お昼後の眠気を伴う午後の授業も終わって一息ついた頃、カバンに荷物をまとめたクラスメートが教室から出ていく姿がちらほらと見受けられた。
ゆったりと下る川の流れみたいに、生徒たちは皆一直線に下駄箱へと向かっていく。

その流れに沿うようにして歩いていた私は、廊下の途中で端っこへ避けて、そろりと下駄箱の方を覗き見ていた。
端からみると随分不審で滑稽な姿に映っているだろうが、南沢先輩に鉢合わせないようにするにはこうして間を図ることしか思いつかなかったのだから、仕方がない。

そのまま三年生の下駄箱を遠目で観察してみるが、ワックスできっちり整えられた紅色の頭は見当たらなそうである。
今がちょうどグッドタイミングなのではないだろうか。外へさえ出てしまえばこちらのものである。
私は勢いよく走り出る為に、目一杯力を入れて左足を踏み込んだ。

いざ出て行かん、と走り出そうとした瞬間ポンッと肩へと手を置かれて、驚きの余り心臓と肩が衝撃的なくらいに飛び跳ねた。勢い余って口からでてしまったかと思った。


「よお、ドンクサ美奈子ちゃん。」

肩へと置かれた腕を目線で辿り、嫌な汗を背中にかきながらその持ち主を見上げてみると、案の定ニヒルな笑みを浮かべた南沢先輩がこちらを見下ろしていた。

「こ、んにちは先輩…奇遇ですね。」

「こんにちは、じゃねぇだろ。」

昼はよくもすっぽかしやがって、と凄むような笑顔を携えたままの先輩はギリギリと指に力を込めてきて、食い込んだ肩の骨は悲鳴を上げ出す。

「痛い痛い痛い痛いっ!!!ぷ、プリンちゃんと買って来たじゃないですかっ!」

「なら自分で届けに来いよ」

「ひ、昼はその…用事が…」

「ふーん?ドンクサイ美奈子ちゃんは着替えに30分も40分も掛かるわけ?」


うっ、と言葉を詰まらせると南沢先輩は耳元へと顔を寄せてきて、私にだけ聞こえるように小さく呟く。

「こんなことしてると、手紙、神童に見せるぞ」

それだけ言うと、満足したのかすぐに綺麗な顔は離れて行った。見上げると、形の良い唇は両端を吊り上げて意地悪く三日月を描いている。

「…いいですよ」

見せちゃえばいいじゃないですか。
勝手に口から零れ出た言葉に、私も自分が何を言っているのかよくわからない。

それは先輩も同じであったようで、「…は?」と先程までの余裕な笑みを解いて、驚愕したような表情を浮かべている。

「どういう意味だよ?」

訝しげに眉根を寄せながら先輩はそう尋ねて来て、返事に困った私はふいと顔を背ける。
何か話し掛け続けているような気もするが、なぜだか先輩を見ていられなくて、聞こえない振りをして目をぎゅっと閉じた。

「…ちょっと来い。」

そういうと、先輩は私の右手首をがしりと掴んで、そのままスタスタと歩き出した。
いきなりの出来事に困惑して立ち止まろうと抵抗してみるも、男である先輩に敵うはずもなく結局、無理矢理引きずられる形になる。

「先輩っ上履きのままですよ…?!」

下駄箱周辺に居た生徒たちが好奇の目を向けてくる中を、気にも留めていないのか無表情のままでずんずんと突き進んでいく。
透明なガラス扉すら平然と通り抜けて、なおも歩いていく先輩に慌てて声を掛けるも、先程の仕返しのつもりなのかシカトをされてしまった。


***


そのままどちらも口を開かず、無言を貫いたまま歩き続けていると、たどり着いたのはいつもの落ち合いの場であるサッカー棟の裏だった。

そこで立ち止まったかと思えば用が済んだのか、パッと腕が解放される。

怒らせてしまったのではないかと思い内心ハラハラしていたが、振り返った先輩は飄々としたいつもと変わらぬ表情で、怒気はどこにも見当たらない。

「なあ、さっきのどういう意味?」

平然としていた南沢先輩も実際は集中的に浴びせられる視線が気になっていたらしく、本当にただ場所を変えただけのようだった。
先程の廊下で問うたものと同じ質問を、それとなく繰り返される。

「私もあんまり考えないで言っちゃったんで、よくわかんないです。」

わざとヘラリと気を抜いて笑い、私はぼかすようにしてそう答える。

先輩は真顔のままふーん、と息を漏らすと、私が話を逸らそうとしているのを感じ取ったのか「まあ、いいけど」と遠回しに話題を終了させた。


「プリンて1個120円くらいだっけか?」

先輩が表情も変えずに間もなく口にした話題は、どうやらおつかいの話であるらしい。
私がこっくりと肯定の意味を込めて頷くと、先輩は肩に提げていたカバンを片膝で支えるようにして、財布を取り出そうとしているのかその中をゴソゴソと手探りで掻き混ぜている。

