yume | ナノ




 先週、押し入れの中から掘り出した風鈴が、風に舞ってかすかに鳴いた。涼しげな音は、すぐにラジオDJのひとりごとにかき消されてしまう。
 夏の日のような気持ちのいい天気だ。空の青は濃くて、おおきな雲がきっぱりと白い。日向にいると動いてなくても汗ばんでくる。
 私は朝から家中の布類を洗濯しては干してを繰り返している。シーツも、カーテンも、全部取り外して洗濯機の前に山盛りに積む。暑いのに湿度の低い今日のような日にぴったり。普段使っている物干し竿だとスペースが足りないから、庭の外壁や木に使ってなかった竿を渡して固定した。
 朝から洗濯機と庭を往復し続け、正午をわずかに過ぎた今、やっと最後のレースカーテンを干し終えた。背中をぐっと反らして腰を叩く。洗濯物におおわれた庭は、ファーファの匂いで充満している。



 家を囲う竹林がわさわさと音を立てる。風が強くなってきた。洗濯物が翻るのが気持ちいい。
 ごまだれを添えたそうめんをおざなりに食し、窓を全開にした縁側でぼーっと寝転んでいると、庭にしげる紫陽花のすき間からせつながゆらりと表れた。幽霊みたいに。

「あ、せつなだ」
「久しぶり、えりかちゃん」
「うん、久しぶり。元気だった?」

 せつなは毎年この季節に私の前に現れる。一年に一回の逢瀬。約束もしてないし、第一連絡先も知らない。いつ知り合ったのかも、どこで知り合ったのかももう忘れてしまった。

「今日は洗濯?ははっ、すごい量」
「そう。今日という日は洗濯をする為に生まれてきたのよ」
「また変なこと言ってる」

 口にくわえた煙草からせつなの匂いがする。昔私が教えた、KOOLのメンソール。煙草の摘まみかたも私そっくり。

「覚えてる?去年はすげー量の梅を抱えてた」
「そうだっけ」
「その前はびわ」
「覚えてない、そんな昔のこと」
「えりかちゃんはやることが極端なんだよ」

 そう、去年はご近所さんにもらった大量の梅のヘタを取っていた所にせつなが来たんだ。梅干しと梅酒を作るから手伝ってと言って、せつなに梅の入った篭を押し付けた気がする。
 せつなは玄関へは回らずに、縁側から家に上がりこんだ。私の薄汚れたつっかけサンダルの隣に、品行方正なローファーが並ぶ。ついでとばかりに脱ぎ捨てられた靴下がなんともエロい。フローリングをぺたぺたと踏みしめる白い素足が眩しくって、つい見とれてしまう。
 麦茶でも出してやるかと思って台所へ行くと、せつなはすでに冷蔵庫を漁って缶ビールのプルトップを押し上げている所だった。勝手知ったる他人の家。

「おい女子高生」
「んっ……っぷはあ!いまさら?」
「それもそうね」
「えりかちゃんも飲もう」

 せつなは猫みたいに目を細めて笑った。人を蠱惑する視線。これも、私が教えた。



 戸棚にあったらしい缶詰めや、糠床のきゅうり、昨日の残りのきんぴらごぼうなどがテーブルに並んでいる。せつなは驚くべき嗅覚でつまみや酒を探し出し(持ち主の私ですらどこへ仕舞ったのかも忘れたものを、だ)、手際よく納涼会の準備を整えていった。

「えりかちゃんの料理うまー」

 制服を着崩さずきっちりと着た人が私の家で好き勝手してるのを、私は不思議な気持ちで眺めている。家に客人が来ることなんて滅多にないから、なんだかそわそわしてしまう。

「事前に来ること分かってたら、もっとマシなもの用意しておいたのに」
「何も用意してないえりかちゃんに会いたいのさ」
「若い子の考える事はよー分からん」

 せつなは会うたびに大人っぽくきれいになるから、よくない気持ちがむくむくと沸き上がってくる。膝をついたまませつなの方に回って、首筋に鼻を埋めた。

「まだ昼間だよ」
「うん」

 スティックセロリを咀嚼している音をうなじ越しに聞く。なんて健康で、なんて不健全なの。内臓の蠢く、嚥下の音。
 スカートからシャツを引き出して、その中の手を突っ込む。飾り気のないブラジャーの上からおっぱいを揉むと、それは思いの外ひんやりとしていた。

「えりかちゃん」
「ん?」

 ぺたんこの腹が一瞬、ひくっと痙攣する。

「もし私が死にそうになったらえりかちゃんが私を殺して」

 何を言われたのか分からなかった。

「死ぬの?」
「分からない」

 せつなの横顔が午後の陽を浴びてきらきらと光っている。何か大きな決心をした人の顔。勝ち気な瞳に強い意思が浮かんでいる。
 きっと、せつなはそれを達成できない。なんとなく、勘だけど。私の勘は大抵当たる。
 いいよ。這ってでも、汚泥を啜ってでも私の前へ来て。そうしたら殺してあげる。

「でも高いよ」
「東京イチの殺し屋だもんね」
「日本一って言え」

 その時、せつなと知り合った経緯を唐突に思い出した。まだ子供だったせつなが、ありったけの小遣いを握り締めて私に殺しの依頼をしてきたのが始まりだった。どこで嗅ぎ付けたのか知らないけれど、当時万両組に飼われてた私を青いギンガムチェックのワンピースを着たせつなが訪ねてきた。もちろん私に辿り着く前に組の人たちに追い返されていたけど、そこから興味を持って私から近づいたのだった。
 一年に一回、私に殺しの依頼を持ってくる幽霊みたいな子。
あの時のあどけない顔をしたせつなは、こんなにも美しく成長した。

「生き急ぐなよ」
「うん、ありがとう」


 私は、一年ぶりにせつなに恋をするのだろう。
 外では風を孕んだ洗濯物がはためいている。そろそろ取り込まなきゃいけないのに、この美しい獣は私を離してくれそうにない。


:まぶたの感光




(救済措置様に提出)
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