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「本当、裏切りもいいとこですよねえ」


シュートフォームに入ったところでそんな言葉を零す。バスッと軽快なシュートが決まったので、ナイッシュー、と声を掛けた。


「…あ?なんか言ったか?」


足元に転がったボールを拾い上げながら、不機嫌そうに宮地先輩はこちらに視線を寄越した。
いえ何も、と白々しく言えば、チッと盛大な舌打ちが体育館に響く。本当、動作ひとつひとつが小綺麗な顔に似合っていない。

練習が終わって、人が殆ど居なくなってしまった体育館のステージの上に私はひとり腰掛ていた。部活の、今日の記録を記入する振りをしながら、チラリと宮地先輩を覗き見る。
整った横顔、伸びやかな手足、しなやかな動き、いつ見ても綺麗なフォーム。
ああ、彫刻みたいだ。思わずほう、とため息がこぼれ落ちる。


「…つーかさ、お前なんで残ってんの?」

「今日の記録が纏め終わらなかったんで」

「そういうことじゃねえよ。今テスト期間なんだけど」

「ちゃんと許可貰ってますよ。これでも成績いい方なんです私。」

「ふーん」


さして興味もなさそうにそんな声を零しながら、宮地先輩は再びボールを構えた。バスッ、と軽やかにネットが揺れる。

ふいに窓の方を見てみれば、外は深い藍色に染まっている。まだ暑さは残っていると言うのに、日が落ちるのは随分と速くなってきてしまった。体育館を照らす蛍光灯のオレンジっぽい光は妙に眩しい。

バスッ。
淡々と鳴り響く軽やかな音。たったひとつだけになったボールの音は、広い体育館の中でぼわりと響いて際立つ。シャーペンを動かす振りをしながら、そっとその音に耳を傾ける。
本当は、記録なんて当の昔に記入し終えていた。夏が過ぎるまでの間に随分と減ってしまった部員の数は、楽だけれど、なんだか物寂しい。

こうやって記録を書く振りをしながら、居残り練をする先輩を眺めるようになって、もう半年近くが経とうとしている。私が男バスのマネージャーになってから、ずっとだ。宮地先輩が口を聞いてくれるようになったのは、ここ最近のことなのだけれど。
新学期の時点では、部員だけでなくマネージャーも今より沢山居て、私含め女子部員は殆どが打算的な理由で入部していた。かっこいい先輩とお近づきになりたい、とか、大体そんな動機だ。そして宮地先輩は、そんなマネージャーに対して頗る冷たかった。彼は、バスケに対して不誠実で不真面目な人間を毛嫌いしていたからである。

秀徳高校バスケ部は、やはり強豪校と言われるだけあって練習は厳しく険しい。その練習をサポートしなければならないマネージャーの仕事も相当量のもので、打算ありきで入部した子たちは次々に辞めていってしまった。黄色い声援もいつの間にか薄くなって、気がつけば一年生マネージャーは三人にまで数を減らしていた。
中学から男バスマネージャーを勤めていたという子と、元女バスだという子と、私。打算的な理由で入部して生き残ったのは私だけということになる。絶対口にはしないけれど、それが私の唯一の自慢だったりもした。

意気込んでバスケ部に入部したところで、どんなに仕事を頑張っても、一年生のマネージャーが一軍の担当にしてもらえる筈もなく。私が一日に宮地先輩を眺めることが出来るのは、練習も後半に差し掛かったミニゲームくらいだった。それだけで満たされる訳もなく、私は自然と練習後の自主練の時間まで体育館に居座るようになっていた。二軍の選手で居残りをする人は殆ど居ないし、マネージャーにその相手をする義務もないから、そこでは思う存分一軍の、先輩の姿を眺めることが出来たのだ。

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「なあ、お前、なんでバスケ部入ったの?」

夏休みに入って、殆ど毎日が全日練習となっていた頃。その日も私はいつも通り、練習終わりの体育館の、ステージの上でノートに記録を付けていた。突然、自主練を始めていた筈の宮地先輩に声を掛けられた。
初めて真っすぐ向けられた、澄んだ琥珀色の瞳はあまりに綺麗で。全身がボッと熱を帯びて、緊張で強張っていくのを感じた。ひゅう、と掠れた呼吸が漏れる。


「え…っと、バスケ、面白そうだなって、思ったので」


震えた声でやっと紡いだ言葉は、なんとも在り来りで、なんとも陳腐な回答だった。


「ふうん。それだけ?」

「…はい、すみません。つまらなくて。」

「別に、つまるとかつまらないとかじゃねえんだよ。」


長い指でくるくるとボールを弄びながら、宮地先輩は感情の篭らない声で話を続けた。


「お前、バスケ未経験者なんだろ?」


何故、先輩が私のことなんかを知っているのだろう。そう心の中で疑問に思っていると、「高尾に聞いた」と先輩が付け足すように言った。面倒見が良く気さくな高尾には、普段よくルールやスコアの付け方を教えてもらっていて、一軍の選手では唯一仲が良い。その名前を聞いて、スッと納得がいった。


