小咄 | ナノ

ノックを二回、返事がなかった。
もう二回ほどその行程を繰り返してからドアノブをまわしてみれば、すんなりと開く。不用心にも程があると思いながらその豪奢な彫り物の施されたシックな木製の扉を押し開け、濃い緋色の絨毯の上に足を進めた。天井からは今にも落ちてきそうなシャンデリアが吊り下がって、けれど明かりは点っていない。電気をつけようかと思ったけれど、そうするまでもなくこの部屋の主たるツワブキダイゴを見つけることができたから、名前の意識は明かりよりも、自然と彼に向いた。まだ昼過ぎのせいだろう、窓際に佇んだ彼は陽の光に透かして、きっとまた、よくわからない、鉱石だの進化の石だのなんだの、彼の言う所の"特別な石ころ"の質を確かめているのだろうと思って、ただ小さく息を吐く。なんと声を掛けようか、少し迷ったのだった。

「ずいぶんしんみりした様子じゃないか、君らしくもない」
「そうかな」

きっと最初から気付いていたのだろう。そう返事をして、此方を振り向いたダイゴは眉尻を下げて笑った。「少なくとも、夢中になってるようには見えなかったけれど」名前は彼から一番近いデスクに腰を預けて両腕を組む。「そうかもしれないね」ダイゴは米神のあたりを弄りながら、小さくため息を吐いたようだった。

「君は、あの青い宝石を憶えているかい?」
「…どの石?」
「ほら、小さい時、君が見せてくれたろう?秘密の宝物って言ってさ、青くて、これくらいの、小さな」

指でつまむような仕草をとってみせて、その"宝物"を再現して見せようとする。「ああ」思い当たる節が、無いわけではなくて、名前は小さく相槌を打ってみせた。

「君が欲しがって欲しがって喧しかった、あの石ね」
「いくら探しても見つからないんだ」
「それが悩みなの」
「君が今、それをくれたらどんなに胸が梳くだろうかって思うね」
「言ったでしょう?失くしてしまったの」

肩をすくめて、別に意地悪をしているわけじゃなかった。アレを失くしてしまった、というのは、半分は本当のことだった。半分、というのは、今でも自分がそれをどこか大切に仕舞ってあるからで、それを探すのが面倒だってこと。それから、彼にあげてしまえば、きっと彼は落胆するだろうという優しさもある。

「ポケモン勝負に僕が勝ったら「それはフェアじゃないし、アンタ盗賊?」……わかってるよ」

そういって不機嫌そうに頬杖をつくその様は、ほとんど子供のようであった。おおかたの人間が知っているツワブキダイゴは、ポケモンリーグの頂点に君臨するチャンピオン、ついでにその両肩にかかったデボンコーポレーションだかなんだか、大企業の副社長、財閥の御曹司というブランドネームに恥じない人物で、その恵まれた容姿と授かった才能のおかげでいつもパーフェクトだなんだかんだともてはやされては、彼自身の外面もよく、それでいてそれを当然のように身に纏って笑顔を振りまくのがほとんど癖になっているのだろう。息をするにも窮屈そうな世界だと、時々同情してやりたくもなるのかもしれない。なんて、どこから見てものを言っているんだか、と、自嘲したくなって、窓の外に視線を投げ出した。

「そんなに大切にするべきものでもないのかもしれないわよ」

外で飛沫を上げる噴水を眺めていた。「いいや」ダイゴはやんわり否定の言葉と一瞥を投げてから、小さく微笑む。

「それまでだって、あれだけの宝石に囲まれておきながら、あんなに美しいものを、僕は今までみたことがなかったんだ……おかしいね、小さな硝子片が、ぼくたちの宝物だなんて」




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