「…信じらんない」
放課後、授業も終わって部活動も始まったそんなお時間。
クラスメイトひとりいない閑散とした教室で、私は孤独に箒を握っていた。
クラスを機械的に六つ割して構成された班に、交代で振り当てられる教室掃除。
一ヶ月半に一度やってくるこの当番は、今週、うちの班が担当だったはずである。
職員室に用事があったので少々出遅れになった私は、あわよくば半分くらい進んでればいいな、くらいの気持ちで教室に戻ってきた。
しかし、教室はもぬけの殻だった。
もしかしたらもう終わったのかもしれない。そんな希望は、足元に落ちていた飴のゴミであっさり打ち砕かれた。
よくよく床を見てみれば、消しゴムサイズもある埃の塊が点々としている。
班員はこぞってサボタージュしたらしい。
恨めしい気持ちで、壁の班員名簿を睨みつける。こうなった原因は、間違いなく霧野だ。奴がサボったせいだ。
基本的にうちのクラスの思春期男子くんたちは何でも面倒臭がるので、掃除となればすぐに行方を眩ませてしまう。
けれど、霧野は違った。
性別問わず通る人々の視線を掻っ攫う程麗しい見た目そのまま、彼は中身までよく出来た人間だった。
人望があるし、その気になればリーダーシップも取れる。勿論、真面目な彼にサボるとかそんな概念はないらしく、今まで掃除は皆勤だった。
そんな彼に声を掛けられれば、面倒臭がりの男子といえど逃げ出すはずがない。
女子に関しては、霧野と関われるチャンスということで、みんな寧ろ掃除を心待ちにしていた記憶がある。
それが、揃って姿を消している。
もう原因は、明確だ。
彼も所詮は思春期男子のひとりだったということか。
いくら歎いたところで、帰ってしまったものは戻って来ない。仕方なしに、私はひとり箒を手に取ったわけである。
こういうときに、じゃあ私も、と便乗出来ない生真面目な自分が憎い。
机を前に寄せて、戻して、という作業はひとりでやるには億劫な仕事だったので、私は机をそのままに埃をかき集める事にした。
気がつけば日も大分傾いていて、教室は随分と薄暗く影っぽい。けれど手元が見えない程でもないので、電気は付けずそのまま作業を進めていた。
黙々と作業を進めつつも、頭の中はトンズラした班員への恨めしさでいっぱいだった。
男子はスラックスのポケットに手を突っ込んだまま、顔面から転ぶがいい。
女子は眉間の間を蚊にでも刺されて、恥ずかしい思いでもすればいい。
霧野は、霧野は…部活で盛大にすっ転ぶなりなんなり、ともかく最大限羞恥を味わう出来事にでも見舞われてしまえ。
そこまで思ってちょっとスッキリしたところで、後方の扉からカラカラとスライドする音が聞こえてきた。
「あれ…笹木さん」
噂をすればなんとやらだ。
「こんな暗いところでどうしたんだ?」
自分の自席に向かった霧野はそういいながら、机の中を漁り始めた。何か忘れ物でもしたらしい。
「別に、ただの掃除」
「えっひとりでか?」
純粋に驚いた、といった声で霧野は言葉を返してきた。
「…そうだけど」
「ほんとか?誰だよサボったやつ」
お前だよお前。
探し物を見つけたらしく、やっとこちらに向けられた目は、至極真面目だった。
まさかこいつ、班員も覚えていないのか。
「まあ、そのひとりがあんたかな」
最大限嫌味ったらしく言ってやった。
「えっうそ、俺今週当番だった?あれ、笹木さん班一緒…?」
口許に手を宛てながら、必死に霧野は思考を巡らせ始めた。そんな姿も様になるのが腹立たしい。
わざとらしくツンとした態度で掃除に戻ろうとすると「ごめん!」という大音量の謝罪が教室に響き渡った。
驚いて思わず霧野の方を振り返る。
「ごめん俺、知らなくて。ひとりで掃除させてごめんな、すぐやる」
そんな申し訳なさそうに言われると、こちらに罪悪感が沸いてくる。
「え…いいよ、もうそんな残ってないし。部活始まってるでしょ」
「そういう訳にいかない」
シャッシャッと素早い音を立てながら、手際よく霧野は埃をかき集めていく。
私もつられて箒を動かす手が速くなった。
5分も経たない内に、教室中の埃は全てごみ箱の中へ放られた。驚くほどあっという間だった。
「なんか、逆にありがとう。ひとりよりずっと速く終われたわ」
「いや本当にごめん。他のやつは明日咎めとくな。」
そう言う霧野の手にはファイルが握られている。
そうだ、忘れ物が目的だったか。
早くいけば、と口にしようとすると「それにしても」と先に言葉を発されてしまって勢いを失った。大した内容でもないけれど、つくづく霧野とは間が悪い。
「それにしても、笹木さん真面目だな。ふつう、便乗してサボっちゃいそうなとこなのに」
「悪かったわね、真面目で」
間髪入れずにそう言うと「褒めてるのに…」と飽きれ顔でそう零された。褒められたのか、今。
「というか、言ってくれれば良かったのに」
「…は?なにを?」
「掃除しろよって。俺に。」
「無理。」
次はこっちが飽きれ顔をする番だ。そんなの、言えるわけないだろう。
「なんでだよ」
「いや普通に無理でしょ。わざわざそんなこと言いにサッカー棟まで行けと?入ったこともないし、他の人もいるし、無理。」
そんな度胸ないわ。だったら掃除くらい、怨みでも唱えながらひとりでやってやります。
霧野は困ったように「うーん…」と唸った後、何かを思いついたのか勢いよくこちらを向いた。
「笹木さん、ケータイ出して」
「え、なんで」
「いいから。」
渋々ケータイを取り出すと「赤外線受信して」と言われた。なんで、と再び口にしたら強引に何かデータを受信させられた。
真意の掴めない行動に、ちょっと腹が立つ。
「なにこれ」
「俺のアドレス。」
はあ、と不満も込めて口にしようと思ったら「それ」と言葉を被せられた。本当、こいつとは驚くほど間が悪い。
「今度何か言いたいことあったら、それに連絡して。もしそれでも俺が来なかったら、文句でも何でも送っていいから。」
まあ、極力ないように気をつけるけど、と霧野は笑った。
用は済んだらしく、「じゃあ、お疲れ」と小走りで扉の方へ向かって行った。
「あ、そうだ。それ、他の女子には教えないでくれ。面倒だから教えないようにしてるんだ。」
いきなり停止したかと思えば、それだけ言うと「また明日な」と彼は颯爽と去って行った。
終始霧野のペースだったことも、アドレスも、素直な態度も何だか全て気に食わない。
何よりちょっと鼓動が速くなっている自分が1番気に食わない。
とりあえず、後で霧野には『すっ転べ』とだけメールをしておくことにする。
120807