宮地


「ねえ、バスケ部見に行こうよ」

秀徳高校に入学して、間もなくのことだった。クラスも、型崩れのない制服も、真っ白の上履きにも慣れていない、そんな頃。どこか不自然な感じで、誰もが肩に力を入れて明るく振る舞い、必死に友達作りや学校に馴染むために奮闘していて。私も様子見、という感じで、席が近かった子たちと行動をしはじめていた。放課後、その中のひとりから、突然そんなお誘いを受けた。

「バスケ?あれ、中学吹部だったよね。運動部入るの?」

「ちがう、ちがう。女バスじゃなくて、男バスの見学!」

へえ、と私は声を漏らした。決して興味がない風でなくて、少し明るめな声になるよう意識して。

「うちの学校、男バスすごく有名じゃない!いつもは見学許可してないらしいんだけど、仮入期間は見学オッケーなんだって!」

そうなんだ、と語尾を上げるように意識しながら、私は心の中でため息をついた。正直、あまり気乗りはしない。
ニコニコとしながらも頷く様子のない私をどうにか乗せようと、友達は少し考えたそぶりを見せながら、言葉を付け足した。

「それに、バスケ部ってすっごくカッコイイ先輩がいるんだって!」

ああ、目的はそこか。入学してここ一週間、そんな話は何度も話題に上っていた。二年のナントカ先輩は格好いいとか、ナニ部がレベル高いとか、何組の男子はモテそう、とか。
気持ちは解らなくもなかった。中学から上がったばかりで、制服に着せられているような今の私たちからみて、垢抜けた先輩達は一段と格好よく見える。花を咲かせたように盛り上がるみんなの中で、私も精一杯ニコニコと笑いながら、興味があるように振る舞っていた。実際、ナントカ先輩も、ナニ部も、ひとつも覚えてはいないのだけれど。

ぼうっと私がそんなことに思考を巡らせていると、「入学式からイケメンで有名なミドリマくんもバスケ部だし」なんて友人はよく解らない理由まで付け足し始めていた。少しムキになって言葉にも荒っぽさが出てきている感じで、もう絶対に引く気なんてなさそうだった。私もここで断ったらきっと教室での居場所が危うくなる。拒否権がないことは、薄々察知していた。平和な学校生活の為に、多少の疲労は付き物なのである。

+++

体育館を上から見下ろす柵の回りは、随分人で賑わっていた。殆どは一年の女子生徒である。ピンと張ったセーラー服の襟と、真新しい上履きの後ろ姿がそれを告げていた。
運よく二人分空いていた一列目に滑り込み、手すりにもたれ掛かる。私の重みで年期の入ったそれは、キシリ、と錆びが擦れたような音を上げた。首だけ乗り出すように見下ろしてみると、列になった部員達が指示を受けているところで、どうやら練習はまだ始まったばかりであるらしい。

「なんか、迫力がちがうよねえ」

「うん、なんか貫禄があるよね」

楽しそうに感想を漏らす友達に、私は適当な言葉で返事をする。実際、並んで挨拶している姿を見ただけで迫力も貫禄もさして感じては居ない。
そんなやり取りをしているうちに、キュッキュッとバッシュが床を擦れる音が体育館に響き始めた。それに加わる男臭い掛け声。どうやらアップのようである。
正直に言えば、つまらなかった。機械的に、順番に同じ動きを繰り返す部員の姿をぼんやり眺めながら、せめて早くボールを持ってよ、くらいに思っていた。周りのギャラリーでは口々に、すごいね、すごいね。という言葉が飛び交っていたけれど、きっとみんな私と思っていることはさして変わらないのだろう。強いしカッコイイと言われているし、とりあえず間を持たせる為にスゴイと言ってみる。強い部活を見学して楽しんでいる自分を最大限に演出している。きっと、明日のお昼休み辺りに皆口々に言うのだ。「超カッコよかった」「やっぱり強い部活はちがうよね」って。誰も退屈だったなんて口にしないのだ。勿論、私も。

