yume | ナノ




降ったり止んだりの雨模様は、少し気が滅入る。
今日は、昨日より気温が低い。この間冬服になったばかりだと言うのに。久しぶりにクローゼットの奥から引っ張り出してきたセーターは、肌に触れる所がちくちくしてくすぐったい。なんとなく、嫌だな、と思う。
この嫌だなって気持ちは不思議と感染するもので、年百年中ハッピーに生きているわたしでも、嫌だなと思うことがあると、その日いち日それに支配されることになる。
つまり、今日わたしは、珍しく機嫌が悪い。




合格発表前の二者面談を終え外を見ると、さっきより雨が強くなっていた。通りで前髪がぺたんこになるわけだ。
先生と将来を熱く語り合ったせいで、教室はがらんとしている。雨のせいか、教室どころか学校ごと静まり返っていて、聞こえるのは雨音だけ。いつもは“動物園”と揶揄されるそこの非日常感に、沈んでいた心が少し浮上する。
前髪は決まらないし、じっとりした襟足が首に張りついて気持ち悪いけど、今日は気に入って買った新しい傘を持ってきている。
パクられてないといいな、と思いながら昇降口に降りると、湖になりつつあるグラウンドを眺めている人影がポツンと立っていた。

「兵頭、まだ帰ってなかったんだ」
「高橋」
「傘持ってきてないの?」
「いや、あるけど迎えがくるから」
「ふーん」

喋りながらガチャガチャと傘立てを漁る。
結構大きいサイズなのに、見つからない。

「嘘でしょ……」

別のクラスの所もざっと見回す。

「ない……パクられた………?」

おニューの!傘が!お気に入りだったのに!誰だ犯人は……!見つけたらブッ殺してやる……!
ああ、こんなことならお母さんの忠告聞いておくんだった。
O高ヤンチャな子ばっかりなんだから絶対盗まれるよって、そう言われてたのに。買ったばかりだからって浮かれて持ってきたわたしがバカだった……。
いや、でも、犯人は殺す。傘で撲殺する。

「傘、無いのか?」

急に髪の毛振り乱して傘立てを漁りだしたわたしを心配したのか、兵頭がおずおずと話し掛けてくる。

「パクられた……買ったばっかりだったのに……使うの、楽しみにしてたのに……」

なんでそんな大事な物を学校に持ってきてるんだ、とでも言いたげな顔をしている。そう、ここはO高。DQN高と名高いO高なのだ。後悔しても遅い。
どうやって帰ろう。ダッシュで駅に行っても、ずぶ濡れになりそうだ。でも、行くしかない。
手足首をぶらぶらさせて屈伸をする。さっきまでしとしとと降っていた雨は今はざーざー降りで、できるだけ髪がぼさぼさにならないように、手首につけてたシュシュでひとつに結ぶ。
よし、行こうと足を踏み出そうとした瞬間、兵頭に肩をつんつんとつつかれた。

「ん?」
「貸してやろうか」
「え?」
「傘。パクられたモンはしょうがねぇだろ」
「えええ、まじ?」
「マジ」
「でも兵頭が濡れちゃうよ」
「迎え、来るから」

ん、とビニール傘が差し出される。顔に似合わず優男だ。
兵頭の持っていた柄のところが熱い。

「ありがとう。めっちゃありがとう。なんかお礼するよ。何がいい?」
「いや、別に……」

兵頭は視線をきょろきょろさせて狼狽えてる。顔恐いけど、いいやつじゃないか。
そう言えば、夏の終わり頃から演劇を始めたらしいという噂をきいたことがある。“O高最強”と言われていた兵頭が、さっぱりケンカをしなくなったとも。
もしかしたら、端から見ても一匹で居たがっていた兵頭が、こうしてクラスメイトとコミュニケーションを取ろうとしているのは、演劇がきっかけなのかもしれない。

「今度さ、舞台、見に行ってもいい?」
「な、なんで知ってんだ……!?」
「え?結構噂されてるし。皇天馬と同じとこなんでしょ?あと、……ナナオくん?だっけ?」

兵頭は耳のてっぺんを赤くして、そっぽを向いた。そしてわずかに頷く。
その時わたしは、なんか、いいな、と思った。雨は降ってるし傘はパクられたけど、ちょっと嬉しくなったのだ。

「十座っサーン!!」
「十座さん悪ぃ、遅くなった!」

皇天馬とナナオくんがバタバタと、五段飛ばしで階段を駆け下りてきた。天チャンのテストがどーのとか、太一のせいで遅くなったとか、ぎゃいぎゃい言い合ってる。寮に住んでるって聞いたことがあるから、三人で帰るために兵頭はここで待ってたのだろうか?
皇天馬とナナオくんは、階段を降りてきた勢いそのままに、兵頭にタックルするみたいにして周りでもみ合っている。

「あれ?十座サンの彼女さんッスか?」

軽快な、ちょっと間延びした声がわたしに向いた。皇天馬に頬をつままれたナナオくんが大きい目でわたしを見ている。

「んーん。借りたの、傘。自分のパクられちゃったから」
「あー、ごしゅーしょーさまッス」
「井川もう来てるって」
「先輩!気を付けて!」
「うん、三人も」

じゃあ、と背を向けた兵頭は居心地が悪そうだ。皇天馬とナナオくんが、兵頭をどっちの傘に入れるかケンカしながら去っていく。
わたしはポケットからスマホを取り出して“兵頭十座 劇団”と打ち込み、検索をかけた。トップに出てきたMANKAIカンパニー公式HPをタップすると、次回の公演情報が表れる。

「秋組……旗揚げ公演……なんて素敵にピカレスク……」

準主演、兵頭十座!
すごい!なんてことだ!
スーツを着て、皮張りのソファに座って不敵な笑みを浮かべている兵頭が、さっきまでここで話してた兵頭!?あ、ナナオくんもいる!
すごい、すごいと呟きながらサイトを隅々までチェックする。ブログには稽古のことや団員のことが細かく書かれていて、その所々に兵頭がいる。

“おはピコ!新生秋組紹介第2弾〜〜!『なんて素敵にピカレスク』ランスキー役の兵頭十座!こう見えてスイーツ大好きボーイなんだよん🍰🍭😆💕”

スクロールすると、眉間にシワを寄せた兵頭がパンケーキを食べている画像が画面いっぱいに映る。
そっかぁ、スイーツ好きなのかぁ。全然想像つかないけど、クラスメイトのしかもあの兵頭の意外な一面を知ってドキドキする。

傘のお礼は甘いものにしよう、と心に決め、わたしは駅への道を歩き始めた。


:雨は何かを連れてくる・前
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