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地元の駅前広場の中。足早に通り過ぎていく人の波を横目に眺めながら、私はひとりぽつんと佇んでいた。
高い位置にある駅の時計を仰ぎ見れば、もうすぐ約束の時間を示そうとしている。瞬間、肩が重くなったような、優れない気持ちになった。

和成に会いたくない訳じゃない。いや、会いたくないのだろうか。なんでこんなにも気持ちが重たくなるのだろう。もうよく、自分でもわからない。

「美奈子」

耳に慣れた少し掠れた声が私の名前を紡ぐ。顔を上げてみれば、学ランに身を包んだ和成が、片手を上げてこちらへと向かって来ていた。よう、なんて言う声はなんとも軽やかなものだ。
彼は待ち合わせの広場までいつも徒歩でやって来る。通学には自転車を使っているので、どこか近くの駐輪場へ置いてから来るのだ。それは「いつも通り」の中に含まれている。
彼がこちらへたどり着く前に、私も彼の方へと駆け寄った。

「和成、学ランになったんだね」

「おう、もう衣更え。美奈子も冬服じゃん」

「こっちも、衣更え。夏も終わっちゃったね」

「早えよなあ」

他愛もない会話を一通り終えると、彼は自然に私の右手に指を絡めた。世に言う恋人繋ぎ。これもいつも通り。
右手を包む彼の左手に、嫌悪感は湧かない。むしろ、体に馴染んでしまった手の平の形や熱を、心地良いとさえ思うのに。なんで先程まで、あんなにもこの瞬間が訪れることを拒絶していたのか、不思議な気持ちになった。

和成と過ごす時間は楽しいものだ。場所がどこであれ、どのような状況であれ。
和成の話は面白いし、私を退屈させない。大体は近くのマジバなんかで話し込むことが多いけれど、どちらも金欠のときは公園だったり、その辺で立ち話だったりもする。今回はマジバに立ち寄ることになった。いつでも私たちは、時間の許す限り会話を交わす。互いに一週間の間に起こった出来事を溜め込んで、会えなかった時間を埋めるようにひたすら会話を楽しむ。それは最初から今まで、ずっと変わっていない。これが私たちの「いつも通り」なのだ。
和成との時間はあっという間だ。退屈も嫌気もなく、時計の針はくるくると回ってしまう。それは学校でのお昼休みと同じようなスピードだった。ちゃんと、心の底から私は「楽しい」のだ。心の底から。

「…と、そろそろ時間だな」

ケータイで時刻を確認した和成は、とっくに食べ終わっていたハンバーガーの紙屑や氷の溶け切った紙コップの乗っているトレーを持って立ち上がった。
瞬間、私はまた肩の重くなる気持ちでいっぱいになった。帰りたくないのではなく、その先にやって来る出来事を思って。

店の外へ出てみれば、既に街の電飾が煌めく頃になっていた。自転車を回収する和成を待って、ゆっくりと帰路を歩きはじめる。
駅周辺の喧騒から離れ静かな住宅街へと差し掛かれば、一気に人影も無くなる。闇色に染まった道を照らす白熱電灯の下を、自転車を引く和成と私は横に並んでゆったりと進んでいた。カラカラという車輪の音が虫の音色に交じって静かに溶けていく。
自転車で両手が塞がってしまうから、帰りは手を繋ぐことが出来ない。それを最初は寂しいと思っていたけれど、もう何とも思わなくなってしまった。それが「いつも通り」だから。私たちの歩いてきた年月の中で、いくつもの「いつも通り」が生まれては身体に馴染んでいった。

もうすぐ私の家の近くになる。そこが、彼との別れ道。足を前に出す度に、心がずん、と少しずつ鉛みたいに重たくなっていく。

「美奈子」

カシャン、という音を立てて、和成は自転車を道の脇に止めた。私も小さく身体を強張らせながら、それを悟られぬように恐る恐る彼の方へ身体を向ける。

そっと、頬に和成の手の平が添えられた。私はそれを合図に、目をつむる。
和成は別れ際に、必ずひとつキスを落とす。
それを私はした方がいいのかな、と思うから、受け入れる。和成とのキスが嫌な訳じゃない。ただ、したいと思っている訳でもない。

以前、週に一度のこの瞬間を、私はいつも待ち侘びていた。
人気の少ない夜色の住宅街の片隅で、隠れるように交わされる口づけ。啄むような軽いものを幾度も交わすときもあれば、たまに通る人影なんて気にも止めず、相手を深く貪るようなものもあった。それは、これから彼無しで過ごす一週間を乗り切る為に、彼の余韻を少しでも多く体内に留めておきたいという気持ちの現れだった。和成が愛おしくて愛おしくて仕方なかった。そこには確かに彼への期待と、慈しみがあった。
いつからだろう。彼との口づけに、何の感情も抱かなくなったのは。

ふに、と唇に柔らかい熱が押し付けられる。少しかさついてきたそれは、冬が近づいていることを思わせた。近くで和成の匂いがする。色濃く、強く。
このまま顔が離れていけば、それで終わりだ。ここ最近は一度だけでおしまいだから。元々触りたがりの和成は、切りがない程何度もキスをしたがる。けれど最近は、二度目が落ちて来たことはない。それはきっとどこかで、和成が私の言葉にしない拒絶を感じているからだと思う。私たちはどちらとも、知っているのに知らない振りをする。

私は、彼とどうなりたいのだろう。別れのキスを受け止めながら、私は頭の奥でぼんやりとそう思った。
私に、和成とは別の好きな男の子が出来た訳ではないし、別の人と恋に落ちたい訳でもない。きっとそれは和成も同じ筈だ。けれど頭の片隅で、私はそれを望んでいる。全てを壊してくれるきっかけを、ずっと待ち侘びている。
でも和成の隣に別の女の子が並んでいたら、私は多分確実に、嫉妬の波に飲まれるのだと思う。それはやはり和成が私の特別な人だからなのだ。だけど。

「…和成」

瞼を開ければ、彼の翡翠の瞳が電灯の光を受けて煌めいていた。きょとん、と顔には困惑の色が滲んでいる。
彼とどうなりたいのか、どうしたいのか。私にはもうよく解らない。彼のことは好きなのに感じる心の重さも、もう手に負えなくなってきている。けれど、和成のことは好きだ。好きなのだ。
だけど、慈しむ為の口づけが、機械的な行為に成り下がった瞬間。それが全ての答えなのだ。私が私の身に染み付いた日常を手放したくないが為に、ずっと目を逸らし続けてきたけれど。それだけは確実に変えようがない事実なのだ。

私たちの間にあった愛は、とうの昔に冷えきってしまった。
たった、それだけのことなのだ。


【恋心の余熱】:高尾

121011

 

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