「おまえ男らしいよな。」
昼休み、今日は友だちが委員会の会議なので自席でお弁当を広げていると、隣の席の倉間が焼きそばパンを頬張りながらそう声を掛けてきた。
はて、今日のお弁当のサイズは至って普通だと思うのだが。
「朝、自転車に神童乗っけてたろ。」
しかも保健室までおぶっていっただろ、と言われてああ、と思う。
そうだ神童くん、サッカー部の彼は神童くんだったか。
朝からのモヤモヤがやっと解けて、すっきりとした気持ちでお弁当箱の蓋をはずす。
今日のメインのおかずであるから揚げは、夕飯の残りではあるが我ながらいつも以上に良い出来だった。なので4つも入れてきた。
冷めても漂って来る食欲をそそる香りについ口許が綻ぶ。
「あっそれ俺も見た見たー!」
すごい速さだったからマジびっくりしたわー、と倉間の後ろの席でだらけていた浜野が話に加わって来る。
どうやらお昼の間だけ席を拝借しているらしい。
「ちゅーか、よく担げたね?笹木力持ち〜」
ニコニコと楽しそうに浜野がそう言うと「怪力なだけだろ」と倉間が二つめのパンに手を付けながら可愛いげのない言葉を挟んでくる。
「まあね、倉間程度なら片手でいけるんじゃない。」
と仕返しに皮肉ると、ガツンと椅子の脚を蹴られた。
まったく、口だけじゃなくて足癖まで悪い。
これ以上この話題を続けても都合の良い方向には傾かないだろうなと踏んだので、私は無視を決め込んでお昼ご飯を楽しむのに徹底することにした。
手始めに卵焼きを口へ運ぶ。これも今日のはなかなか美味くいった。うん、合格点。
今朝の話題など、どう転んでも馬鹿にされる立場にある私にとっては微塵も楽しくないのでどうでもいいが、
それよりも私はこのサッカートリオの食生活の方が気になっている。
ちらりと目を向ければ、三人とも揃いも揃って甘そうな菓子パンを握っていた。
体格に似合わず三つめに手につけている倉間はまだマシだが、速水に至っては元々一つしか持っていなかったクリームパンを半分ほど食べたところで袋の口を折りたたんだ。
だから速水はひょろっこいんだよ。そんなんでサッカーなんかしたら、倒れちゃうでしょうが。
しかし実は、私この三馬鹿トリオの中で速水だけはあまり親しくなかったりする。
ただでさえ現在だんまりな速水を勢いよく煽ったりなんかしたら、きっと更に距離を置かれてしまうだろう。なので口うるさく注意することはためらわれた。
けれどこのままでは放課後からの彼が心配なので、私は後ろの席へ振り向き、彼の残したパンの袋の上にから揚げをひとつ落とす。
困惑気味にこちらを見てくるので「お食べ。」と促すと「あ、ありがとう…?」と返された。
割とあっさり口に含んだところを見ると、どうやら鶏肉は嫌いでないらしい。「おいしい。」と呟かれたので、つい口許が緩んでしまった。良かった良かった、お肉は力になるぞ。
気分を良くした私は自分もひとつから揚げをつつく。「俺も欲しいー」と浜野にせがまれたが、これ以上おかずが減るのは躊躇われたので丁重に断った。
しかしまあ、これだけ食の量が違うにも関わらずこの身体のサイズ差である。
倉間と速水を交互に見比べ「なんというか、不公平だよね。」と本音を漏らすとガツンと今度は脛を蹴られた。
骨と爪先が衝突した場所から痺れるような激痛が走る。
こいつ本気でやりやがった!
