純然たる誠実に告ぐ | ナノ

「要はなれですよ、なれればこの国のふところの深さがわかります」

ウエイターが運んで来たチャーイを片手に、アヴドゥルは上機嫌そうに言った。
自分の手前に差しだされたミルクティーの泡をつつきながら二階堂はげんなりしたような様子で、既に黙り込むことを決め込んでいるようだった。ジョセフとポルナレフは理解出来ないと言った態で目を見合わせる。訪れた沈黙を割ったのは、承太郎であった。

「なかなか気に入った…いい所だぜ」
「マジか承太郎!マジに言ってんの?おまえ…」

そう叫んだジョセフと全くそっくりな面持ちを、二階堂がおもいきり顔に出したものだから、隣で腕を組んで眺めていた花京院は思わず口元を抑えた。その口の端が弧を描いていることを察して、二階堂は鋭い眼光を花京院に向ける。

「何がおかしい」
「いや、おかしいんじゃあない」

ただ君は、昔は、そうやって顔に出したりするのが苦手だったものだから。口には出さずに、そっとチャーイを啜ると、ショウガの匂いが鼻を抜けた。

「しかし…懐が深い、ね……ちょっとですが、ぼくも分かるような気がします」

ますますわからない、私はそういう、君の気どった所をどうかと思うね。口には出さずに心の中で毒づいてから、二階堂は背もたれに背中をあずけて、呆れたと言わんばかりに大きなため息をついた。ポルナレフが席を立つ。ちょうどそれと入れ替わりにどこからか涼しい顔で戻ってきたユノーに、二階堂は何をしていたんだと更に眉間に皺を寄せる。しかし狐の手に握られていたのは、見間違いでなければ、さっきスられたとか零していた、花京院のサイフで。花京院に礼を言われて頭を撫でられて、満足そうにふんぞり返るスタンドの姿に二階堂は唇をへの字に曲げた。

「流石イタズラの達人といったところか」

ジョセフの感心したような科白に、(それはつまり、手癖が悪いってことじゃあねえか)承太郎はチャーイを啜りながら思ったが、きっと二階堂も同じことを思っているのだろう。面白くないといった顔つきで窓の外を眺めていた。彼女のスタンドはずいぶんと、彼女の意識の及ばないところにあるらしい。二階堂の知らぬ所でヴォルペコーダ・ユノーには、牽制とも威嚇ともつかないような喧嘩を売られたことは多々あった。買う必要のない喧嘩を手に取る必要はないし、そもそも承太郎にはユノーのそれが虚勢であることもわかっている。相手にしないというのがユノーの癪に障る所でもあるのだろうが、それ以外に対処のしようもない。
それにくらべて、花京院はずいぶんとこの狐に懐かれたものである。今だってごろごろと喉でも鳴らさんばかりのすり寄り方だった。二階堂がそれを黙認しているのは、きっと昔からそうだったのだろう、慣れというもの以外の何者でもないように見える。
と、その時だった。

「シルバーッチャリオッツ!!!」

ポルナレフの叫び声が聞こえた。続いて硝子が破れるような音がして、五人はほとんど同時に立ち上がる。駆け寄った洗面台の前、砕けた鏡の前に立ち尽くすポルナレフ。開け放たれた窓、絨毯の上に散らばった硝子片がきらりと光を反射した。

「どうしたポルナレフ」
「何事だ!?」

ジョセフとアヴドゥルの呼びかけに、ポルナレフは振り返らないまま口を開く「いまのがッ!今のがスタンドとしたなら……ついに!」二階堂は直感的に察する、彼のこの昂り様は異常だ、おそらく。

