何でこんなことになったのだろうか。

初めて踏み入るような場所で、普段ならありえないポーズを強いられるという状況下に置かれた私は、思わず不満を漏らさずにはいられなかった。

光の入らない真っ暗闇に、突き刺さる幾つもの棒で制限された空きスペース。
腕を突っぱねる程の距離もないこの窮屈すぎる密室で、私は人知れず息を潜めていた。

木製の扉の向こうからは、幾人かの男子の楽しげなざわめきがくぐもって聞こえて来る。
作業を終えた誰かがこちらへやって来てしまうのではないかと、私は気が気でなかった。

息を潜めて聞き耳を立ててみると、クラスメートの西野空、星降の他にも数名の聞き慣れない声が聞こえてくる。
この二人の砕けた話し方からして、サッカー部の面子とみて間違いないだろう。何でよりにもよってうちのクラスに溜まるんだよ。
頼むから早いところ出てってくれ。そんな私の願いも虚しく、椅子を引いて寄せる幾つもの音が絶望的に響いていた。

これは完全に出ていくタイミングを失ってしまった。
行き当たりばったりで飛び込んだせいで、無理矢理な体勢が既に腰に来ている。だが物音を立てるわけにはいかないので、もうむやみやたらに動くことは許されない。
息を吸うたび埃っぽさに喉がむず痒くなるが咳をすることも許されず、私は目をつむって肩に口を寄せることでなんとかそれを堪えていた。

言わずもがな、私は教室の端に設置された、掃除用具入れの中にいる。


+++


私は西野空宵一という人間が大嫌いだった。

西野空が、というよりは、素行の悪いおふざけばっかりの男子が私は大嫌いだった。
しかも西野空は話が通じない上に口が達者と来ている。1番受け入れがたい人種であったことは確かだ。

その日は、私を含む班が教室掃除の当番を割り当てられてる日だった。

残念な事に西野空とそれに群がる男子が2名程含まれているメンバーだったので、私たちは実質半分の人数で掃除をするはめになっていた。

掃除をやらないならやらないで何処かへ行ってくれれば良いものを、西野空たちは教室に残り、掃除のため前の方に寄せた机の上に座って喚きはしゃいでいた。
内心舌打ちでもしたい気持ちでいっぱいだったが、事勿れ主義である私はそれを気にしないようにしながら黙々と作業を進めていた。
変に注意でもしたら面倒な事になるのは目に見えているし、ああいう奴らは放っておくのが1番いい。

けれど、私を除く班の女の子たちはそうは思っていなかったようだ。

男子達が笑い声を上げる度にそちらを睨みつけ、口々に「信じらんない」と不平を漏らす。彼女達の目は完全に自分の敵を睨むそれだった。
いつかこのリーダー格の彼女の苛立ちが爆発するのではとハラハラ顔を伺っていたが、西野空が箒で男子を殴り、それを機にチャンバラゴッコが始まったところであっさり彼女の我慢の糸はちょん切れた。
まじ空気読め西野空。


「あたしもう我慢出来ない、皆で男子たち注意しに行こう!」


こう言われてもう一人の女の子が同意してしまったら、もう私に拒否権など有りはしなかったも同然だ。


「ちょっと男子たちっいい加減にしなさいよ!」


リーダーの子筆頭に、私たちはその後ろに続いた。
一応私もその2歩後ろ位に立って、心の中で盛大に溜息を漏らしまくっていた。

その子の上げた責めるような大きい声に、西野空たちは一気に熱が冷めたような顔で興味なさそうにこちらを向いた。


「サボるとかありえないんだけど!ちゃんと掃除してよ!」


大方予想通りの文句を、彼女は勢いに任せて並べ立てていく。
箒を掲げていた男子二人は怒りに顔が赤くなり、今にも殴り掛かりそうな勢いだったが、西野空が制止を掛けたせいで実行には移されなかった。
あまりにも珍しいことなので、私は嫌な予感しかしなかった。

ある程度言い終えたのか彼女が少し荒めに息継ぎをしたところで、西野空がやっと口を開いた。


「つまりさあ、僕たちに掃除して欲しいってことお?」


口角を上げて三日月型に笑う西野空は、あくまで上からな口調でそう言い放った。
形式だけは質問調のそれが、返事を求めているものでないことは明らかである。


「でもお、僕掃除嫌いなんだよねえ」


そんなことを言いながら、至極楽しそうに西野空は笑う。
西野空の顔は見てくれだけは可愛らしい形をしているものの、素行の悪さが板に付いているお陰で妙な凄みと迫力が備わっている。
その態度に圧倒されてしまった先頭の彼女は、ついに言葉を失ってしまった。それは西野空に主導権を渡してしまったも同然だった。