仮にも男子、その上サッカー部の容赦ない一蹴は言葉を無くすほどの衝撃だった。信じられない、これ絶対痣になる。
「何するのふざけないでよ、加減てものがあるでしょ!」
荒々しく文句を付けると、倉間はまるで聞いていないという風で華麗にシカトをされた。
その態度に腹が立って更に言葉をぶつけようとすると「あ、神童」と浜野がこぼす。
振り向いてみると、いつ声を掛けようかとタイミングを見計らっていたらしい神童くんとカッチリ目が合った。
てっきり早退したものだと思っていたのでこれには驚いた。
少し照れ臭そうに、神童くんは口を開く。
「今朝はありがとう。本当に助かった。」
「いえいえ。もう体調は大丈夫なの?」
「ああ、おかげさまで。」
ふわりと神童くんは微笑んだ。その顔には朝見た血色の悪い青みは見当たらない。
よかったよかったと安心した私はから揚げにフォークを突き刺しながら、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「そういえば、朝ってどうしたの?相当体調悪そうだったけど?」
「あー…と、恥ずかしながら実はその、夏バテみたいなんだ。」
だから食べる気がしなくて、と困ったように笑った神童くんに待ったを掛ける。
「ちょっと待って、朝食べて来なかったの?」
「え、と実は、夕飯も…」
「おバカ!」
そんなの倒れるに決まってるでしょうが!と、オバサンみたいだと言われれば言葉もないが、そんなことは考えず勢いよく彼に突っ掛かる。
「いやでも、日曜は試合でずっと外に居たから身体が辛くて食べられなくて…」
すると焦ったように神童くんはわけのわからない言い訳を始めた。
呆れて言葉もでない。
サッカー部は栄養管理者でも雇った方が良いのではないだろうか。
「…今は?」
昼は、何を、食べたの?
ゆっくりと文節で区切って、凄むようにはっきりそう伝える。
「…保健室で、スポーツドリンクを飲みました」
「他は?」
「……それだけです」
気まずそうに目線を逸らしながら、神童くんは段々と敬語になっていく。
もうこれ以上何を言っても埒が明かないと踏んだ私は、フォークに突き刺していたから揚げをそのまま薄く開いていた神童くんの口に突っ込んだ。
茶色の大きな目を見開いて困惑気味に固まった彼が無抵抗なのを良いことに、私は更に深くフォークを進める。
すると観念したのかモゴモゴと口を動かしだしたので、から揚げを形の良い歯に引っ掛けてフォークだけを回収した。
調子に乗って彩りの為に入れたあまり好きでないトマトを彼の口に運ぶと「大丈夫!自分の食べるから大丈夫だ!」とまだ飲み込めていないらしく、くぐもった声で必死に拒否される。そうか、残念。
「食べれないと思うから食べられないんだよ。口に入れてよく噛めば何でも食べれる食べれる。」
「わ、わかった…」
ちゃんと飲み込めたらしい神童くんに満足して、私はニッコリと笑う。
「あの、それ洗って来ようか…?」
恐る恐る何かを呟いた神童くんの声がよく聞こえなくて、とりあえずトマトを口にしてから「え?ごめん何て言った?」と聞き返す。
すると「いや、何でもない…」と頬をほんのり赤くしながら、彼は目を合わせてくれなくなった。
「おまえ、本当女じゃない。」
またも倉間に堂々と悪態をつかれ、腹が立ったので言い返そうと後ろを振り向くと、割と本気で引いた目をしていた。
その反応に結構傷ついたので、何も言わず私は再びごはんをつつくことにした。
***
翌朝、日直当番である私は大分早めに家を出た。
夏は朝から既に温度が高いけれど、普段の登校時間と比べれば随分と涼しく感じられ、自然とペダルを漕ぐ足も軽くなる。
お気に入りの坂をいつもよりも軽やかに下っていると、途中で見知ったふわふわの茶髪を追い抜かした気がした。
下りきってから今来た道を見上げてみると、やはり神童くんが歩いている。真剣に単語帳と睨めっこをしていて、こちらには気づきそうもない。
そのまま坂の終点地点にある自販機で飲み物を購入し、水分補給をしながら彼を待つ。横を通りすぎようとした瞬間に「わっ!」と勢いよく声を掛けて脅かしてみた。
細い肩がビクリと小さく跳ねる。
「おはよ、神童くん。」
「びっくりした、笹木さんか。おはよう。」
単語帳をパタリと閉じて、朝から元気だね、と神童くんは薄く笑う。挨拶を交わして、そのままの流れで一緒に学校までの道のりを歩きだした。
あまり深く考えずに声を掛けたので忘れていたが、まだ知り合って時間が経っていないので、意外と間が気まずい。
ぐるぐると脳内で話題を模索してみる。ふと神童くんは食が細い子だったのを思い出し、「ちゃんとごはん食べた?」という確認を取ろうという考えにたどり着いた。
我ながらオバサン臭いなあと思うが、他に話題がみつからなかったのだから仕方がない。
意見がまとまったので、話を振ろうと神童くんの方を振り向く。
すると、単語帳を収めていない方の手に握られたゼリー飲料が目に止まった。
驚いてそのまま左手を見つめていると、神童くんもそれに気が付いたようで、照れ臭そうに顔の横でペッタンコのそれをヒラヒラと揺らす。どうやら中身は空であるらしい。エライエライ。
満足げに頷くと、話題がなくなったことに気が付いてしまった。
再び頭の隅から隅まで話題の種を探してみたが、ふと違和感がひっかかる。
さっきから神童くん、私と目を合わせる気がなくないか?
