ふと顔を上げると、辺りは鮮やかな夕日色に染め上がっていた。

何とはなしに壁の真ん中に掛かる無機質な丸時計へ視線を向けてみれば、短い方の針がひとつ下の数字へと移動している。
いつの間にそんなに経っていたのだろうか、と素直に驚いた。ゆったりと進んでいるはずの短針に、なんだかしてやられた気分になる。

手元のぶ厚い参考書へと視線を戻してみると、白かった単語まみれのページも鮮やかな朱色に染まっていた。
なんだか全く別の物になってしまったみたいだな、なんて思いながら端から順に軽く目を通し直す。
すると、1時間も睨みつづけていたはずのこの本が、先ほどから1ページも進んでいなかったことに気がついてしまった。
豆鉄砲でも食らったみたいに、ぼんやりとしていた意識がハッとする。受験生にあるまじきタイムロスである。

もしかしたら無理に詰め込みすぎたのかもしれない、と思い直し、気分を切り替えるため窓の外を見遣った。
放課後、自習用に解放してあるこの教室には、なんだか整然とした静けさが漂っている。
ちらほらと残っていたクラスメートもみんな既に帰宅してしまい、夕日色の薄膜が掛かった教室には私だけが残っていた。
静かに時間の流れるこの空間には、校庭から流れ込む運動部の掛け声や、廊下を響く吹奏楽部の楽器の音がぼんやりとわだかまる。
外から聞こえる声に誘われるようにして校庭を覗いてみると、サッカー部の男の子たちがせっせと後片付けに勤しんでいた。
まばらに散らばっていた赤いコーンや無造作に転がっていたボールもキレイに無くなっていて、窓の外にはただ淡い夕日色の掛かったうすピンクの砂面だけが延々と広がっている。

ぼんやりとその光景を見つめていると、ふわふわの茶色の髪の毛が目に入った。
空気を含んでふわりと揺れるココアのような落ち着いた色味の髪の毛は、淡くオレンジ色を纏っていて今日は少し鮮やかに見える。
少し目を吊り上げながら急ぎ足で仕事をこなしている姿は、いつもこちらへ寄って来るときの柔らかくて控えめな姿とは異なっていて、なんだか別人のようだった。

教室に顔を戻してみると、外の明るさに目が慣れてしまったせいか、薄暗い教室が更に黒っぽく沈んだ色に見える。
パチパチと瞬きを繰り返し、右隣の席に無造作に置いていたカバンを開けて、ゴソゴソと中から手探りでケータイを取り出した。

約束の時間は5時半。
時計の時刻は6時前。

もう一度窓の外を見遣ってみると、部活が長引いているのかまだパラパラと見慣れた山吹色のユニフォームが視界に映る。
その中に、私をこんな時間まで教室に縛り付けている張本人もいらっしゃった。
茶色の髪の毛を揺らしながら、少し焦ったように人一倍拓人は走り回る。

軽くその姿を確認し、私はもう読む気も失せた単語でぐちゃぐちゃの参考書へと再び視線を戻した。


***

すっかり薄暗くなってしまった帰り道は、ぼんやりと藍色に染まっている。
そんな中を、私は拓人と横並びになりながら一定のペースで足を進めていた。

結局拓人がやって来たのは、あれから30分程後のこと。

三年生の教室まで駆け上がってきた拓人は、何度も何度も謝罪の言葉を口にした。乱れた息継ぎで繰り返される掠れた音の数々は、なんだか壊れた玩具のようだった。

けれど連絡もなく待たされ続け苛立ちの募っていた私の耳にはそんな彼の必死な声も言い訳としか捉えられない。じわじわと、苛立ちは何層にも積み重なるばかり。
理性や我慢なんてものは当の昔に消えうせていて、ぐるぐると濁りお腹の辺りで無限ループを繰り返していた不満鬱憤の数々を、私はそのまま口から零し並べ立ててしまったのだった。
ハッと我にかえったとき、拓人は顔を俯かせていて、その表情は傷付いたことがありありと伝わって来るほどに沈み切っていた。大きな瞳は長い睫毛と薄い瞼に半分程伏せられていて、うっすら浮かんだ涙の膜が小さく光る。
たぶん、尻尾でも生えていたものならこれでもか、というくらい小さく丸め込まれていたことだろう。

その姿を見て焦りと後悔が体中を駆け巡った。
けれど、なんで待たされた私が罪悪感を感じなければならないのだろう、という気持ちが前へ押し出てきて、科学反応が誘発するみたいに全ての感情が不服へとにすり変わってしまう。
そのまま棘のある感情に身を任せて、私は不機嫌さを隠すこともなくあからさまに押し黙った。

結局、その辺りからほとんど会話はない。

ちらりと隣を歩く拓人へ視線を向けると、考え事でもしているのか少し俯きながら歩いている。こちらを向く様子はない。
ぽつりぽつりと道に点在している蛍光灯の白っぽい光りに強く照らされて、顔にはくっきりと色濃く影が落ちていた。

なんだか拓人の体が少し傾いているように感じて、そろりと反対側の肩を覗いてみる。すると、細い肩に似合わない大きな袋がぶらさがっていた。
指定の肩掛け鞄とは違う、薄い布製のパンパンに膨れ上がった白い大きな袋はなんだかクリスマスを連想させる。

何が入っているのか好奇心がむくりと沸いて来て薄く唇を開いてみるが、自分から会話を切ってしまった手前、うまく言葉が出てこない。
結局、やり場をなくした空白分ゆっくりと息を吐きだして、声にならずに終わった言葉の羅列は無かったことにして丸めて飲み込んでしまった。



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