「素人で入ってくる女子なんて、ミーハーな奴ばっかだろ?毎年死ぬほどいんだよ、そういう甘い動機でマネージャー志望するやつ」

冷たくて、酷く淡々とした言い方だった。その言葉に、私はぐっと息を飲むしかなかった。鋭くて角のある言葉は、遠回しに、あるいはあまりにダイレクトに私を非難するものだ。心臓の辺りが殴られたように鈍く痛む。強張った身体が、ずくずくと鉛みたいに重くなっていく。


「そういう奴らはすぐ耐え切れなくなって辞めてく。まあ、基礎練なんて素人から見りゃ退屈でしかないだろうからな。」

「…」

「お前も解ってると思うけど、俺らは遊びでバスケしてるつもりはねえんだよ。高校生活全部かけて全力でやってんだ。恋愛に現抜かす気なんてないし、そういうことで構われるのも正直うざい」

「…はい」

「で、俺は、お前はそっち側の奴だと思ってたんだけど、ちがう?」


突き刺すように響く淡泊な言葉。真っすぐ向けられる冷たい視線。そこに含まれる感情は、軽蔑と嫌悪だけだ。


「…ちがいません。先輩のおっしゃってる通りで殆ど合ってます。でも、」


威圧的な態度に対する恐怖なのか、悲しみなのか。うまく動いてくれない震える唇にぐっと力を込めて、私は真っすぐ、高い位置にある先輩の顔を見据えた。


「私はみんなが努力して、全力でバスケをしている姿を見て、どうしても近くで支えたいと思ったんです。仕事もルールもまだちゃんと覚えきれてはいませんけど、でも、仕事が辛い分、得られたものも沢山あります。すごくきついけど、マネージャーの仕事が楽しいです。後悔したこともない。だから、辞める気もありません。…先輩からしたら、不純で目障りな動機かもしれません、けど。」


先輩を支えたい、とは流石に言えず、みんな、という曖昧な言葉が咄嗟に口をつく。そこで、自分が長らく、そしてあまりに恥ずかしい発言してしまったことに気がつき、みるみる顔から血の気が引いていくのを感じた。すみません、とできる限り腰を折り曲げ頭を下げる。少しの間を置いた後、宮地先輩は感情の読めない声で、「…あっそ」とだけ呟いた。


「…軽蔑、しますよね」

「別に?」

「…え?」

「だってお前、辞めてねえだろ。ルール把握してねえのと、仕事がおっせえのには文句あるけど、使えるマネージャーの動機なんて今更関係ないしな。」


そのまま私の目の前で先輩が放ったボールが、滑らかな弧を描いてバスッとネットを潜る。初めて近くで見る先輩のシュートは、遠くから眺めるより何十倍もかっこよくて、美しかった。


「…今日はもう上がるかな」


誰に言うでもなくそう言ったかと思うと、床に転がったボールを拾い上げながら、宮地先輩は淡々と片付けを始めていた。その姿を見て、いそいそと私も帰る支度をする。自主練に入る前、制服にはもう着替えてしまっていたので、スクールバックを手にとって、後はこっそりと体育館から出ていくだけだった。


「笹木」


透き通るような声で紡がれた自分の名前に、思わず心臓が飛び跳ねた。名前を覚えてくれていた。その事実に、胸がいっぱいになる。
「お疲れ様です、お先に失礼します」と、感情を押し殺して、震える声でやっとのことそう告げた。


「別に挨拶求めた訳じゃねっつの。お前、家どこ?」

「えっ、と。駅の方です」

「へえ。じゃあ、玄関とこで待ってろ」

「え?」

「送ってく」


ぽかん、と。あまりのことに一瞬言葉を失ったが、なんとか我を取り戻して腕をぶんぶんと左右に振った。言葉も付け足して、大丈夫だという旨を伝える。何というか、あまりにも恐れ多すぎる。
全力で拒否をする私を見た先輩は、至極呆れたような表情を浮かべて「時間見ろばかやろう」と吐き捨てるように言った。ステージの上に設置された丸い時計に目を向けてみれば、時刻は8時を回ったところだった。


「お前仮にも女子だし、さすがに危ねえだろ。何かあってからじゃ遅えし、うちの名前に傷が付くんだよ。解ったら黙って待っとけ」


ぶっきらぼうにそれだけ言うと、先輩は小走りで部室棟の方へ向かってしまった。急がなくて大丈夫です、という私の声がその背中に聞こえたのかどうかは解らない。

それが、先輩の優しさに触れた初めての出来事だった。

 

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