純然たる誠実に告ぐ | ナノ

その夜はホテルの一室で、ジョセフが彼の愛する妻と電話をするのを、その傍で聞いていた。彼はホリィの容体を聞くという目的も兼ねて、通信回線の安定したホテルに滞在した場合には極力、財団と連絡をとっているようだった。そしてそのうちの半分ほどの頻度で、スージーQへ電話をかける。部屋に二階堂がいる時を狙ってかけているのだろうか、二階堂は隣で聞いていることも多かった。決まって「調子はどうだ?」の言葉から始まって、取り留めのない世間話をして、おおよそ10分もしないうちに切ってしまう。ついうっかりにでも口を滑らせることがないように、余計な詮索がされないようにというジョセフの配慮だ。言葉の端々に忙しい、忙しい、と、口癖のように方便を宣うジョセフを傍らに、二階堂は静かにコーヒーを啜る。
旅に出てから既に半月、彼がこれほど長い期間家に帰らなかったことは稀であったし、これからあと数十日は帰ることがないのは確実だった。

「今回の仕事はちと厄介でな、まったく、忙しくって仕方がない」

ボヤくようにしてジョセフが言った。その声色からどことなく不穏な気配が滲み出ているような気がして、すこし意外そうな顔で二階堂は彼の横顔を見やった。ジョセフにもそれが隠せていないことはわかっているのだろう。対して、底抜けに明るい、いつものスージーQの若々しい声が耳に届く。彼女の調子に合わせてジョセフが嘘八百を並べるものだから、二階堂は終始苦い顔を隠せなかったが、もちろん、嘘は方便という言葉を知らないわけではない。スージーQに心配をかけたくないという思いは二階堂も同じことで、ジョセフが妻を恋しく思うのとほとんど同じように、二階堂も彼女のことを気にかけているつもりではあった。

『ねぇジョセフ、要はいったいどうしているかしら?あの子ったら、全然連絡も寄越さないから』

唐突に出た話題に、二階堂はふと顔をあげる。ジョセフと目があって、本当は代わってやりたいんじゃが、というような視線を受けた。別に気にしなくていい、と、二階堂は首を横に振る。

「頼りがないのは元気な証拠じゃ。きっとうまくやっとるよ」

わしのところには、この前電話が来たぞ。学校が楽しいと言っておった。そう付けたしたジョセフに、余計なことを、と二階堂は盛大に眉間に皺を作りつつ、少し静かになった受話器の先を不安に思う。やがてすこし細い声が聞こえて来た。

『あの子にはやっぱり、肩身の狭い思いをさせていたのかしらねぇ』

ほらあの子ったら、何も欲しがらないじゃない?あなたが誕生日プレゼントに欲しいものをきいた時だって、遠慮して何も言わなかったし。
耳に飛び込んで来たその言葉に、二階堂は少しばかり目を伏せる。未だに、こういった齟齬が生じることが極めて遺憾であった。瞼の向こうに微笑む彼の妻を想う。
スージーQは美しく、そして懐の深い女性である。老いて尚若々しく、茶目っ気があり、情緒豊かな人間で、抜けているようにみえてしっかりジョセフをたてることの出来る、ジョセフが自慢してやまない細君である。それでいて、二階堂とは、性格その他諸々が全くもって正反対であった。
それでも血も何も繋がりがない二階堂をホリィ同様実の娘のように可愛がり、そして引っ張り回すことが好きだった。ジョセフが仕事で家を開けている間、あれやこれやと二階堂に構っては何かと困らせる事も多く、しかし二階堂にも、なぜか悪い気はしなかった。そういう女性なのだ。それが、スージーQなりの愛し方だと、自分に注がれる愛情なのだと二階堂は知っていた。二階堂にはどうにも、それを上手く返すことができなくて、それをどことなく口惜しく思っていて、そして二階堂は空になったマグカップをキャビネットの上に落ち着けた。
別に憤慨するつもりはなくとも、なんとなく居心地が悪くなって、部屋を後にする事にして腰を上げる。アタッシュケースを片手に、窓から外へ飛び出して行った。

「甘え下手なんじゃよ」

その後姿を眺めては、苦笑いしながら受話器に語りかける。

「慣れないんじゃろう、あの子はわしらに出会うまで、ずっとそういう風に生きてきた。だがどうだ?わしらから貰ったものは、何ひとつ捨てようとしない。この前会った時だって、あの古ぼけた蓄音機をまだ使っておったし、財布だって、わしが最初に買ってやったものを大事に使っておる」
『そうね、あの子は敏いものね』
「不器用でいて、愛だとか情だとかそういったものに、ひどく臆病じゃ。ぶっきらぼうなところなんかは、承太郎にも似とるのう、きっと、仲良くやっておるわい」

希望的観測に近い嘘を吐いてから、「さてそろそろ仕事に戻らなくては」そう切り出して、ジョセフは受話器を置いた。彼は今カナダにいることになっていたから、時差はそれほどまでないことになっている。向こうはちょうど昼前くらいであっただろう、短くない時間を共にして来た彼女だから、ひょっとしたらもう、ほとんど地球の裏側にいる自分が決して穏やかでない状況に置かれていることに気づいているかもしれないな、と、ジョセフは開け放たれた窓から生ぬるい風が吹き込んでくるのを頬に感じながらひとりごちる。窓の外からいつものように、帰ってくるのはいったいいつになることやら、鍛錬を怠らずらどこまでも自分に厳しい娘のために、窓の鍵は開けておかねばなるまい。
ジョセフ・ジョースターは窓に映った月を眺めながら考える。二階堂要がもしも吸血鬼になってしまったその時、果たして自分は彼女を終わらせることはできるだろうか、と。そもそも波紋の呼吸を既に身につけている彼女のことだから、きっと自分自身で太陽に焼かれることを選ぶか、波紋の呼吸でその身を灰にすることを選ぶかもしれない。しかし出来ることなら、彼女自身の誠実を尊ぶために、彼はこの、ジョセフ・ジョースターの手で終わらせたいと考えていた。それが彼女との約束だった。
近頃髪色の黄金色の比率が高まったのは気のせいではなく、そのせいで髪を結う位置が高くなったことにジョセフが気づいていない訳などない。アヴドゥルからはそれとなく彼女の右手に現れた日光アレルギーの兆候も聞いていた。DIOの干渉も相成っていることを考えて、このまま進行が続けば、"保って"あと半年か、肉体を酷使すれば二ヶ月も保たないかもしれない、との、ラッポラの報告。
ジョセフもまた、焦っていた。
彼は義娘を、二階堂要を失いたくなかったのである。

ジョセフは人の親である。
そして、ジョセフは心から、二階堂要の父親であるつもりだった。
彼は未だ、生きていることの素晴らしさを、人を愛し愛されることの美しさを、ただ生き急ぐばかりの彼女に伝えきれていない。
明日からは航路を用いる。カルカッタまで、三日もかからないだろう。



×