小咄 | ナノ

ポータブルゲームを、いつも公園の片隅で静かにプレイしている子どもがいた。他の子どもはいつも隣のグラウンドで野球をしたり、サッカーをしたり。駆け回って遊んでいるのが"ふつう"な時代だったから、彼はなかなか珍しい部類の子どもだった。ポータブルのゲーム機を外に持ち出す子どもがまだ珍しかった、そんな時代の話だ。高価だったし、持っていたとして、友達の家に持っていって遊ぶようなものだった。神社の木漏れ日の下に座って、ひとりで、黙々と遊んでいたから、やはり目についたんだと思う。
ぼくはいつも犬の散歩にその公園を横断していたから、だからぼくは一方的に彼のことを知っていた。彼はきっとぼくのことなんて気にもとめちゃあいなかったろう。彼の双眸はいつだって小さな窓に向けられていて、だからきっとぼくが隣に座って一休みしていたって声をかけられたこともなかったし、ちらちらその窓を覗き見していたって、彼のとくべつ興味もない様子が変わることはなかった。

ある夏休みのことだった。その日は夏休みの課題に出ていた図画工作の水彩画を描くつもりで、ぼくはいつものように犬をつれて公園へ出かけた。その頃にはすでに散歩のついでの公園、ではなくて、公園のついでの散歩、になっていた。べつに彼に会いにいくのが目的というわけではなかったが、彼のスタンスは永久にかわらないとぼくはどこか確信していたような気がする。いってやらなくっちゃあいけない、だなんて、恩着せがましい義務感のようなものすら生じていたような気がする。どうしてだろうかはわからない。けれど夏休みになって、木漏れ日の下がうだるような暑さでも、彼は相変わらず(水筒こそ持参していたけれど)そこにいたし、公園を駆け回る子ども達と同じように、その風景のいっぺんを担っていた。
ぼくは犬にボールで遊んでやろうと思って、取り出した黄色いテニスボールを放り投げる。何度か投げてやりながら、バケツに汲んできた水と、パレットを取り出して、絵の具を絞り出し、茶色いクレヨンで画用紙に犬を写生しはじめた。
その日も彼はぼくの隣でゲームをしていたから、それが当然のことだと思っていたし、ぼくは絵を描くのに夢中に忙しかったから、彼の目がこちらに向いていたことにしばらく気付かなかった。

そして。ふと、交わった視線。がちゃん、と筆が音を起ててバケツに落ちた。
少しだけ目を見開くと、かれはもういちど、いつものように、小さな窓に向き直る。
顔がほてるような気がして、気恥ずかしくなって、ぼくはテニスボールをぎゅっと握り締めて、潜めるような深呼吸を一回。そして口をひらいた。

「面白い?それ」
「……面白くなくて、やる意味あると思う?」
「そうだね」

それで会話は途絶えた。分かりきったような質問をしたのがいけなかったのかもしれない、けれど向こうに話を続ける気がなければ、会話なんてきっとそんなものだ。すぐに死んでしまう。陽炎よりも短い命。
二人の間の空気は死んでしまった。もう生き返らない。新しい命が芽生えるのはいつだろう。ぼくの心に残機は残っていない。彼が口を訊こうとしなければ、ぼくたちは永遠にこのままだ。
永遠に?永遠って、どういうことだろう。
いつまでも続くわけがないのに、ばかばかしい。
ぼくは立ちあがることにした。なぜならここに腰掛けている必要が感じられなかったからだ。指先がじんわりと熱い、どこかにぶつけたわけでもなければ、挟んだわけでもないのに、そういう熱。もともとあったみたいでもあるし、突然沸き上がってきたような心地でもあった。

「もう行くのかい?」
「行かないでほしい?」
「好きにしたら」
「じゃあ、もうちょっと、ここにいようかな」

彼がぼくを見た。ぼくは彼をみていた。
彼の双眸が僕を移したとき、そのひとみの奥にきらりと、淡い緑色の宝石がこぼれたような、星がながれたような気がした。
気のせいだっただろうか。
ぼくは緑色の絵の具のチューブを手に取った。僕の好きな色だった。



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