の顔は、色褪せることなく、最後に玄関から見送った姿そのままだった。釣り上がった眼の形、少しパサついた黒髪。見間違えるはずがない。恋い焦がれていた高尾和成、そのものだった。

「久しぶり、美奈子。」

少し掠れた甘い声が鼓膜を擽る。優しく紡がれるその音が、酷く懐かしい。涙と嗚咽が喉元まで込み上げてくる。和成だ、和成だ。私はその場で足元から崩れ落ちていった。


+++


その知らせを受けたのは、10月も半ばに差し掛かった日曜日の朝だった。
珍しく鳴り響いた自宅の電話越しに伝えられた現実を、私は受け入れることが出来なかった。

『和成が、事故に遭いました』

嘘、とか、そんな筈、という言葉が、意味を持たない音として口から零れていく。だって和成は、さっきまで此処に居たのに。

高尾和成とは、高校の同級生だった。バスケ部を通して知り合った彼とは、入学から暫くして恋人関係になり、順調に交際を重ねていった。
大学へ進学する際、父の転勤が理由で私は東京で一人暮らしを始めることになり、それから彼は頻繁に私の部屋を出入りするようになった。彼の家族との関係も良好で、だから和成の外泊先は知れていた。今日、彼が私の部屋で夜を明かしたことも彼の家族は知っていた。電話は、和成のお母さんからのものだった。

「事故、なんて…」

『…美奈子ちゃんのアパートに向かう途中の坂で、トラックと接触したの』

私は体中がぶるぶると震えていくのを感じていた。話のつじつまが合っているのが、この上なく恐ろしかった。
彼は、ちょっと買いたい物があるからと、私の自転車を使ってコンビニへと出かけて行ったのだ。すぐに戻ると、1時間程前に。自宅とコンビニを結ぶ経路の途中にその坂はある。確かに帰りが少し遅いと、気になっていたところだったのだ。

「和成は、和成は今…?」

『…あのね、美奈子ちゃん、よく聞いて』

全身が逆なでられるような悪寒が駆け巡っていく。なんでそんな窘める言い方をするの?なんでおばさんは嗚咽混じりなの?なんで涙声なの?なんで感情を押し殺した事務的な喋り方をするの?そんなに、酷い状態だと言うの?お願いだから不吉なことを止めて、止めてよ。

『和成は、死んだの。即死だったの。』

私は頭が真っ白になった。

+++


和成が居なくなったという事実は、私の中で現実味を帯びていなかった。信じられなかったし、何より、実感が少しも湧かなかった。それは、彼のお葬式であっても変わりなかった。

真っ白のお花に囲まれて屈託なく笑う和成の写真は、なんだか夢の中の出来事のように思った。その下に置かれたあの箱に和成が居ると言うことも、理解が出来なかった。姿を見れば何かが変わるかと思ったけれど、おばさんは泣きじゃくりながら私を抱きしめ止めるので、結局顔を見させてもらうことは出来なかった。

最後のお別れ、というとき。和成の体が燃やされてしまうなんて、信じられなくて、止めたくて、でもどうすることも出来なくて。啜り泣く声だけが幾つも響くしんみりとした空間で、私はただただ和成の入った箱を見つめていた。その時突然、集まっていたかつてのクラスメイトや大学の同級生であろう人達を押しのけて、ずっと寡黙に参列していた緑間くんが箱の中の和成に向かって怒声を浴びせた。

「この…っ大馬鹿者!!」

取り乱した緑間くんはまるで親の敵でもあるかのように和成を睨みつけて、その瞳からは留まることなく涙が溢れていた。食いしばる口許も、爪が食い込むほど握りしめられた拳も、悲しみなのか怒りなのか、わなわなと震えている。
普段の緑間くんからは想像もつかないようなその姿をきっかけに、かつてのクラスメイトたちは塞きを切ったように泣き出した。激しい、叫びのような悲痛な泣き声が酷く無機質な空間に鳴り響く。もう、我慢するものは誰も居なかった。
そして私も、膝から崩れ落ちた緑間くんの姿を見て、普段落ち着き払った彼を此処まで変える事態なのだということを認識して、初めて、ことの深刻さを実感した。和成は、死んだのだ。

理解した途端、私は気が狂うようだった。和成が、居ない。一気に喪失感の波が押し寄せてくる。居なくなってしまった。なんで。どうして。行かないで!
だって、和成には鷹の目があるじゃないか。後方から迫るトラックに気がつかないなんて、そんなこと、あるはずがない。有り得る筈がない。

…和成は、なんでトラックに気がつかなかったのだろう?

気がつかなったのではなくて、避けられなかったのではないだろうか?
だとすれば、事故の原因は何?

