やばい、まじでやばいんだって
俺はその人の恐い顔に萎縮していた。
目が離せなくて、自然と足が震えてくるのがわかる。
「……いっ」
はっとして、彼女に駆け寄る。
「大丈夫か?!」
彼女は頭を手で押さえていたが、血とかは出ていないらしく、打撃しただけみたいでホッとした。
「………やばいな」
「何が?」
「あんた、もういいよ」
「だから何が、」
「早く逃げて」
「は?」
「あー、もう!」
彼女は苛立ちを隠せない様子で、俺の手を引いて立ち上がり、そのまま駆け出した。
「おいっ!!」
チャリを抜かして、よく吠える犬の家を抜かして、車が通れないような細い道に入っていく。
近くで、ガシャンッと勢いよく投げ飛ばしたような鈍い音が響いた。
「………やっぱ追ってくんなぁ」
なんて彼女が呟くもんだから、さっきぶつけてきた車が、また俺のチャリに損傷を加えているのだろうと思った。
「なぁ、あの車ってあんたん家の車庫にあったやつだよなぁ」
「うん」
「なんで、」
「だから誘拐されたんだって」
「…………」
「ごめん、」
彼女は俺の手首をキュッと力を入れて握る。
恐らく巻き込んで、ってところだろう。
「いいって」
「………ケータイも?」
「…………あ!!お前さっき落とした?!」
「いや、落としたって、いうか、引かれ、てた」
「………まじか、」
最近買ったばっかだったのに…。
「てか、大丈夫?息荒いっすよ」
「…結構、きついわ、コレ」
気づいた時には、ゼーハーゼーハー言いながら肩で必死に呼吸をし、頑張って足を動かしている。
「………ちょっとストップ」
「え?」
俺は彼女の肩を引き、こちらを向かせて彼女の膝裏と腹を抱えた。
「わっ」
「よいしょっと。掴まっててね」
俺は彼女に笑顔を向けた後、猛ダッシュでまた駆け出した。
小さな声で「うん」と彼女は返事をして、俺の服に手を添える。
まさかこんな状況で女の子をお姫様抱っこする日が来ようとは。
するんならもっと、そう例えば、付き合った女の子とイチャイチャしている時がよかった。
いやいや、こんなこと考えても仕方がないんだがね!
「だめよね、出ていっちゃだめよね?」
不意にそんな声がしたかと思えば、脇腹がつんざくような痛みをあげる。
「………っ、いって」
それと少し後に、カランと金属音が響く。
振り向かぬように、目で軽く後ろを確認すれば、地面に赤く色づいたポケットナイフのようなものが見えた。
耳をすませば、タッタッと、気づかなかった足音が聴こえてくる。
足がガクガクしてきて、正直走るのはかなり辛い。
それでも、顔をしかめながら必死に彼女を支えて走る。
「やばいって、あんた血ぃ出てるって……もういいって、下ろして」
彼女はそんなことを言っているが、俺はもうとっくに上の空で、ただただ走らないといけないと、そうしないと死ぬかもと、恐怖が後を立たない。
「……ねぇ、私は大丈夫だから、もういいから」
徐々に小さく弱々しくなる彼女の声は、何度、こんな痛い思いをしてきたのだろうと、俺の良心を抉るのだ。
だからきっと、この手は彼女から離せない。
助けを求めて、必死に俺に伝えていたのかも知れなかった、部活の帰り道を、彼女のあの笑顔を、思い出しながら。
「なにがもういいんだよ、お前の心配なんか元々しちゃいないんだよ」
「………じゃあ、」
「そんなことよりも、俺の心配してやがれ」
「…………っ」
彼女の目は光を取り戻したかのようで、太陽の光が、真っ暗だった目を輝かせていた。
一度、彼女は自分の顔を両手で覆い、小さく嗚咽をしたように思う。
「……ありがと、」
「おーよ」
「大丈夫、心配ない。…だから、もうちょっと、頑張って」
「よっしゃ」
背後の恐怖も、何となく怖くなくなった気がして、脇腹の痛みも、そんなにでもなくなった気がした。
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