勢いよく彼の方に首を傾け、顔を覗き込んでみる。
神童くんは疑問符を頭に浮かべながらこちらを見つめてくるが、やはりどうしても目線だけは合致しない。
え、私この短期間で嫌われたの?
「私なにかしちゃったかな…?」
恐る恐るそう直球に尋ねてみると、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな表情のまま、神童くんはきょとんと首を傾げた。
「どういう意味?」
「だって神童くん、私と目を合わせてくれないよね?」
そう素直に伝えると、彼は目に見えて焦り出す。「いや、あの、そういう意味じゃなくて…」と口をもごもごさせていて、どうやら返事に困っているらしかった。
「自転車の運転が荒かったとか…?」
「ちがう!その件は本当に感謝してる。」
まあ男として情けなくはあるけれども…と苦い顔をしながら言葉を続けてきた。
「じゃあなんで?」
とストレートに尋ねれば、彼は苦い顔を更にしかめた。
「それは笹木さんが…」
「私が?」
「笹木さんが、から揚げを俺の口に入れてくるから…!」
余裕のない声でそう告げながら、神童くんの頬はほてったようにほんのりと色づいてくる。
「から揚げ嫌いだったの?」と思ったままを口にすれば、「だからそうじゃなくて!」とじれったそうに先程よりも幾分か大きい声を出してきて、彼はそのままの勢いか衝撃的な言葉を口にした。
「だって、あんなの間接キスだろ…!」
間。
みるみる顔を真っ赤に染めて俯いてしまった神童くんに言葉を失う。
そんなことを気にしていたのか。
「え、かわいい。」と無意識に本音を口にすれば、キッと睨みつけられる。表情としては怖い部類に入りそうなのだが、りんごみたいな真っ赤な頬のせいで迫力に欠けていた。ムキになったような表情は年齢相応な男の子の顔で、普段の大人びた態度と比べると新鮮でなんだか微笑ましかった。
「仕方ないだろ、女子とこういうの、慣れてないんだから…」
そう言われてみれば自分も、男の子と食べ物飲み物を共有したことはなかったかもしれない。
意識し出したら段々と恥ずかしくなってきて、神童くんのが移ったみたいに頬が熱くなってくる。
またも沈黙が流れるが、もう話題を探す余裕もなくなってしまった。
「喋ったら、喉渇いたな…」と神童くんがポロリと呟く。
独り言のつもりだったのかも知れないが、先程買ったばかりのペットボトル入りのジュースを取り出し、「飲む?」と照れ隠しがてらからかってみた。
なんてね、と続ける前に私の手の平から握られていたペットボトルが抜き取られ、彼は迷うことなくそれを口にする。
コクリ、と喉が動いたのを呆然と見つめていると、どうだと言わんばかりのいたずらっぽい顔を神童くんは向けてくる。
けれど目がカチリ、と合った瞬間、どちらからともなく目線が漂った。スイッチを入れたみたいにまたも身体が一気に熱を帯びてきて、心臓の鼓動も速い。
ああ、こんなに頬が熱いのも、くすぐったいような気持ちになるのも、全部全部この暑さのせいにしておくことにする。
【真夏にメルトダウン】:神童
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