「うわぁ〜ラシャだ!
すごい本物!!」
初めて見る本物のビリヤード台に名前はいそいそと駆け寄った。
「このような所に来るのは初めてのようですね」
「ええ、私の周りにこういうハイソなものってなかったから。
両親もどちらかというと内向的だったし、特にどこかに連れて歩かれた記憶も無いわ。
でも、とっても興味深いと思う。
あっ、あれって伝説のキュー?カッコいい!!」
飾られているキューは快斗が取り戻した件のものだ。
どうせなら青子ちゃんのドレスアップ見たかったかも。薄暗い店内でもキラキラと光るキューを眺めながら名前は微笑を浮かべる。
「KIDは本物のファンタジーよりもファンタジックよね」
「苗字様、あなたは一体……」
「助けられたのよ、KIDに。
彼は本物の魔法使いよりも優れたマジシャンだわ。
私に奇跡をくれたんだもの。
ところでコーヒーはまだ?」
「只今、お持ちしますね」
聴いても無駄だと判断した寺井はせっせと奥に引っ込むと二脚のカップを盆に乗せ戻ってきた。
「砂糖とミルクは?」
「大丈夫、これMJBでしょ。
うちでもよく飲んでた。やっぱり定番っていいわよね」
あっ椅子借りますね。
名前はマスクとサングラスを外すとコーヒーを持って近くの椅子に腰掛けた。
寺井も直ぐそばにあるパイプ椅子を持ち出し席に着く。
「どの辺まで調べました?
私、痛い腹探られるのがどうにもね。
それにあんまり気持ちのいいもんじゃないですよ、私の過去」
自照気味に笑うとコーヒーをちびちびとすする。
この優しい人の同情を買うのは間違いないだろう。それでも起こってしまった過去というのは変えようが無い。辛かったかときかれればそうだったと答えるしかない。でもどう辛かったかとかどんなに悔しかったかなど口で説明して明確に伝えられるだけの術を名前は持っていなかった。
少しの沈黙、店内の自販機の低く唸るような機械音だけが響いた。


「8年前に私はある事件で片目を失うところでした」


それはまだ善良な日本国民としての義務を果たしながらも細々とやっていたときのことだった。
所謂、サービス業に従事していた名前は来る日も来る日も不特定多数の客と顔を突き合わせながら物品販売に精を出していた。
もちろんバッグヤードの仕事もあれば電話対応なんていう面倒なものもあったが、大好きなショップでの仕事のため多少の事には目をつぶることも出来ていた。
ようやく取れた三連休。
妹分のマーちゃんこと真朝佳苗とクーポンを使った高級ホテル一泊計画は楽しいお泊り会になる予定だった。
しかし、旅行の二週間ほど前からだろうか。
名前は時折感じる嫌な視線に気が付いた。
ほぼ毎日感じる気配に気持ち悪さもあったが、警察は頼りにならないというのも知っていた。
知人にも関係者はいるのだがいかんせんグレーゾーンというのが広すぎる。
関係者であったその人も何人か"助けることの出来ない被害者"の背中を見送ったらしい。
実害も無く接触してこないうちは被害届を出しようも無い。
ところがさらに一週間ほど経つと今度は自宅に無言電話が来るようになった。
IP回線の方はばれていないようなので父がめんどくさそうに局回線を切った。
市外局番が漏れているということは自宅が割れているということだ。
恐らく後を付けれている。専業主婦の母が一日中家に居ることを考えると盗聴器の心配は低いが用心に越したことはない。その日のうちに盗聴器発見器を注文した。
旅行を前に変な心配事を増やしたくないし、何より自分ではなく真朝に面倒が行くのは御免だった。
警察に相談に訪れたのは旅行3日前のとなった。

「すみません、只今担当のものが別件で忙しくて」
受付から受付へとたらい回された挙句の答えだった。
たらい回された分、前よか良かったのかもしれない。
以前はもっと痛烈だった。
名前は高校3年生の時にも同じようにストーカー被害で警察に相談に赴いていたのだ。
その時も接触は無くグレーラインとして捜査らしい捜査はされなかった。
法整備前というのも悪かったのだろう。
『お前みたいなブスが自意識過剰だ』とドアを出る一瞬、悪意に満ちた言葉を拾った。
一週間後にお越しくださいというのが答えだった。



「旅行に出た私は待ち構えていた被疑者と刃傷沙汰になり駆けつけた警視庁の警察官に保護されて病院に搬送。
えげつない事にざっくり左胸を狙われたんだけどね、見てのとおり胸けっこうあったからそれがクッションになってなんとか逸れたの。
でも、避けたときに刃が左目を掠ってね…病院でもう見えないかもしれないって」
広げられたシャツワンピから除く一筋の傷跡を晒し、名前は顔を顰めた。
緊急病院で縫合している間に搬送されたのが黒羽盗一氏だった。
例外中の例外となった手術は成功し、角膜が定着する頃には夫人は氏の遺体と共に病院内を去っていた。
寺井はすっかり冷めたコーヒーをもてあまし気味に手のひらで包み込む。
事故とされたあの日の事は彼の脳内にもこの8年間鮮明に焼きついていた。
「あなたの瞳は、」
「ええ、氏の物で間違いないわ」
「しかしそれなら何故今更になって」
「間違いないという核心がとれたから。
本題はここからなの」
事件後、名前は1年のブランクを経て社会復帰した。
もちろん、今までしていた仕事は辞めざるえなかったが。
慰謝料はあるがローンもまだまだ残っている。
仕事は続けなければいけない、働いてお金を返さなければいけないという義務感で動き続けた。
「視力は大分落ちてしまったけど、別の物が見えるようになったわ。
もともとそういうのには結構鋭い方だと思っていたけど」
盗一がそうであったように彼女もまた人の視線が読めるようになっていた。
人が何に注目しているか、其れに対してどんな感情を抱いているか、鮮明に理解するようになっていった。
理解できるようになってからは出来るだけ差しさわりの無いように動くようになっていたし、危険と判断したものには近づかなくなった。
名前の行動範囲は極めて消極的なものとなっていった。
「始めは事件後で神経が過敏になっているだけだと思っていたの。
でもそれがだんだん自分の中で普通になっていって、気が付いたら親兄弟とも超えられない溝が出来てた。でも良い事の方が多かったかな。おかげで自分の資産を守ることができたし、何より物販がよく売れたわよ」
残りのコーヒーを一気に煽るとニヤリと笑った。
「きっとね、私は金輪際望めないと思うの。
それでもこの瞳に焼きついた大切なものを守れるなら私は協力を惜しまない。
最後のおまけはね、彼の息子さんに対する愛情だったから。
恩返しになるかなんてわからないけど私の気分上の問題。
だから何もしないことが助けになるなら私は何もしないつもりよ」
「苗字様」
「本当はね、私が居ることでマイナスになることの方が多い気もしないでもないのよ。
だって私は魔女だもの。人を不幸にするのが魔女の専売特許でしょ。
私には優れた頭脳があるわけでもない。
美しいわけでもないし、強いわけでもない、何もとりえは無いけれど、
悲しい気持ちと悔しい気持ちと……何かを憎む気持ちは理解できるわ」



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