梅ちゃんはスワロがたっぷり乗った長い爪でわたしの二の腕をツツーと引っ掻いた。
「ねえ、煙草吸いたい」 「我慢して」
二人で古い映画館の端っこの席で、昔の恋愛映画を観てる。観客はわたしたち以外誰もいなくて、ベタなラブストーリーはうるさくて、梅ちゃんは早々に飽きている。 わたしの肌を容赦なく愛撫してくる白い細い指を絡めとって肘置きに縫い止めると、梅ちゃんは拗ねた顔してわたしの首筋に顔を埋めた。長いウェービーな髪が揺れて、CHANELの化粧品と人肉の瑞々しい匂いが混ざってふわっと香る。どこかで食事をしてきたのだろうか。とびきり美しい女を食べたに違いない。 口の中に唾液が溜まる匂い。子宮がうずく。
「こら」 「だってえ、つまんないし。トイレいこ?」 「ベッド以外は嫌。童磨さんもうすぐ来るから」 「あの人ゼッタイ時間通りに来ないじゃない」
そこそこ真面目に映画を観ていたというのに、耳をぬろぬろと舐められているせいで全然集中できない。スパニッシュ系の女優が、スクリーンの中でアアンとセクシーに鳴いた。よく日に焼けたグラマラスな身体がなんとも美味しそうで、密かに生唾を飲み込んだ。 生殖能力のない鬼は、性欲が食欲とごっちゃになる時がある。お腹が空いている時にムラムラしたり、セックスしている時に突然胃の腑がからっけつになった気がしたり。性欲が失われていく中で、欲の根本的な所が癒着してしまうそうだ。無惨様くらい長く生きているとそういったエラーも起きなくなってくるみたいだけど、わたしや梅ちゃんはまだそこら辺が曖昧だ。ただでさえわたしも梅ちゃんもとびっきりに美しいのだ。美しいものには欲が湧くというもの。
「……んッ、」 「アハッ!その気になってきた?」
梅ちゃんはわたしの首筋から顔を上げて、ダイヤモンドみたいな瞳をきゅっと細めた。スカートの中を這う指を止められない。黒レースのティーバックの上からクリトリスをつつかれる。 梅ちゃんを抱きたい。美しいものを食べたい。 待ち合わせをしていることなんてスッカリ忘れて、ルージュルブタンのプリュミネットが丁寧に塗られた梅ちゃんの唇を貪ろうとした瞬間、座席の後ろから間の抜けたささやき声が聞こえた。
「ちょっとお二人さん、公共の場ですよ〜。こんなところでおっ始めないでくださ〜い」 「チッ」 「舌打ち!堕姫チャンヒドい!」 「遅かったわね」
童磨さんはハイネックのセーターにテーラードジャケットを着て、髪を後ろになでつけていた。細すぎるスラックスが若手の実業家みたいに胡散臭い。
「ごめんごめん、そんなに睨まないでおくれよ。美女二人に怖い顔されると寿命がちぢまっちまうよ」 「おふざけはよしてください。で、用件は?」 「久しぶりに会ったんだしちょっとは世間話でもしようよ。最近何食べた?俺はね、自殺寸前の韓流アイドル食ったよ!でも芸能人はやめたほうがいいね。アチコチにシリコン入ってて食べにくいったらありゃアしない。目ン玉にまで異物混入してるんだよ?大体痩せてて骨ばっかりだから腹も膨れないし……」 「あん……梅ちゃん、イっちゃう……」 「ストーップ!俺が悪かったから公開セックスはやめよう?」
梅ちゃんのキスを受け入れようとした所に、童磨さんの手が差し込まれた。梅ちゃんのキレイに引かれた鋭いアイブロウがキッと吊り上がる。 童磨さんはオオコワと呟いて、手を引っ込めてハンズアップした。
「そんな怒んないで〜。まあ、そろそろ映画終わっちゃうから手短に話すね」
童磨さんは途端に真面目ぶった顔をして声を潜めた。映画はクライマックスに差し掛かっていて、壮大な音楽と女優の泣き声が大音量で響いている。酔っ払いそうなほどうるさい音響の中で、不思議なことに童磨さんの声はきちんとわたしたちの耳に届いている。
ボソボソと用件だけ告げ、わたしと梅ちゃんのつむじにキザったらしく挨拶のキスをした童磨さんは、あっけなくシアターを出て行った。 洋画のエンドロールは無駄に長くて嫌になる。
「キサツタイって、無惨様が100年くらい前に全滅させたやつよね。久しぶりに名前聞いた」 「だね。復活したってどういうことだろう。あれって産屋敷家が中心だったんだよね?生き残りがいたってこと?」 「分かんない。無惨様にLINEしてみよ」 「多分既読無視されるよ。あの人スマホ十六台持ってるから」 「え、ヤバ」
映画館を出ると、夜だというのに眩しいくらい明るい街が在った。梅ちゃんと腕を絡ませて、ゴチャゴチャした街を細いハイヒールでスイスイ泳ぐ。居酒屋の排気孔から噴き出す風が、梅ちゃんの髪と毛皮のコートを乱暴に撫でて溶けていく。
「ねぇホテルいこ。さっきの続きしよ」
美と醜と洗練と野暮を掻き回してぶち撒けたみたいなネオンが、梅ちゃんの目蓋のフチを宝石に変える。
:現実に於て1 |
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