小咄 | ナノ


最初に出会ったのが最悪な印象だった、だなんて、まるで出来の悪いホームドラマのようで、今となっては笑い話にするにもスパイスが足りない。すっかりそれすらもきっと、彼は忘れてしまっていただろうし、私だってそんなことに固執していたいわけじゃあない。排気ガスで濁った空が憎い。月もどこぞのビル隠れてるんだろう、見つかりそうにもない、これだから都会は嫌いなんだ。癒されない。
B.S.A.A.の訓練はいつだってキツい、こればっかりは、そういう風にプログラムされているのだから仕方ない、我々は朝から晩までこき使われて、それはもう、毎晩ボロ雑巾のようになって泥のように眠るわけだ。それは男であろうと女であろうと関係ないし、そもそも男も女もあの部隊では同等に扱われる。私はそれが気に入ってあの場所への入隊を決めたわけだから、なんの不満もないし、並大抵の男どもに"下品な"冗談をぶつけられたって痛くも痒くもなかった。それこそそいつの股間にコルト・パイソンをぶっ放すくらい容易い。自分の女なんて最初から捨てていたようなものだった。ジェンダー?フェミニズムだ?そんな吠え面をかく雌犬どもこそが糞食らえ。
そんなわけで、泥のように眠る手前。もう既に夜半を過ぎて、私はダウンタウンのステーキハウスにいたわけだ。クラブで男を引っ掛ける気にもなれない、私が欲していたのはアツいビーフのタンパク質で、下卑たどこぞのコックじゃない。労働の後のビールはマリアの聖水に値する、それはもう、空きっ腹にビールだ、最高に酔っていたことは私も認めよう。それほどまでに、疲れきっていた。

「名前、苗字・名前。君のがチリ・ソースだろう、それは俺のマスタード・ソースの方だ」

そこで彼が現れたというワケだ、ピアーズ・ニヴァンス。私の名を知っているとは思わなかった。なんせ彼は優等生というヤツで、私がどうあがいても勝てないであろう天賦の才能を持っていた。だからだろうか、単純にアルコールがまわってて、私はどうにも虫の居所が悪くなっていたのかもしれない。もちろんその頃には、自分が頼んだ5ドルのプロモーション・ステーキがチリ・ソースだったかマスタード・ソースだったかんてすっかり頭からトんでいた。

「伝票、確認したらどうだ。私はマスタードを頼んだ、あいにくチリは甘くって、食べられたもんじゃあない」
「それは俺だって同じことだ」
「じゃあ替えてもらえばいい」
「このプロモーションのステーキは返品出来ないって知ってるか」
「そいつは残念だったな、見ての通り、私は既にナイフを入れてる。それこそ、返品不可ってやつだ」

ニヴァンスは何を思ったのか、私の傍らにどっかりと腰掛ける。まったくどういうつもりでそうしたのかはわからないが、おかげでその日の私の自分へのご褒美と称したステーキはゴムのように感じた。彼は終始「自分が頼んだのはチリじゃない」っていい続けていたあたり、きっとあいつも相当酔っていたんじゃあないだろうか。いや、酔っていた。そうでなければ、私があの時「わかったよ!半分は君のだ、それでいいだろう!」だなんて折れたりすることもなかった筈だった。私はマスタードの効いた風味豊かなブラウンソースを、一人で存分に堪能することを諦める必要なんてどこにもなかった。
ピアーズ・ニヴァンスはとにかくいけ好かないヤツだった。いつも涼しい顔をして、全く人の努力と言う物を踏みにじるような、そういう悪魔みたいなやつだった。正論に正論を重ねて来る。頭のいい人間はこれだから嫌いだ。いつだっていらん指摘をしてくる。ジャパンでは、"ジュウバコの隅をつつく"という表現をするらしい。ジュウバコがなんだか私は知らないが、とりあえず嫌みなヤツだってことはわかる。

「その構え方、どうかと思う」
「……余計なお世話だ」

ほとんど脊髄反射のように言い返すと、MP5なんてどうせ使う機会の方が少ない、とかタカを括ってるんじゃないのか、と指摘されて、思わず眉間に皺が寄った。

「別にそういうつもりじゃあない」
「だったらどうして、わざわざ反動でブレるような打ち方にするんだ。最初の一発で決まらなかったらどうするつもりなんだ」
「うるさいな、単純に苦手なんだよ。黙ってろ」
「アンタはどうしていつも、そう頑なんだ」

私は真面目に苦手を克服するために地道に努力を積む、だなんて作業自体が、大の苦手なんだ。コルト・パイソンのほうが幾分も得意だ。それこそ、そこらの構成員には負ける気もしないし、それはこの、ニヴァンスにだって、とそういうつもりで。きっとそれも伝わっていたのだろう。

「俺たちが備えてるのは、もう人間との勝ち負けじゃない」
「知ってるよ、そんなこと」
「生き残るための手段だ」

なにを偉そうに。唇の端を食んで、正論だからには言い返せない自分も嫌いだった。反動でブレるだけじゃない、肩を痛める可能性もあるのを矯正させたいんだろうとも思われたからだ。「女なんだから」とか、そういう言い方をしないのに、余計に腹が立つから、私はMP5を放り出すことにして(そもそも時間外に銃器と触れ合ってること自体、私だって真面目な筈だ)、ダウンタウンのステーキハウスへ向かうことにする。プロモーションの、安くてゴムみたいなステーキを食べながらビールを煽るのが、それこそが生き残るための儀式だ。そういうときは、もれなくニヴァンスが付いてくるのだけが嫌だった。

「ニヴァンス、君のはマスタード・ソースじゃなかったはずだ」

いつだって痺れを切らして苦言を洩らしたのは、私の方であった。いや、知り合う前から、もともと彼についてはいけ好かないやつだと思っていた。あいつはいつだって"アツ"くって、まともについていけやしない。仲間思いで、あのゴリラみたいな隊長ですら、心から敬愛して、真面目に鍛錬だって積んで、常に冷静な判断を下す。きっと死際までそうだったに違いない。今だから言える、ばかばかしい話だ。どうせ最後までクソマジメに死んで逝ったんだ、そういうヤツだって、私は、誰よりも知っていた。

「逃げるなよ、お前がB.S.A.A.背負わなくて、どうするんだよ、ニヴァンス」

空きっ腹にビール、アルコールが体内を巡る。生きていることに感謝して、涙もなにも、なかったことにした。
なあ、ピアーズ・ニヴァンス。早くクソ不味いチリ・ソースのかかったステーキを、半分よこしてくれないか。



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