純然たる誠実に告ぐ | ナノ

故郷の話を、ポルナレフはよく語ってみせることがある。美しいフランスの憧憬、妹との思い出、二階堂はそれを、適当な相槌を返しながら聞いていることが多かった。
この日もそれは同じことで、マレー半島をずいぶん北上しタイ国境付近まで到達した一同がつかの間の休息をとらんと身を寄せた安宿で、同室となったポルナレフと二階堂は、夕食も終えて特にすることもなく、無言でナイフを磨く二階堂にポルナレフが口を開いた。

「要はフランス語は喋れねえのか」
「機会がなかったからな」
「フランスには?」
「そういえば、まだ一度も行った事がない。イタリアやスペイン…ベルギーなら、何度か、あるけれど」

二階堂は遠い記憶を掘り返しながら答えた。ベルギーにいた記憶は、もうほとんど忘れていた、フランス語圏なのに、フランス語は習得してなかったのは滞在期間が短かったせいだろうか、それほどまでに資産家のダイアモンド商であった大叔父は彼女の人生の中でどうでもいい位置にあって、このまま忘れてしまっても何の支障もないように思われた。ポルナレフは彼女の父親がフランスで発見されていたと聞いたことがあったから、「そいつは惜しい、フランスには是非行くべきだ」と前置きをした後で、いかにフランスが素晴らしい故郷であるかを語り始めた。彼女に自分の故郷を同じように愛して欲しかったのかもしれない、二階堂自身がその事実を知っているのかはポルナレフにはわからなかったが、嫌そうな顔はしないで、ポルナレフは一層饒舌になった。

「いい所だぜ?フランスは。飯は美味いし、街は美しい。女の子もかわいい」
「和食だって美味しいし、私はイタリアン派だ。それにフランスには…ゲイが多い」
「まあそう言うなって」

決して明るいとは言えない白熱灯の電球の下で、彼は生まれ育った街の話、スタンド能力に目覚めた時の話、能力を使っては泣いている妹をあやしたことを面白おかしく語ってみせる。二階堂は黙ってそれに耳を傾けていた。相槌を打つ義理はなかったが、無視する理由もなかった。

「思い出して、悲しくならないのか」

いつも喉まで出かかっていた言葉を口にした時のポルナレフの反応を、二階堂は酷く新鮮に感じた。
少しバツが悪そうに、苦笑いを浮かべて、「思い出さないで忘れちまう方が、もっと悲しいさ」と自嘲するように言う。やはり地雷だったか、そもそも、どうしてこう、口に出してしまったのやら。二階堂の手元で、アタッシュケースの金具がバチン、と音を起てた。
思えば二階堂には家族と呼べる血の繋がりを持った人間との思い出が殆どなかったし、故郷と呼べるような場所、例えば生まれ育ち花京院と出会ったあの街には、もう帰るつもりもなく。そしてそれを故郷と呼ぶには、どうにも抵抗があった。いわば二階堂は家族に棄てられ、故郷を捨て、そしてひとりで生きてきた、そんな孤独の中に生きてきたわけで。だから彼女はそうして故郷を愛し、家族を愛し、その誇りのために戦うこの男を、ひどく羨ましく思うような、そんな心地がして、二階堂のナイフを磨いていた手はいつの間にか止まっていた。

「お前、家族は?」
「……」

少々答えるまでに時間を要して、二階堂は目を伏せて口を開く。

「ジョジョだけだ」
「いや、そうじゃなくてよ、血の繋がった家族ってのがいんだろうがよ」
「ジョジョに出会うまで…母方の親族に預けられていた。……それまでは…まあ、碌なもんじゃあ、なかった」

ただ、母は、幸せに暮らしてる、と、思う。彼女は割り切った筈だ、悲観する人生を終えて、幾分かましな人生を歩み始めたばかりといったところだろうし、ただ二階堂は彼女の人生を考えると、もう自分の人生を不幸だと思う事すら出来ない。きっと自分にはわかることのできない軋轢があることを察したポルナレフは、小さく「そうか」と言っただけだった。二階堂の幼少期なんて、もう灰色に塗りつぶしてしまっても、ほとんどなんの支障もない。それほどまでになにもなかった。淡々と、まるで教科書に載ってる歴史の一部のように客観視することだってできる。

「…父親は?」
「ラッポラがどうせ喋ってるんだろ?余計な詮索はいらない。死んでるって話だ。吸血鬼…だったんだろうかは、知らないけど……会ったこともないし、それ以上の情報は…財団はくれなかった」
「探そうとは思わないのか?例えば、どこで見つかった、とかよぉ」
「そんなん、無駄だよ。どうせろくでなしさ。そういう血統なんだ」

二階堂は少し口角を上げた。それが皮肉なのか、自嘲なのか、ポルナレフにはわからなかった。ポルナレフは自分が"奪われた"人間なのだということを自覚していたが、二階堂のように"与えられなかった"人間の心地は知れたものではない。それをひどく不憫に思って、彼女はそれを快くは思わないであろうとはわかっていながら、彼は同情の意を胸に抱かずにはいられなかった。

「お前は…本当に自分のために生きてるのか?」
「そうだよ。だって吸血鬼になったら、私は死ななくっちゃあならない。ずっと昔から、そういう決まりなんだ。私はまだ死にたくない、だからDIOと戦う。ポルナレフが妹の仇を生かしておけないのと同じ、私は自分自身の誠実を棄てておけない」

そう語る二階堂の瞳、薄暗いランプに照らされて、それでも紅色の瞳は鮮やかだった。

「もっとも、DIOを倒して、それでも私は吸血鬼になったとしても……きっと、悪くないよ、自分の誇りのために死んでいくってのは」

ひどく悲観的だ、と、思った。それでいて、彼女が自分自身のために、生まれもって翳されたいわれのない"不誠実"を覆さんとこの旅に同行しているものと思っていたが、それは誤解だったのかもしれない、どこか漠然とした仮説が、彼の脳裏に浮かぶ。それは正しかった。二階堂にとって彼女の血族の鎖はもはや、覆す、覆さない、という問題じゃあなかった。それに二階堂には、そんなことすら、もう、どうでもよかった。

「私はきっと、その時まで生きる。その後はどうなったって構わないさ。ポルナレフこそどうするんだ?承太郎の話によれば、仇を討つ日も遠くないだろう」
「……それは…考えた事がなかったな」
「誰だってそんなもんか…私だって、DIOを倒した後のことなんて、考えた事もない」
「オイオイ、17歳の娘がよお、そんな枯れたようなこと言ってちゃあいけねェぜ」

それまでのどことなく暗い雰囲気を払拭するようなつもりで、ポルナレフは笑う。

「恋をして、好きな人と結ばれて、青春を謳歌するってのも悪くないぜ。人生は長くて世界は広いんだからよ。フランスにも来てみたらいい、きっと気に入るし、美しい故郷(くに)だ。人生観が変わるね」

二階堂はすこし驚いたように目を見開いて、まったく拍子抜けしたような顔だった。

「それも…悪くないな」

そう小さく笑った二階堂は、どこか遠くをみているようで、それが歳相応に見えて、ポルナレフは日頃二階堂が目の当たりにしている現実というものがいかに彼女を切迫させているかを、ほんの少しだけ垣間見たような気がした。




×