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二階堂は灰色に濁った空を見つめて、大きなあくびをしてみせる。早くもコンクリート・ジャングルに辟易としている証拠だった。
結局親戚の家には帰らなかったまま、一昨日、着の身着のまま東京にやってきた二階堂は、SPW財団とかいうジョースター家を後援しているという団体のオレガノ・マジョラムとかいう香辛料のような名前のイタリア女につれられて、二日連続であちこち私物の買い物に連れ回されて、しまいには二階堂が無抵抗なのをいいことにあれこれ着せ替え人形にされてはすっかりくたびれていた。ここ十年でも三本指に入るくらいにめまぐるしい三日間だったと振り返って思う。今まで閉塞的に生きてきたせいだろうか。けれど三日前、急に突きつけられた現実に自分の築いてきた常識と死んだような人生の展望が打ち崩されたこともあって、二階堂は未だにこれは夢ではないかと思ってしまって仕方が無い。ともすれば自分は一体どうすればいいのかも、まったく考えあぐねていた。
自分はこの物語の中で、どういう立ち位置で、本来ならばどういう役目なのか、まったく分からない。しかし自分が花京院に関わってしまったことによって、二階堂が知っている『その場面』に花京院が死ぬという運命をたどることになるのだというのなら。その場面に二階堂要がいなかったということは、『その時』には既に死んでいるのか、はたまた別の理由かはわからないが、二階堂は誰よりも自分自身の誠実のために、それだけはどうにかしてねじ曲げなければならないと思っていた。
とはいえたった二日やそこらで具体的な方法など思いつくわけがない。
二日間も振り回されて、すっかりぼろぞうきんのようにくたびれていた二階堂は昨晩、死んだように睡眠を貪り、今日は昼前に目が覚めて、のそのそと起きてきてはジョセフによって用意されていた豪勢なルームサービスという遅めの朝食をとった。
特にやることもないので、二階堂はジョセフについて大学にやってきたものの、講義を受けにきたわけではなかったし、彼が熱弁を振るう様にも若干飽きが来ていた。ただでさえホテルに居る間はひっきりなしに話しかけてくるというのに、これ以上何が楽しくて彼の熱弁に耳を傾けなくてはならないだろうかと思った。仕方が無いのでジョセフの講義の間、大学を散策していたが、何もめぼしいことはなく、退屈だ。
いざ講義が終わってさて帰るかと思ったら、ジョセフはヒガシカタとかいう女性徒に半ば引きずられるようにしてどこかへ行ってしまったし、財団の人間も、今日くらい好きなところへ行っておいでだなんて抜かすものだから、タダでホテルへ戻ったって退屈だ。つまるところ、二階堂は今、何もやることがなかった。昨日はあれだけ引きずり回されたというのに、今日は全く何もない、というのも妙な話だと二階堂はぼんやり思った。

「ゲーセンでも行くか」

誰に言うでもなく、強いて言うならユノーに向けて二階堂は小さくつぶやく。ユノーの耳がぴょこりと動いた。
が、しかし。都会のコンクリート・ジャングルとは恐ろしいもので。どこにゲーセンやら娯楽施設があるのかもわからない。交通機関を今まで車で済ませていたことや、オレガノやジョセフに聞いておくべきだったと後悔しても遅かった。どちらが駅なのかもわからない。駅までたどり着いて、きっと池袋くらいまで出れば駅前にだってゲームセンターくらいはあるはずだと、思ったところで。

「財布の中身を忘れた」

昨日ジョセフに貰った小遣いを古いすりきれたがま口に入れたまま(これは二階堂がずっと昔から使い続けていた、数少ない彼女の私物の一つだった)、真新しい財布に入れ換えるのをすっかり忘れていた。この真新しい財布には、おとといこの財布を購入したときのおつりくらいしか入っていない。つまり、遠出はできない。池袋なんてもってのほかだ。そもそも、これ、ホテルに帰れるのか。ユノーがお前馬鹿かというような目で二階堂を見つめた。目は口ほどに物を言うとはまさにこのことだと思いながら、二階堂は頭を抱えたくなる。とりあえず駅までの道を聞かない事には仕方が無いと思って、

「すみません」

ちょうどその場を通りがかった、ランドセルを背負った背の高い男の子に声を掛けた。二階堂と同い年くらいだろうか。地元のことは地元の人間に聞くに限ると思っての事だった。

「最寄りの駅までの道をおしえてくれませんか。この辺、詳しくなくって」
「駅?…えっと、そうだな…これから僕も駅に向かうところだったし、ちょうどいいや。一緒に行こう」
「どうも」

二階堂は小さく礼を述べた。彼はこの大学で教えている教授の孫で、母にお遣いを頼まれて会いにきたというのに入れ違ってしまったんだそうだ。これでは後日母が直接来なくてはならないと、彼は少し不服そうだった。二階堂は久しぶりに同年代の子どもと喋ったと思いながら、駅へはすぐに着いてしまった。よくよくみれば、すっきりとした目鼻立ちをしていたからには、ハーフなんだろうか。瞳が緑色をしていたことに、二階堂は別れた後に思い出して、どこかでみたことがあるような気がしないでもなかったが、ホテルまでの帰宅ルートを考えているうちにそんなことはすっかり忘れてしまった。




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