夢を、見ていた。 だめだ、そろそろ本当に死ぬと思っていたけれど、本当に死んだのか。 久しぶりに明るみに出たせいで、辺りがとても眩しい。もう立っているのもやっとだった。 腹の虫も死に絶えたようで、言葉通り、ぐうの音も出ない。 視界が霞みかけたところで、青く大きな何かに包まれたのがわかった。 「いったいどうしたの!」 番人が焦ったような声を上げた。どうしたもこうしたもない。見た通りの状態だよと苦笑した。 私は何やらあたたかいベッドのようなものに寝かされて、唐突に口に何か液状のものがおもいきり注ぎ込まれた。 気管支に入るかと思って、むせる。番人がよけいに焦り始めたので、なんとか飲み込んで、ぜろぜろと息をする。あれだけ死にそうだったのに、これではなんだか死にそうだとはいえないような自分に驚いた。まだこんなに、生きる気力が残っていたなんて。 「いきなり、そんなには、むりだよ!」 「ああ、そっか、俺、加減が分からないから…」 いったい何だったのか。冷えきっていた体に、血が巡り始めたような、そんなむず痒い痺れが体を走った。起き上がる。また、みたことの無い場所にいた。 「まさか、ここに来たいがために断食した、なんて言わないよね?」 「まさか」 どこの修行僧だ、そんなもの。わたしは基本的に食べることは大好きだし、する必要性にかられたわけじゃない。ついでにいえば、そこまでしてここに来るメリットもない。 番人は何やら金属の器を、わたしの膝の上に落とした。 なんだ、と思ってそれを両手に取ると、むくむくと何かが沸いてくる。黄金色の液体。食べ物の匂いがした。 なんだこれは、と思って番人を見上げる。 「食べられるよ」 「……ありがとう」 器に直接口をつけて、口いっぱいに吸い込む。温かくて、甘酸っぱいような味がした。喉をするすると伝って、胃に届く。じんわりと広がっていく。久方ぶりの水分と栄養分に、身体が喜んでいるのが分かった。 「おいしい?」 「おいしい」 そのうち、腹がいっぱいになってしまった。器は自然と空になる。自分の手のひらを見ると、血色がよくなっていた。さっきまで死体みたいな色をしていたのに。 ようやく、あたりを見回す余裕が出てきた。がらくたの山がたくさんあった。いや、がらくたというにはどれも綺麗で、埃なんて見当たらない。きらきらと光って、これががらくたなんかではなくて、宝の山だってことに気づく。あたりに人影はなくて、巨人がにこにことわらうばかりだった。それから、自分のすぐ隣に、見た事のある子どもが寝かされていた。この前来たときよりも、少し成長している。 「これは…?」 「アラジンっていうんだ」 「へえ、他にも人間がいるとは思わなかった」 「いいや、彼だけ」 「……この子どもの家族は?」 「いない」 「ふぅん」 頬にふれる。柔らかい。あたたかい。いきている。 寝息をたてるこの子どもが、どうにもいとおしく感じた。 それから、どうしてか、意識を失う前のことを思い出して、どうにもいたたまれない気持ちになった。 「なにがあった?」 「……」 口に出すのが、ためらわれた。 けれど、ここは夢だ。 何を言ったって、赦されるだろう。 まったく理論的でもない理屈だった。 「ジジイが、死んだ」 「……そう」 理由は簡単だ。単純に、飢餓。餓死。 ジジイのやつ、自分に回された食糧を、わたしに回していたんだ。 外の世界は干ばつだか不作だかで、食べ物に困窮しているらしい。わたしはもう何年も日の目をみていなかったから、何もかも、ジジイの話でしか知らないけれど。 もう何年もそんな状態だったから、ジジイに教わった限りで、自分がどんな状況におかれているのかも、自分がどういう存在なのかも、よく知っていた。 ようよう、わたしに回されるべき食糧は尽きていたのだろう。 ジジイはもともと偉い人間だったのか、それとも賢い人間だったからなのか、食べ物を受け取ることができていたというのに。 「わたしのせいだったんだ、きっと」 ジジイは、あるとき、わたしが閉じ込められていたところに、突然現れた。この世界でわたしの知る、唯一の人間だった。 最初っから両足がなくて、膝上から下には不似合いなほど短い義足をつけていた。それでも大柄な男だった。