ざあざあと雨が降っている。梅雨は明けたはずなのに、雨の止む気配はない。 わたしの住んでるアパートは古い上にぼろくて、階段を上がる足音がものすごく響く。わたしの部屋は二階の一番奥にあって、それ以外は一階の逆側に年配の大家さんが、その真上に滅多に帰ってこない中国人のお姉さんが住んでいるだけだから、階段の音以外の騒音がトラブルになったことはない。
汗だくで昼ごはんのうどんを茹でてた時だった。外階段がガンガン鳴って、この部屋に真っ直ぐ歩いてくる乱暴な足音が聞こえた。この足音はきっと左馬刻だ。しかも、とびっきり機嫌の悪い。もうすこし静かに歩いてっていつも言っているのに、言うことを聞いてくれたことはない。だって、左馬刻がここへ来るのは、大抵機嫌が悪いときだから。 ノックもあいさつもしないでドアを破るように入ってきた左馬刻は、わたしの姿を見てずんずんこちらに向かってくる。わたしはこのあと起こることを予感して、コンロのスイッチを切った。 左馬刻は一見きれいな顔をしているのに、今は眉間のシワが濃く、毛を逆立てた銀狼のようなオーラを放っている。 迷惑そうな様子を隠さないわたしにひとつ舌打ちをすると、かすれた声で一言「抱かせろ」と呟いて、わたしの身体をシンクに押し付けた。 ほら、やっぱり。シンクに放られた火のついた煙草の行く末を見送り、雨水で湿った髪に両手を差し込んだ。
「で、何があったの」
ちゃぶ台の上に放置していた麦茶を飲み干して訊いた。氷の溶けた麦茶はすっかりぬるくなっていて、グラスについた結露で手が濡れてしまった。 エアコンはゴウンゴウンと派手な音をたてるだけで、全然部屋を冷やしてくれない。 煙草を吹かす左馬刻の背中をころがる汗を見ている。白い背中をひらりと舞う天女様の美しいこと。 もうすっかり夕方だ。きっとうどんは鍋のなかで伸びきっている。
「べェつに」 「突然訪ねてきて人のこと犯しといて、別にはないでしょうよ」 「ウッセ。外出ししてやったろーが」 「馬鹿かよ、寂雷先生のとこ行って避妊の方法訊いてこい。……どうせ妹ちゃんのことでしょ」
黙って煙草をくゆらせるのは、当たっているからだろう。
「なんて言われたの」 「……過保護すぎて鬱陶しいって」 「あー……なるほどね」 「ぶっちゃけハマなんてガラ悪ぃ街だしよ、学校から真っ直ぐ帰ってこいって言っただけでブチ切れやがって」 「まあまあ、小学生じゃないんだから」
普段肩で風を切って歩いてる左馬刻が、妹とケンカしてしょんぼりとうなだれているのが面白い。
「こんなことわたしに言われたかないだろうけどさ、反抗期がきてよかったんじゃない?左馬刻にずっと遠慮してたじゃない」 「……まあなぁ」
左馬刻とわたしは小学生の頃からの付き合いで、お互いの事は大体知っている。碧棺家に起きた事件も、なにもかも。 うるさい蝉の声と昏いアパート。血まみれの部屋に揺れる二本の白い脚。ひとかたまりになった幼い兄妹の姿。今でも鮮明に思い出すことができる。
「あと、やっぱり左馬刻は過保護だと思う」 「……分かってンよ」
ベッドは古くて軋むからと、床におざなりにひいていたタオルケットを未だ裸のままの身体に巻き付けて、這うように冷蔵庫に向かう。 いくぶん冷静になったらしい左馬刻に缶ビールを投げつけて、自分はジュースみたいな缶チューハイをあけた。
:儀式めいた行いについて
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