01.はじまりのはじまり


その日は朝から君の悪い黒雲が立ち込め、暑さよりもじっとりとした空気に不快な気分になった。
金田春。春と書いてはじめと読む。それが今の彼女の名前で17年積み上げてきた人生だ。友人の多くはそのままはると呼ぶ為、実際の彼女の名前を覚えているかなかなか怪しい。生母ですら呼ぶときははるなのだ。

あなたが生まれた日はね、お母さんとお父さんの結婚記念日だったの。
お父さんはその日サル・プレイエルで振ることが決まってて、お母さんもまだ予定日までずいぶんあるし何より題目は大好きなヴィヴァルディの春だったから聞きにいっていたのよ。
でもいざ曲が始まった瞬間陣痛がきてね。
本で直ぐに産まれるわけじゃないって書いてあったものだからお母さん我慢して音楽を聴いていたの。
曲が終わった瞬間、隣で大汗かいてる私に気づいたマネージャーさんが慌てて病院に運んでくれたんだけど、頭の中ではずっとその素敵な演奏が響いていて全然苦しくなかったわ。
春に新しい家族が増えてまた一からスタートする。
だから春と書いてはじめってお父さんが名付けてくれたのよ。

しかし、パリっ子たちにはじめの発音は難しかった。
いつの間にやら周囲の人はみな春をはると呼ぶようになっていたのだ。
はると呼ばれるのも嫌いじゃないけどはじめと呼ばれるのはもっと好きだった。
クラスメイトもはるなのでお父さんぐらいしか呼ばないけれど、人生を一からリスタートすることになった時その名前以上に相応しいものがあろうはずが無かった。
春の前世は23才のOL。
大学中退後、専門学校に行き、卒業後は名前ばかりのデザイン事務所で雑務に終われる日々を送っていた。3年目となっても給料も少なく奨学金を返しながら細々と暮らしていたのだ。
働くことは嫌いじゃなかったし、仕事内容も好きだった。
モルタルも目張りも愛していたし、何かが完成していく達成感は格別だ。
しかし、自分の体が弱いことに気付けず過労でふらりと傾いた。
「……さん、最近詰めてるんで少し気を抜いた方が良いですよ」
後輩の何人からかそう言及されることもしばしば。
「大丈夫!仕事が私を呼んでるもの。
それにみんなだって同じように頑張ってるじゃない」
「お前はとくに頑張ってるんだよ、俺たちなんて男だしちょっと無理しても寝ればなんとかなるけど…ちゃんと鏡見てからそういうことは言えよな」
顔色の悪さを指摘した先輩に『こんなときばっかり女扱いなんてやめてくださいよ〜』と軽口をたたいて事務所を出た。
立ちくらみや神経痛というのは女だったら良くあることで、それを特段何かの病気と結びつけることは無かった。
何よりまだ20代前半、私は若い!普通の女の子よりも鍛えていたし、活力も精神力も満々だと自負していた。
忙しいのだって今始まったことではなく学生の頃からバイトとバイトと勉強みたいな掛け持ちだってしてて、体力にも自信があった。
「だいじょぶだいじょぶ!!はぁーーー今日は月が大きいなぁ…?」
過信だと気がついた時には既に遅く、傾く体から力が徐々に抜けていきぼやける視界に車のヘッドライトが写りこむ。
瞬間思ったことが『ドライバーの方、本気すみません』だった。国道なんかで寝てしまって、そりゃ轢きますよね。
潰れたトマトになった自分を片付ける人のことを考えてさらに申し訳なくなった。
自己管理の大切さを身をもって体験した春は前回の人生での反省点を生かし、学校の勉強よりも公務員試験への勉強に本腰を入れることにした。
成長してくにつれ、前世より体力面が落ちてるように感じたからだ。
渋る現世の両親に頭を下げ日本の高校への進学を許して貰いそこで初めて自分がバックトゥザフューチャーではなくトリップ転生したことに気がついた。
両親が一人暮らしを許す条件として親戚に理事がいる私立不動高校を進学先として指定したことにより軽く立った妖怪アンテナ…ではなく死亡フラグを折ることを決意することとなる。
幸いにも移動教室、選択科目、どれをとっても校内にいるはずの金田一一と出会うことなく春の高校生活は極めて快適と言ってよかった。
部活に入っていない為休日はバイト、平日は勉強とまったりペースでやっている。
人生慌てることはない、慌てて死んだ私が言うから間違いない。
擦り切れかけた参考書を片手にチェックシートで反復勉強を繰り返した。




午後になるといよいよ空が泣き出しそうになった。
温い風が窓の隙間から抜けていく。
「降るな……」
パリ育ちではあるが、日本に23年住んでいた記憶がそう言わせた。
遠くから雷の音が聞こえてくる。
ゴゴゴゴゴッという独特の低い唸りが雨を連れてくる。
参考書を置いて窓辺に立つと遥か東の空を仰いだ。
昼だというのに電気が必要なくらい辺りは暗くなっていた。昔からこの来るか来ないかという天気は好きだった。
雷も一種のイベントのように感じ、夜空に走る光のマジックに魅了された。
じっと空を眺めながらその時を待つ、音を立てずに何回かチカチカと光る次の瞬間、けたましい雷鳴が轟いた。
春はその雷光の中に聞こえるはずの無い一発の銃声を聴いた。


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