遺物 | ナノ

梅の花が咲いていた。
白くてふんわりと花開いたそれは、気高い上品な香りを放っていた。今日も今日とて穴を掘って泥に汚れた私と違って、白い白い梅の花は私なんかより、とても高貴なのかもしれない。穴を掘るのは大好きだから、べつにそれが憎かったり、羨ましい訳じゃない。ただ背の低いそれを眺めていたら、私はそれを手折ってみたくなっただけなのだけれど、名前は私の腕を掴んでを止めた。

「手折ってはいけないよ、喜八郎。生きているんだから」
「だって、私たちなんてきっと目に入らないくらいに気高く咲いているから」
「生きものであることに変わりはないよ」「折ったって木は死なないよ」
「痛いことには変わりはないだろう」
「痛くたって生きていられるよ」
「喜八郎」

名前はじっと私の目を見つめた。

「喜八郎はこの一年、つめたい雨の日をすべて、傘もささず雨宿りもせず、降り始めてから降り止むまで、なんの文句ひとつも漏らさずにこらえ続けたかい?」
「喜八郎はこの一年、うだるような暑さの中で、地面の水が干上がってしまっても一滴の水も飲まずにお天道様のもとに立ち続けていられたかい?」
「そんなの無理だよ、人間だもの」
「そうだよ私たちは人間だ。梅とは違って、そんなに頑強ではないんだ」

名前は愛おしそうに、白くて気高い、小さな花を見つめた。

「だから、梅が一年に一度、その生きてきた強さを、こうして美しく自信を持って咲き誇っているんだ」
それも短い、短い間だけね。名前は付け足した。
「手折るなんて真似は、したくないんだよ」
「ふうん」

曖昧な返事をして、私は右手の行き先を変える。私は名前をぎゅうと抱きしめた。

「梅は抱き合うことが出来ないよね」
「そうだね、でも私たちはこうして抱き合うことが出来る」

名前の体は柔らかくて、暖かい。私は気高い梅よりも、名前の暖かさを自分のものにしたいと思った。



110314



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