朝がきて、自然と瞼が上がる。
夢の残像を追いかけながらも妙に頭がスッキリとしているのは夢の中で夢から覚める予兆があったからだ。
それは『今から起きますよ』というような親切な代物ではなく強引な、ある種の義務感を押し付けられたような不躾なものだった。

話は今から約4年前に遡る。
苦しい、辛い、意味が無い、でも生きなければならないという焦燥。
そして愛されていないという絶望に耐えられなくなったことから始まった。
20代も後半になるとそれはもう色々と本当に色々と面倒なことも多くなる。
それでも自分が一体何の上に立っているか、はっきりと自覚してからは例えそれが何の意味を持っているかも分からない自分の人生であろうと命をないがしろにするわけにはいかなかった。
よくある中流家庭のよくある家族構成。特筆するような特徴も無いそんな家に生まれながら何故ゆえ此れほどまでに絶望感と虚無感に苛まれるかというと答えは簡単だった。
はっきりと自分が両親から愛されていないということを知りながらも目をそむけ続けた反動。
愛されたいと口にした瞬間、愛されていないことが確定することの恐怖に耐えられず緩やかに精神から死んでいく。
自分が現実にいるのか生きているのかすらわからない、痛むのは胸なのか錯覚なのか。

転機は急速に訪れた。
スクリーンでしか見たことの無い世界、活字を追って興奮した少女の頃、夢見た世界は残酷なくらいに優しく愛しく、そして冷たかった。



「セブルス、これは私の気持ち。私だけの感情。私はあなたを愛してるわ」
生徒が居なくなり閑散とした城内。
お決まりのシチュレーション、壁際に備え付けられた燭台の炎が揺らめくたびに少女の髪を赤く染め上げる。
すっかり熱を失った廊下からは人どころか猫の気配すらしない。
室内の沈黙と同じくらい重い表情の男は何度も脳内で言葉を組み立てようとするが、口の端をもごもごと動かすのが精一杯だった。
それは幻覚、幻影、そして呪いだ。
かねてより好意を持っていた少女、至高の乙女、聖女にて聖域。
男にとって彼女の魂は何者にもかえられない尊いものであった。
記憶の中の百合と目前の薔薇、本当に彼女のことを思うならばその蕾を摘むことは許されない。
長い沈黙の後、少女は小さく微笑むと「それでいいの」と一言つぶやいた。
彼、セブルス・スネイプにとって愛する女性はリリー・エヴァンスでしかないのだ。
新しい世界、新しい友人、新しい知識。
そして美しい容姿と力を手に入れてもちっとも幸せにはなれなかった。
何事もタイミングが重要。
もしあのときこうしていれば……なんて憶測ばかり。

体の感覚が十分に機能していることを確認し、起き上がる。
太陽の位置からまだ早い時間であることに気がついた。
洗面台へと立ち顔の確認をする。
鏡の中の自分は典型的な日本人の顔。
こんな顔だったかな。違和感が拭えないのは4年も離れいたからか。
しかし少し若く感じる。下手をすれば10代でも通じるんじゃないだろうか。
なにげなしに習慣で歯ブラシを手に取る。
歯磨きをしながらだんだんと記憶の刷り合わせがなされていくとようやく理解できた。
少し違うかもしれない。
それでも自分の顔だと断言できるのはこちらの世界の自分と同化したからなのだろう。
リリー・エヴァンスの借り物の顔ではなく、生まれたときからこの世界の自分が使っているものだという意識が違和感を払拭している。
それと同時に始点の苗字名前と現時点での苗字名前の記憶の間に埋めようのない差異も発見した。
家庭環境・交友関係・学歴職業、そして基本的な知識面ではほぼ同レベルと判断できる。近代史や政治経済、時事などにもちょっとした差はある。
急に知りえない知識が付け足された前回に比べれば許容範囲内と言えよう。

大きく違うところは家族が既に他界してるということ。
始点の自分が刻むことの無かった20代の後半で順調に経済活動ができるまでに人生を切り開いているということ。
そして、8年前に角膜の移植手術を受けているという点だった。


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