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「パパたち、元気?」

極めてかろやかに東は言った。
東に一番言われたくないのに、それを分かっているのに口に出す。

「元気だよ」
「ふうん」

わたしは動揺を悟られないよう答えた。それがお気に召さなかったようで、東は途端に不機嫌になる。訊かなきゃいいのにと思う反面、こういう東なりの癇癪が結構うれしかったりする。
電気ケトルの沸騰した音が聞こえて、東はベッドを抜け出した。

わたしたちは、年上の異性にそれぞれ飼われている。いわゆるヒモのような生活をしていて、わたしと東はそこから一歩出たコミュニティで出会った。三年前の話だ。
ここはわたしが昔付き合っていたパパに手切れ金代わりに買ってもらったマンションで、東は女の人との予定がない日は大抵ここで過ごす。
恋人ではないから、セックスはしたことがない。東にはわたしの男を悦ばせる術は通じないし、それはわたしも一緒だ。お互い無意味なことはできるだけしたくないのだ。
身体をあわせることの寂寥感は、いやというほど知っている。





「ねえ、ご飯食べに行こう」

読みかけだった小説を片付けて遅れてダイニングに向かうと、もう東の機嫌は直ったみたいだった。

「いいね、何の気分?」
「てんぷらとかどう?」
「浅井さんのお店はやだよ」

浅井さんは東を飼っているうちの一人で、都内に飲食店を何店舗も経営しているやり手の女社長だ。わたしを東の恋人だと勘違いしていて、目の敵にされている。
東はわたしの前にコーヒーを差し出して、困ったようにーーこの男のこう言うところに何人の人間が狂ったのだろうと、ふと思うーー笑った。わたしが東の女の人と争っているのを見るのが楽しいらしい。求められている自分が好きなのだ。
巻き込まれる女の人が可哀想。

「じゃあえりかが決めてよ。ボクはなんでもいいから」

東のなんでもいいは信用できない。
近場のお店を思い出せる限り羅列したのち、結局、家で鍋を作ることになった。それがいいなら最初からそう言えばいいのに。めんどうくさい。

「追加で必要なものがあったら電話してね。メールじゃあ気づかないから」

ベントレーの鍵をかちゃかちゃしながら東は言う。スーパーまで徒歩4分なのに、わざわざ高級車なんか乗ってバカみたい。東は不自由だ。車もアクセサリーも何もかも、東が女の人らにつけられた首輪でしかないのに。でも東はどこまでも随に生きている。





キッチンカウンターに置いてあるスピーカーから、ラ・トラヴィアータが流れている。食器を洗いながらヴィオレッタの歌声に合わせて鼻歌を歌う東。悲劇のヒロインの、泡沫の幸せ。
デザートに東が切ってくれたフルーツをつまむ。オレンジとキウイとイチゴ。冷凍庫の底に残っていたブルーベリー。わたしはカウンタースツールに座って、よく冷えたワインを飲んでいる。
パパからもらったチリワインは水っぽくて案外合う。あの人はどんな気持ちでわたしにこのワインをプレゼントしたのだろう。恋人と飲んでね?友達と?家族と?
東はどれとも違って、どれともすこしずつ合ってる。互いに止まり木でしかないのに、それが突然寂しくなる時がある。

「どうしたの」
「東のこと、愛してるけど好きじゃない」

言ってから、後悔が襲ってくる。
まあるい目がわたしを凝視する。
あまりに透き通った視線にいたたまれなくなって、わたしは俯いた。グラスとシンクがぶつかる音がざーざーと流れる水の音に掻き消される。

「ごめんなさい」
「えりか。えりか、ねぇこっちを見て」

東の声はつとめて優しく、そのせいでわたしはしゃっくりを堪えきれなくなった。身体が不自然に緊張して、だんだんと制御できなくなる。

「いいんだよ、それで。ボクたちはいつまででもそうして生きていくんだよ」
「そんなのできっこない」
「できるよ。ボクは信じてるのに、えりかは信じてくれないの?」

しらじらしい。わたしの頬をなでるいつもは冷たい手が、お湯に触れていたせいか異様なほど熱い。
暗澹とした黒い幕がわたしたちを覆う。

「信じられない。あなたはわたしじゃないから」

東のまとう空気が、一瞬、すんと硬くなった。
自分の怒鳴り声が頭にぐらぐら響く。眩暈に耐えていると、いつの間にかに東が隣にいた。中途半端に止められた水道が、ぽたぽたと滴っている。

「雨が」

骨が軋むほど抱きしめられる。

「雨が降っているから」

フレアースカートが脚にもつれて、わたしと東はかたまりのまま毛足の長いラグに倒れこんだ。不思議と痛くはなかった。ただ、ひどく苦しい。

「えりかがいなくなったら、ボクは行き場がなくなる」

だからそんな事言わないで。奥歯を噛みしめて絞りだした悲痛な声色。ぞっとするほど熱い呼気と涙が首筋にあたる。
その時わたしはやっと、心やすい気持ちになれた。今だけは、東はわたしのもの。安心よりも暗くてどろどろしている。

「あなたが作ったお酒が飲みたい」

確かに、薄らと雨の音が聴こえる。あんなに吹き荒れていた気持ちが嘘のように凪いでいる。東の最愛はわたしで、それだけでいいじゃないか。
わたしを下敷きにしていた東はゆっくりと起きあがって、ぐしゃぐしゃな顔をして笑った。鉱石のような、直線的で淡い色をした人。美しい顔ばせが、わたしのせいで汚れている。

「……愛を込めて作るよ」

そういう病気なのだ。東も、わたしも。
それが終わる時まで、三文小説のような生活を送る。



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