少し見えたカバンの中身は無彩色のシンプルな小物が詰まっていて、ああ男の人なのだなとぼんやりと思う。なんだか新鮮な気持ちになって、つい口元が綻んだ。

しかし、その中にひとつ、小さく鮮やかな桃色の袋が覗いているのが目に入って、私の一度収まったはずの胸の痛みが振り返したようにヒリヒリと疼き出す。
グレートーンの中に映える可愛らしいピンクは、なんだか先輩の中へと踏み込んでいるみたいで「あなたの場所はもうないのよ?」と言われているような錯覚を起こした。


「お、あった。」

どうやらお目当てのものを発掘したらしい先輩はシンプルな黒い財布から小銭を取出し「ほら、」と言いながら私の手の平に百円玉を三枚ほど落とす。

けれど、遠ざけるように腕を伸ばして私はそれをすぐに先輩へと突っ返した。

「これ、いりません」

見上げると、困惑気味な先輩とカチリと目が合う。心臓がキリキリと苦しくなった。

「だから、これでもうこの関係も終わりにしましょう?」

すると意味を理解したのか先輩はふっと意地悪く笑みを浮かべて「何?手切れ金てこと?」と馬鹿にしたようにそう零す。

「そんなとこです」とまたヘラリと無理矢理笑いを作れば、先輩は機嫌悪そうに口を結んだ。

「手紙も、もういりません。見せてもいいですしバラまいても、もう好きなようにしてください。」

「…本当にいいのかよ」

怪訝そうに顔を歪める先輩に、私はニコリと笑いかける。

「はい。だってそれ、いくら今見たところで、嘘に為っちゃうんですよ。」

これ以上言葉を続けることは、先輩との関係に終止符を打つ決定的なものになってしまうと、解っていた。それが嫌で、自らの変化を受け入れたくもなくて目を逸らしていたことにも、本当はずっと前から気づいていた。

「私、南沢先輩が好きなんです。」

以前、お昼ごはんを食べながら先輩はよく愚痴を零していた。「女は面倒臭いから嫌い」だと。
告白される度に幾度も溜息を漏らしていたのも知っていた。
だから裏を返せば、これは先輩に嫌われる為には決定的な一言になるはずなのだ。

中途半端に繋がる関係ならいっそ、修復なんか効かないくらいに粉々になってしまえばいいと、そう思った。


「本当は、クッキーも受け取って欲しくなかった。」

「…みてたのかよ」

「すみません、趣味悪くて。」

へら、とまた笑ってみるが、先輩は何も返してはくれなかった。
自分から望んだはずなのに、いきなり開いた距離感に心臓がツキツキと痛みだす。

いつからだったのだろうか、手紙のことなんか忘れてただ自然とお昼が楽しみになっていたのは。
先輩からのメールを心待ちにするようになっていたのは。
けれど嫌われたくなくないから、わざと溜息をつくことで、嫌だというそぶりを作ることで自分を騙し続けてきた。

「ね?私もメンドクサイ女のひとりなんです。」

だからもう、おしまいです。


せめて最後くらいは綺麗に終わらせたくて、私は泣きたいと心臓の中を暴れ回る気持ちを押し込んで、できる限りの最大の笑顔を作った。


感情の読めない仏頂面を貼付けながら、先輩は先程からずっと押し黙っている。無言を貫いたまま、何を思ったのか再びカバンをあけて、またもゴソゴソと手探りで中身を掻き回しだす。


取り出されたのは、片方の端っこが欠けた真っ白い封筒だった。


胸の前で掲げられたその手紙を唖然としてみつめていると、ビリリ、と音を立てながら真ん中に亀裂が走る。
ふたつ、よっつ、やっつ。
どんどんと細かくなりながら数を増していくそれの、もうどこにも元の姿は見受けられない。

ふわり、と涼しい風が吹いた瞬間白い細かな紙切れたちは先輩の手の平から放たれハラハラと舞い上がり、花吹雪みたいにひらりひらりと風に乗せられてどこかへと飛んでいく。


自由に踊るように空へと消えて行った紙吹雪をぼんやりと眺めていると、やっとのこと先輩は口を開いた。

「清々する。」


その一言に、心臓がまたズキンと重たくなる。
実際に先輩から浴びせられた冷たい言葉は、想像なんか簡単に飛び越えてしまうくらいにこんなにも重たくて苦しい。もうこれ以上傷つきたくなくて、全部視界から追い出すみたいに瞼をぎゅっと強くつむった。



「こんな胸糞悪い手紙、もう持ってなくていいかと思うと清々する。」


そんな言葉が耳に入った瞬間、あたたかい掌がぽふん、と頭の上に落ちてきた。
予想外の行動に意味を計り切れず、困惑しながら恐る恐ると先輩を覗き込むように顔を上げる。
目線が交じわった琥珀色の綺麗な瞳は穏やかに優しく細められて、そのまま頭をやわやわと撫ぜられた。
どういう、ことなんだろう。

「お前さ、最初にあの手紙、落としたって言ってたろ。」

あの手紙、とは先程飛んで行った過去の私のラブレターのことだろうか。
こくり、と首を縦に頷かせると、先輩は衝撃的なひとことを口にした。


「あれお前のカバンから抜き出したの、俺なんだ。」



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