彼が来てから、わたしの部屋はとても狭くなってしまったと思ったものだ。しかも無口で、気難しい。気に入らないとすぐたたくし、その勢いは、ジジイのくせに、とても強い。暇つぶしだといって体術だってやらされた。ぼこぼこにされた回数は数知れず。機嫌を損ねたら、食べ物がくるまで逆立ちの刑。手加減なんてしてもらえたためしが無かった。大人げなさの塊だと思う。つまり、彼は、とてもじゃないけれど、お人好しとは言えない男だった。 けれど、 「文字を教えてくれたのも、言葉を教えてくれたのも、ジジイだったんだ。彼がわたしの名前を呼んだから、わたしは初めて自分の名前を知った。……わたしが何なのか、知っていたのかもしれない」 「ソロモンの守人だ、ってことをか?」 「それはわからないけれど、わたしが持っていた本をいたく気に入った様子だったから」 「本?」 「まえに、ここから持ち出してしまった本」 「持ち出したのか…」 番人のあきれたような声がした。 「何の本?」 「わからない。ジジイが隠してしまったから。どこにあるのかは知っているけど、ジジイがそれをゆるさなかったから」 「君は読んでないんだね?」 「うん、あのときはまだ、文字がよめなかった」 「そっか…じゃあ、それは、後から、燃やしてしまってほしい」 「ここのものだから?」 「そう、ここのものだから」 じゃあ、その前にみつけて、読まないとなあ。番人は、読むなとは言わないし、そういうことだろう。 「ねえ、ソロモンの守人って、いったいなんなの。わたしがソロモンの守人だから、あっちでは、閉じ込められているの?」 「君が閉じ込められていることの直接的な理由かはわからないけれど、その可能性がないわけじゃない」 「それって、どういうこと?」 「君はソロモン王のための兵なんだ」 「ソロモン王って、誰?」 「それは答えられない」 「わたしは、誰かのためにたたかうの?」 「必要とあらば。……まだ、必要はないはずなんだけどね」 「わたしは、誰を守ればいいの」 かつてわたしは、大切な人を護って闘った。 それは最初で最後のおしまいだった。 わたしの世界はそこで終わって、けれどわたしの世界ばかりは何巡かして、こうしてちっぽけなわたしはここに生まれついた。 今となっては、守るものなんて一つも持ってない。わたしがまた、なくしてしまったから。 あの朝、ジジイはうごかなくなっていた。 手も足も、氷のようにつめたくなっていった。 そしてその日のうちに、どこかへ持ち出されていった。 そこからまたひとり、閉じ込められて。 ひとりなんて、もう何年ぶりだったろう。 なにもすることがないから、じっとして、考えていたんだ。 「ずっと、かんがえていたんだ」 自分が何なのか。どうしてここにいるのか。 なにも特別な力なんて持っちゃいなかった。わたしの体は小さいくせに一人前に熱を出したし、まだまだ子どもで、体術だって、ジジイにも負け続けたくらい弱い。暗いところでじっとして、今までの時間を生きてきた。 学もなく、外の世界も知らない。 彼が教えてくれたことだけが知識で、暗く狭く、湿って、冷たいのがわたしの生きる世界だ。 彼が死んでしまってから、せかいはまた小さくなった。 なにもたべるものもないから、できるだけ動かないようにして、完全に絶をしてオーラの消費も減らして。 鉄格子を伝う結露した水を飲んで、渇きを凌いだ。 けれど、ああして死にそうになって。 それなのに、こうして、また生き存える。 「どうして生きているのか、わからないよ」 なんで生きていないといけないのか、わからないよ。 「きみには、ルフの大いなる使命がある」 番人は、静かに言った。 「……けれど、まだその時じゃない。世界が、ほんとうの奇跡を必要とするときが来るんだ」 「それに君はまだ小さいし、とてもじゃないが、つわもの、とは言えない」 その大きな瞳が、わたしを見つめる。 「 」 彼の口は、わたしに生きる意義をあてがった。 あまりにも重い注文だなあ、と、頭の片隅が途方に暮れた。 目が覚めたら、世界が変わってしまうような気がした。 ← ▼ → ×
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