「ついに!やつがきたゼッ!承太郎!おまえがきいたという鏡をつかうという…『スタンド使い』が来たッ!おれの妹を殺したドブ野郎〜〜〜ッ、ついに会えるぜ!」

二階堂は静かに自分のスタンドを睨みつけた。もしかすると、ユノーが敵のスタンドを引きつけたのではないかと思ったからだった。しかしこの狐はどこ吹く風で、じっと散らばった硝子片を眺めている。一向はひとまず店の外に出ることにして、ウエイターに話をつけようとのジョセフの言葉にアヴドゥルが頷いた。やれることがない学生三人とポルナレフは先に店の外へと足を運ぶ。
異様な緊張感の張りつめた沈黙が四人の間に流れる中、各々頭では相手が一体どんなスタンドなのかを考えていた。本体が雑踏に紛れているのだから、自分たちが圧倒的不利な立場に置かれていることに代わりはない。二階堂はちらりとポルナレフの顔色を伺ったが、その色は険しい。黙ったまま士気を昂らせている。妹の敵なのだから、無理なはい。足元に散らばっていた鏡、ポルナレフは鏡を攻撃したのだから、鏡に映っていた『スタンド』なのだろう。背後の窓を攻撃しなかったのは、実体が見えなかったということだから。二階堂は静かにポケットからダガーを取り出してその刃をなぞる。カーボン材の刃が鏡のように光を反射することはない。
ジョセフとアヴドゥルが店から出てきたところで、ようやくポルナレフは再び口を開いた。

「ジョースターさん…おれはここで、あんたたちとは別行動をとらせてもらうぜ」

五人の視線がポルナレフへと一点集中する。やはりそうきたか、二階堂は自分の影にちらりと一瞥をくれた。

「妹のかたきがこの近くにいるとわかった以上、もうあの野郎が襲ってくるのを待ちはしねえぜ。敵の攻撃を受けるのは不利だし、おれの性に合わねえ。こっちから探し出してブッ殺すッ!!」
「……相手の顔もスタンドの正体もよくわからないのにか?」
「『両腕とも右手』とわかってれば十分!それにヤツの方もオレが追っているのを知っている。ヤツもオレに寝首をかかれねえか心配のはずだぜ」
「こいつはミイラとりがミイラになるな!」

アヴドゥルが言った。ポルナレフは目を見開いたが、他の四人はアヴドゥルに意を同じくしていた。この状況下で、ポルナレフが冷静さを失っていることは誰の目から見ても明らかであった。

「ポルナレフ、別行動はゆるさんぞッ!」
「なんだと…おめー、オレが負けるとでも!」
「ああ!敵は今!お前をひとりにするためにわざと攻撃してきたのがわからんのか!」
「いいか…ここではっきりさせておく。おれはもともとDIOなんてどうでもいいのさ。香港でオレは復讐のために行動をともにするとことわった筈だぜ。ジョースターさんだって承太郎だって承知のはずだ。おれは最初からひとりさ…ひとりで戦っていたのさ!要…お前ならわかるだろう、オレは…ただひとり、"オレのために"生きているッ」

承知していないわけではない。承太郎とジョセフは目を伏せる。二階堂は静かにポルナレフの眸を見返した。どこまでも孤独な双眸は、今や復讐の憎悪に煮えたぎっている。しかしその発言はアヴドゥルの琴線に触れたらしい。「かってな男だ!」憤慨するような声だった。

「DIOに洗脳されたのを忘れたのか!DIOが全ての元凶だということを忘れたのかッ!」
「てめーに妹を殺された俺の気持ちがわかってたまるかッッ!!以前DIOに出会った時恐ろしくて逃げ出したそうだなッ!そんな"こしぬけ"におれの気持ちはわからねーだろーからよォ!」
「なんだと?」

これではまるで火に油を注ぐようなものだ。二階堂は静かに目を伏せる。小さな歯ぎしりが聞こえたのだろう、ユノーはぴくりと耳を振るわせたが、愉快そうに二階堂の影にとけ込んで行った。この口論の結末はもう見えているようなものだ。ポルナレフはアヴドゥルを煽り続ける、彼にはもう、退く気がまるでないようであった。
とうとうアヴドゥルが拳を握った所で、ジョセフのストップが入る。「ジョースターさん」アヴドゥルは未だ納得がいかないようであったが、ジョセフは静かに言った。

「もういい、やめろ。行かせてやろう。こうなっては…誰にも彼をとめることはできん」
「いえ…彼に対して幻滅しただけです。あんな男だったとは思わなかった」

肩を落としたアヴドゥルが呟くようにして言った。承太郎は帽子を被りなおす。二階堂は静かに花京院へ目配せした。花京院が頷くと、彼の背後で一瞬、キラリと緑色が輝く。一行はポルナレフの後ろ姿を無言で見送るほかなかった。




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