ソロモンの守人 | ナノ

夢を見ていた。
体中が灼けるような痛みを全く感じなかったから、これが夢だとすぐにわかった。
今回ばかりは、本当に死んだかと思った。
けれどここが夢だと安心して、わたしはどうやら助かるらしいという事実に安堵した。
しかし久々に深手を負ったせいで、体が上手く動かない。息をするのも苦しい。肋骨が何本かやられているせいだろう。軋みながら動くゼンマイ仕掛けの人形みたいに、うめき声を上げながらどうにか仰向けに転がると、どうやら今までと少し様子が違うことに気づく。
ここにはいままで、傷の一つもなく、完成された美しい迷宮が広がっていたと思ったのだけれど。
今や壁は崩れ、天井は落ち、本やがらくたが散乱している。どうしたことか。何かに襲われでもしたのだろうか。とたんに肝が冷える。あのアラジンとかいう子どもは大丈夫だろうか。
急に心配になって、起き上がろうとする。腹筋に力が上手く入らずに、へばってしまった。しかたないから一度肘をついて、どうにか上半身を持ち上げる。すでに息も絶え絶えな自分を嗤うことしかできなかった。
生まれたての子鹿かわたしは。そう思うくらいには膝が笑っている。けれど前に進まないことには仕方が無い。

「まったく、君も無茶をするなあ」
「……居るなら居ると、はじめから言ってくれよ」

恨みがましく後ろを振り返れば、番人はにこにこと笑っていた。どういうことだろう、わたしは首を傾げる。

「アラジンは無事か?ここはいったい、どうしてしまったんだ?」

老朽化か?と訊けば、そうじゃないよ、とやんわりと否定された。どうやらアラジンが癇癪を起こしたらしい。子どもが癇癪を起こしたくらいで、ふつう"こう"はならないだろうと思ったが、番人が何も言わないので黙っていた。番人に連れられて、アラジンのもとに連れて行かれる。彼は暴れ疲れたのか泣き疲れたのか眠っていた。柔らかい髪に触れる。私は彼が起きている姿を見たことがなかったが、きっとここに居る間にみることは無いのだろう。それはきっとわたしがまだ未熟なせいだ。守人とはきっとそういうものなのだ。

「アラジンの願いを叶えたんだ」

番人が口を開いた。それはつまりどういうことなのか、まるでわからなかったけれど、番人は「なんでも一つだけ」彼の願いを叶えることが出来るんだとか。世界の莫大な知識も、巨万の富も、永遠の命すら、アラジンが望むものを一つだけ、叶えることができたのだと、彼は言った。

「彼の願いは、俺と友達になることだったんだ」

俺はどうやら、「一人の寂しさ」ってやつを、知らなかったみたいだ。
番人は苦笑いする。お前は人間じゃないからなと皮肉を言ってやりたくなった。
アラジンの小さな頭を撫でる。どうりで、彼は幸せそうな顔で眠っていたから。

「…それでここがこうなったのか?」
「いいや、それはまた別、というか、ちょっと前、というか」

彼はアラジンの小さな頭を、形容しがたい表情で見つめて言った。

「……彼は自分が何者なのか、知りたがってる」
「教えてあげればいいじゃないか」
「そういうわけにはいかないんだよ」

むっとしたような声で言われた。
そういうきまりなんだ。僕は彼に教えてあげることはできない。
そして、それは、君もだよ。番人は言った。我々は、彼に彼自身のことを教えてはならないのだ。彼は自分で、それをみつけなければならないのだ、と。

「わたしかて、彼が何者か、知らないのだけれど」
「君には、いつか教える時が来る」
「今じゃないのかい?」
「君が自分の身を、自分で護れるようになったときには教えるさ」
「まったく、存外君も堅物なんだね」

わたしは、ソロモンの守人がどういうものなのか、今の時点では何もしらないことになっている。
けれどわたしかてバカではない。それがいったいどういうものなのか、既に理解し始めていた。
わたしは、「ソロモンのうつし身」を護らなければならない。
そしてその「ソロモンのうつし身」は、この小さなアラジンなのだろう。
小さな体に大きな使命と大いなる力を秘めているのが、凝をしてみれば一瞬で分かる。
わたしは、「世界の異変」を止めるための走狗に過ぎないのだ。
甘んじて、それを受け入れるつもりで、だからわたしは今、死にそうになっているんだけれど。
これでは本末転倒だっただろうか。
どこかでルフがピイ、と鳴いたような気がした。
運命の流れは、留まることを知らない。




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