「やっぱ苦手だからさあ、僕たちが掃除なんかしたら逆に汚しちゃうかもしれないじゃん?だから最小限の仕事で済むようにあえて何もしてないんだよお。皆のこと考えてのことなんだから、僕エラくなあい?」


ギャハハハとあとの二人も加わって、大袈裟に彼等は笑い出す。
「そうだそうだ」
「掃除なんか好きな奴が勝手にやりゃあいいんだよ!」
こちらのペースだと分かった瞬間、水を得た魚のように残り二人は喚き出した。虎の威を借る狐とは正にこのこと。
その様子を見て、掃除をサボる男子への腹立たしさよりも恐怖心が上回ってしまった彼女は、黙ったまま立ちすくんでいた。

「あ、ごめんねえ手が滑ったあ」とか何とか言いながら西野空は手に持っていた箒で彼女の肩を軽く付ついた。その衝撃に彼女は簡単に膝を折り、呆気なく尻餅をついてしまった。

盛り上がる男子陳と恐怖の渦巻く女の子たち。完全に西野空ペースで出来上がっていたクラスのその雰囲気を、私はあっさりぶち壊した。


「なに威張ってんの?」


はあ?と未だ笑い声を上げながら、西野空は顔だけをこちらに向けた。
見た目こそ地味な方で無いものの、普段あまり発言しない私は彼の視界に入ってもいないようで、その目は完全にこちらを見下げたものだった。


「だから何威張ってんの?あんたらが不真面目なのは威張るとこじゃないし、むしろ恥じるべきとこだから。
しかも正論言ってやったみたいな顔してるけど、あんたの言い分は理屈が通ってないから。ただ暴力で怯えさせて黙らせただけだから。」


しーん、とこの空気に効果音を付けるならまさにそんな感じだった。
流れ出した今まで溜め込みまくった不平は留まることを知らない。


「あとさこっちが掃除好きみたいなのもあんたらの勝手な思い込みだし、しかもちょっとこのちりとり見てみなさいよ。殆どあんたらが食べ散らかしたお菓子の紙屑ばっかなんだけど。あんたゴミはごみ箱にって最低限の躾もなってないのこんなの犬でも出来るわよ。いくら当番だからってなんであんたらの散らかしたゴミ私が片付けなきゃなんないのよふざけんじゃないわよ。」


風向きがこちらに向いてきたと思った女の子たちは「そうよそうよ」と強気に同意し出したが、「うるさい黙って」と私は勢いに任せて西野空たちへと同じ声色で制止を掛けた。まだこいつらへの話は終わってないのだ。


「大体私だって掃除しなくていいなら早く帰りたいわよ。あんたらだって早く部活行きたいから教室に残ってるんでしょうが。腕付いてんだから掃除嫌いでも机運ぶくらい出来るでしょだったら早くそこから降りてさっさとその机後ろへ運べ!」


言い終わった途端、やっちまった感が私の中を駆け巡っていた。
案の定、友達二人は完全に引いていた。
見方だと思っていたのに裏切られたといった気持ちと、大人しかった私の黒い面をみたことと、自分の言いたかったこと全部言われてすっきりという気持ちが全部ごちゃまぜになって、世界観がひっくり返っちゃった、という訳のわからない顔になっている。

嫌みと悪態がお得意の西野空も、大きな青い目をまん丸くして完全に言葉を失ってしまっている。


よりにもよって1番害の有りそうな西野空を怒鳴ってしまった。
天河原中サッカー部は言わずと知れた名門サッカー部である。
学校側は天河原の価値を底上げしてくれるサッカー部をそれとなく優遇しているため、部員達は日々それを理由に顔を利かせ、好き勝手生活している。
だから今まで関わらないようにしていたのに。

ああ、さよなら私の平凡な日々。
きっと明日にはロッカーに赤い札でも貼られて女子からは遠巻かれ、サッカー部及び男子面々からは散々な嫌がらせを受けて私の学校生活は暗黒に色を変えるんだ―…



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