「ち、ちょっと待て!コラッ!擽ったい」

さすがに、くすぐったさに堪らなくなる。ハートの王は身をよじってチェシャ猫を引き剥がそうとしたが、バランスを崩しチェシャ猫と共に後ろに倒れてしまう。

ハートの王はひとしきりはしゃぐと、徐々に落ち着きを取り戻す。
そしてチェシャ猫を抱き締めたまま、

「……ありがとう……」

と、小さく礼を云った。

風が薔薇の甘い香りを運び、暫く静かで優しい時間が流れる。
でもそれはあまりにも短い時間で……。

「王、どちらにおられますか!」

すぐに幸せな時間を破る声が響いた。
その声に一人と一匹は、ビクッと身体を強張らせる。

ディーだ。

ハートの王は身体を起こすと、抱いていたチェシャ猫を地面に降ろす。

チェシャ猫の頭を撫でながら、

「ありがとう……少し気が紛れた」

と優しい笑顔に、少しの憂いを含ませながらハートの王はもう一度、礼を云った。

王様に何があったのかは知らない。

チェシャ猫は他人の感情が読めるが、思考までは読み取れない。
でも確かに今、伝わってくる感情は昔から変わらない優しく暖かいものだ。

本当の王様は、真っ直ぐで真面目で、素直で。
でも感情をうまく表に出すことができない不器用さもある。
ある意味、王様という立場には一番不似合いな感じがする。

それでも一生懸命でひたむきに王様の勤めを果たしていたのを知っているから放って置けないのだ。


絶対、王様を止めよう!
絶対、俺の気持ち伝えて仲直りしよう!


チェシャ猫が改めて決意を胸に誓っていると、王様はすっと立ち上がる。

王様は人を寄せ付けない空気を纏い、凛と背筋を伸ばして、威厳と孤独のハートの王の顔になる。

もう、チェシャ猫も眼中に入っていない。

歩き出したハートの王の背中をチェシャ猫は切なく見詰める。
そしてその後ろ姿が見えなくなるまで見送るのだった――――。




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