「あっ!美奈子ちゃん、見て!絶対あの人だよカッコイイ先輩!」

興奮したように声を上げた友人の指の先を目線で辿っていくと、腕を組んで指示を出している長身の男の人がそこに立っていた。ブロンドに近い淡い茶色の髪で、遠くから見ても目鼻立ちがはっきりとしている。すらっと背が高くて、バスケ部らしく腕や足は筋肉質なのだけれど、どことなく纏う空気が爽やかで。ああ、確かにモテそう。というのが、率直な感想だった。
何年生だろ、という特別知りたい訳でもない疑問を口にすると「三年のレギュラー、宮地先輩だよ」とたまたま隣に居た、知らない女の子が教えてくれた。少し誇らしげな、鼻に掛けた言い方だった。
その声を耳にしながら、そうか、先輩の名前に詳しいというのはステータスになるのか、と私はぼんやりそんなことを考えていた。きっと私の隣で聞いていた友達も、明日同じような言い方で「宮地先輩」の名前を披露するのだろう。
笑顔を繕って隣のその子にお礼を言っていると、わっとギャラリーから急に黄色い声援が上がった。どうやら練習にボールを持つ動作が加わったようで、バッシュの擦れる音に、ドッドッ、というボールが床に叩き付けられる音が混じり合う。
私がコートの方へ向き直ったときには、その感動的なシーンは既に終わってしまったようで、特別面白い様子はなかった。練習の順番待ちをしている列の最後尾を見れば、先程から噂の爽やかな先輩、宮地先輩がTシャツの衿ぐりで汗を拭っている。どうやら彼が練習の中でシュートを決めたらしい。
「ちょーカッコイイ…!」と友人もまた、黄色い声を上げたひとりであったらしい。せっかく今日初めての盛り上がるシーンだったというのに。見逃すなんてついてないな、と思った。

そう思う傍ら、いつなら帰っても大丈夫だろうか、というタイミングを計り始めてもいた。終わりも先も見えない練習風景に、もう随分と前から飽きてしまっていた。友人に気取られぬようそっと、幾度も盗み見た時計の針は進みが遅い。
用事があるから、とそれっぽい理由を付けて帰ろうとした調度その時、コートの中の体型が変わった。どうやらミニゲームが始まるらしかった。
観客席と化した柵の周りは既に3列目が出来はじめていて、友達も興奮したように身を乗り出している。とてもじゃないが、帰りたいなどと言い出しにくい空気になってしまった。

五人対五人、という二列が体育館の中央に並んで挨拶を交わす。友達曰く、片方のチームには同じ学年でイケメンと噂のミドリマくんとタカオくんとやらがいるらしい。もう片方の列には、例の宮地先輩が立っていた。

ボールが高く放られて、ゲームがスタートした。古びたオレンジ色をしたボールは、コートの中でも随分と存在感がある。スポーツ観戦は嫌いでないので、ここからはさほど苦もなく楽しめるかもしれない。黄色い声援に紛れながら、どこを見るわけでもなく、ただぼんやりとコート全体を見下ろし試合の行方を眺めていた。

そのとき、私は一瞬にして目が奪われた。目が、ある一点を捉えて逸らせなくなってしまった。

「美奈子ちゃん、今の見た?!緑間くんのシュートヤバいねっ!私たちより高くまで上がったよー!」

「…え?」

友人の声にハッと我に返った。周囲のざわめきが、ドッと耳に入ってくる。シュートが決まった?
再びコートへ視線を戻せば、宮地先輩が、悔しそうに整った顔を歪ませていた。そんな姿に、ほう、とため息が零れる。そのことに、誰より私自身が驚いていた。ずっと自分が、拳を握って力を込めていたことに、そこで初めて気がついたのだ。
周りの音も、試合の流れも、何も入って来なくなっていた。ただただ、宮地先輩の動きに魅入っていた。
先程までのすましたような表情をしていた小綺麗な顔を、これでもかというくらい強張らせて、突き刺すように相手を獣みたいな視線で射抜いていた。丸くて大きくて美しい、可愛らしい印象をした琥珀の瞳は見る影もない。まるで重力なんてないみたいに、コート中をすっと動く身体はどこまでも軽かった。的確にボールへと伸ばされる長い腕。御人形やモデルのような視覚的な美しさを全て投げ捨てた、男臭い、力強い姿。
ただただ、その姿に魅入っていた。初めて、スポーツを見て、息を飲んだ。

気がつけばポツポツとギャラリーの姿は減っていて、友達もそこへ混じるように帰ってしまって、窓から入る光りは茜色に変わっていて、間もなくそれもなくなって、体育館の照明は煌々と目立つようになっていた。
見回りをしていた先生に見つかり、それはそれはぎょっとしたような目で、下校時間はとうに過ぎているという注意を受けた。ハッとして時計を見てみれば、7時をとうに過ぎていた。
視線を体育館のコートに向けてみれば、まだぽつぽつと部員が残っていて練習は続いている。各々、シュートやドリブルの練習をしているようだった。勿論、宮地先輩も。

「バスケ部は特別なんだよ。」

まだ生徒いますよね、と小さく反論した私に対して、宥めるような口調で先生から返ってきた説明はこれだけだった。
ならば、バスケ部に入れば。最後まで残っていて、いいということですよね?

数時間前までの退屈が嘘のように、私はバスケに、宮地先輩のバスケに引き付けられていた。美しさを鼻に掛けていない、その美しさを崩してからこそ生まれる、力強くて逞しい魅力。私はその姿なら幾らでも眺めていられる。むしろ、許されるのなら永遠にで眺めていたい。もう、その時点で決意は固まっていた。
それが、秀徳高校に入学して初めて、自分の意志で物事を決めた瞬間だった。

 

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