ソロモンの守人 | ナノ


「ジブライルさん」

どれほどそうしていただろう、日が傾きかけて、ようやくアラジンが口を開いた。彼は何を考えていたのだろう。ジブライルは静かに、振り返ったアラジンに視線を合わせる。

「君が決めてくれ、アラジン」

私からは、なにもすることはないよ。残酷かもしれないけどね、それが世界だから。ジブライルは囁くようにして呟いた。彼女はアラジンの守人だ。あくまでも彼女の意志は、アラジンと共にあること、そして、まだ幼い彼を守ることであったから、世事に干渉する義理はない。アラジンもそれをわかっているのだろう、静かに頷いて、彼はようやくジブライルの膝から下りる。

「おねえさん、みんなが三番路に。友だちを…助けなきゃ…」

アラジンの言葉に、ライラは静かに肩を下ろした。「友だちかぁ…勘違いだったよ」どこか気の抜けたような、物静かな口調だった。

「思い出したんだ。私が正体をバラせば、仲良しの"演技"は終わり。何度もあったことだ…まあ、あの娘も今までのカモと、同じだったってことかな…」
「……本気で言ってるの?」
「本気だよ。こんなの気にしてちゃ仕事にならないもの……あ〜あ…また得意な盗賊稼業にでも戻ろうかな………」

飄々として、悲しむような素振りをみせようとしない彼女に、ジブライルは静かに感心していた。強い心だと思った。けれどそれは、幾度も傷つけられて、ボロボロになって、痛みが麻痺するくらいの悲しみだからこそのことだと、きっとアラジンは直感的に気付いている。彼は純真無垢な瞳を向けて、そして口を開いた。

「死んじゃうよ」

そのひと言が、立ち上がって大きく伸びをしてみせたライラの動きを、ぴくりと止ねる。アラジンは続けた。

「一度、友だちの信用を失くしただけで死ぬほど悲しいのに、こんなの何度もやったらおねえさん、悲しくて死んじゃうよ。変わったんじゃなかったの?」

ああ、なんて眩しいのだろう。ジブライルは静かに目を細めた。アラジン、君はなんて真っすぐなんだ。その真っすぐな言葉は、ライラの心を揺さぶる。ぐっと握りこぶしを作った彼女の体が大きく震えた。

「もう、嘘つかずに生きようって…決めたんだよね!!」

振り返った彼女の眼から、感情の波が溢れ出す。「悲しいよ!」再び崩れ落ちて、彼女は叫んだ。

「でも、助けに行くなんてもう遅いよ…!!今さら追い付けないよ……!」
「大丈夫!僕とジブライルさんに任せて!絶対追いついてみせるから!ね!」

差しだしたアラジンの掌、ああ、彼はこうして人に手を差し伸べる。心の温かな、そして優しい少年だ。迷宮の中で静かに眠っていたあの幼子は、こうも麗しい心を持っている。

「ジブライルさん!」
「君は…わかっているね?私はあくまで、君を守るためにいるのだということを」
「うん、でも、だから、僕のために力を貸してほしい」
「わかった。それならば、ウーゴ殿よりもきっと、私の方が"速い"。先に向かうことにしよう」
「ありがとう!」

ジブライルは強く地を蹴った。後ろでアラジンが思い切り金属の笛を吹く。むくむくと沸き上がった巨人の身体、私は彼に感謝しなくてはならないような気がした。

「彼を守ることを天命とするのに、これ以上の喜びを感じることがあるだろうか」

口元に微笑を浮かべながら、乾いた路をひた走る。あのウーゴくんと呼ばれたジンの、彼の足が速いことはさながらだが、しかし彼女には生まれながらにして恵まれた才能溢れる脚と、そしてその機能を爆発的に飛躍させる魔力操作の技能があった。重い積み荷をいくつも積んだ隊商がラクダに牽かれて半日に進むことの出来る距離など、彼女の全力にしてみれば赤子の手を捻るのと同じ要領で辿り着けるものであった。
三番路はサバンナのような平地と、ところどころに現れる切立った大岩のような崖が特徴的な通路だ。その大岩をくり抜いては盗賊がそれを住処とすることが多いのだろう、ひときわ大きな大岩にはまるでアリの巣のように穴を掘られたような形跡があった。
一度の跳躍で飛び上がった大岩の上からは、ハイエナの群れに囲まれた隊商を容易く目視出来る。狡猾に飢えたハイエナ達が牙を剥く。まんまと嵌められ囲まれた羊の群れには、最初から逃げ場など微塵も与えられはしないのだ。ジブライルは小さくひとりごつ「もう遅かったか」しかし。ちらりと振り向いた背後遠くには、青い巨体が土煙を盛大に起てながらこちらへと向かってきてるのが、既に目視出来た。

「先に始めていても、不遜はない」

彼女が右手を背中の大剣ヴォルガベルの柄にかけるのと、隊商にハイエナが襲いかかるのはほとんど同時のことであった。



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