…彼が事故当時乗っていたのは、私の自転車だった。

恐ろしかった。私は立って居られなくなり、見て居られなくなり、ついには意識まで失った。

和成を殺したのは、私だ。


+++


12月も半ばを過ぎた寒空の下。都内の駅前広場で適当な壁に寄り掛かっていた私は、濁流のような人波の中に現れた人物を見て、驚いた。こんなところで知り合いを見かけるとは思わなかったのだ。
声を掛けようか、と思ったが、自分は待ち合わせをしている身である。それも見知らぬ人間と。ここで友人と立ち話をするのはあまり良くない気がした。

けれど、人波をすり抜けて真っすぐこちらへ歩いてきた彼は、迷うことなく私の目の前で止まった。同じ年の男の子としては少し小柄で華奢な身体が、紺色のダッフルコートに包まれている。驚いて、私はうまく言葉が出てこなかった。

「…黒子、くん」

「お久しぶりです、笹木さん」

にこり、と黒子くんは朗らかに笑った。黒子くんとは中学の同級生だった。部活も一緒でなかなか仲は良かったが、中学を卒業して依頼向き合って喋る機会はなかったので、声を聞くのは随分と久しい。透き通るような雰囲気と柔らかな物腰は、昔と殆ど変わっていない。
旧友との再会を嬉しく思う半面、少し気持ちが陰った。悪いことをしに来た訳ではないけれど、今は出来るだけ知り合いに会いたくないのだ。

「奇遇だね、こんなところで。どうしたの?大学この辺だっけ?」

「笹木さん、使者に依頼しましたね」

ひゅっ、と息が詰まった。心臓が驚くくらいに跳ね上がる。一見成り立たない会話のようだが、当事者である私には彼が何のことを言っているのか解ってしまった。なんで、黒子くんが、それを?

「僕が、使者です」

私の顔から完全に笑顔が消え失せた。

「…うそ、黒子くんが?」

「はい。僕が使者です。」

私がその噂を耳にしたのは、本当にたまたまだった。
和成を失ってから、私の身体も心も文字通り空っぽになったようで、それでも普段通りの生活を続けていた。何かをしていないと、和成で頭がいっぱいになってしまうから。動いていないと、壊れてしまいそうだった。
心此処に在らずの状態で、特に友人と話すこともなく講義室でぼんやりしていた私は、目の前に座る女の子たちのおしゃべりを偶然耳に留めた。

―ツナグって知ってる?
―死んじゃった人と、一回だけ逢わせてもらえるんだって。

耳にした瞬間、私は全ての意識を彼女たちの会話に向けた。えー、なにそれ、ウソくさーい。なんて、話を振られた相手は笑っている。嘘でも良かった。それでも私はその話をもっと詳しく知りたかった。

―この世のどこかに「ツナグ」に繋がる電話番号が存在していて、そこへ連絡すると、「ツナグ」が死者へと続く窓口になってくれる―

聞けば聞くほど、ファンタジックなストーリーだった。それでも私は、その噂話を調べてみようと決心した。もう一度、和成に会えるのなら。それが夢でも幻でも、なんでも良かった。

インターネットを使って調べた「ツナグ」の情報は膨大な量だった。「使者」と書いて「ツナグ」と読む。それだけで万単位のページがヒットした。殆どが嘘や出まかせ、使者の皮を被った詐欺のような情報ばかりだったけれど。その途方もない量の情報の中から、私は慎重に信頼出来るものを吟味した。小さな物でも少しずつかき集めていって―そして、ひとつの電話番号にたどり着いた。
「03」から始まる、何の変哲もない番号。正直、拍子抜けした。もっと突飛な、呪いや呪文みたいな数字の羅列を想像していたから。やっとのこと手に入れた番号は、普通の東京都の市外局番から始まるものだった。

それが、こんな身近な人物へと繋がる物だったとは。

「まさか、黒子くんだったなんて」

「僕も名前を聞いて驚きました。知り合いに依頼されるとは、思わなかったので。」

恐る恐る、半信半疑で掛けた電話の相手はお婆さんだった。柔らかい物腰で、けれど業務的な口調の、丁寧な対応だった。
ちょうど黒子くんも同じような口調をしているけれど、普段から年齢よりも大人びた喋り方をする彼が今業務的なものなのか、普段通りのままなのか、よく解らなかった。
お婆さんは受付役か何かで、黒子くんは実行役、という分担でもあるのかと聞いてみようか迷ったけれど、黒子くんが話を始めたので黙って飲み込むことにした。

「笹木さんは、使者のルールをどれだけご存知ですか?」

「…調べたから、大体、は…」

「そうですか。」

では、確認も兼ねて説明します。
黒子くんは、暗記した文章を読み上げるように、話を続けた。言い慣れているのだろうその口調に、彼のこの仕事(で合っているのだろうか)に対する経験の長さを思わせた。

―ツナグは依頼人からの依頼を受けて、死者との交渉をします。交渉が成立すれば、一晩だけ、依頼人と死者は面会することが可能になります。
―けれどここには、いくつかルールがあります。まず、依頼人は一度誰かに会ってしまえば、二度と使者に依頼することは出来ません。そして、それは死者側も同様です。彼等も面会の機会は一度しか持てない。使者は、死者側からの逆指名は受けることが出来ない為、彼等も相手選びは慎重になります。

「もし交渉が成立しなかった場合は、使者への依頼の権利は残ったままです。あくまで面会が叶った上でのカウントなので、再び使者への依頼は可能になります。…他に、質問はありますか?」

「…お金は、幾らくらい掛かるの?」

「ああ、これはボランティアのようなものなので、報酬は一切頂きません。」

調べて、聞いていた情報そのままだった。本当に黒子くんは使者なのだな、と今更ながら実感する。

「では、笹木美奈子さん。貴女の会いたい相手と、その死亡年月日を教えてください。」

「…高尾和成。亡くなったのは、二ヶ月前の10月24日。…自転車で飛び出して、トラックと接触した事故が原因です。」

 

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