純然たる誠実に告ぐ | ナノ

ロビーの柔らかいソファに腰掛けて、二階堂は反対側に座れと承太郎にあごで指図した。承太郎が渋々腰掛けると、二階堂は今一度ユノーに目配せする。近くに誰がいるのかを探るために、ユノーは無色透明に輪郭を薄めると、やがて影の中に溶けていった。二階堂は無表情のまま承太郎に目を合わせる。承太郎はこの赤い瞳を苦手だと思ったことはないが、しかし得意だとも思わない。何を考えているのかわからない能面の様な表情の裏で画策していることなど、承太郎には分かる筈もなかった。しかしそれでも、承太郎が知る限りでの"二階堂要"という人間には、まるで相反するかの様な矛盾した意志が存在する。承太郎はその真相を知りたいと思っていたが、自分がそれに別段執着を抱く必要がないことも理解している。目を臥したまま、静かに口を開くのを眺めていた。その声に苛立は含まれてはいなかった。

「で?それは、いつ聞いた」
「シンガポールに向かう途中の、船の上で、だ」
「その時、花京院はその場にいたのか」

二階堂の問いかけに、承太郎は静かに頷く。二階堂の表情が僅かに歪んだのを見て、承太郎はぴくりと眉を動かした。承太郎が口を開きかけると、二階堂はすかさずそれを遮る。あくまで彼女は自分主導に話を進めたいらしい。

「君は、今私の右手が上手く動かないということを、誰かに話しちゃあいないな?」
「ああ、そうだぜ」
「じゃあ…それは、誰にも言わないでくれ」
「ジジイにも、なのか」
「うん、それがいい」
「どうして隠すんだ」
「君は十分知ってるだろう?あいつらは私のこととなると、いささか過保護だ」

私はそんなにやわじゃあないさ。二階堂はすこし冗談めかして言ったつもりだったが、承太郎の目の色が全く変化の兆しを見せないのには若干ため息をつきたくなって、膝の上で指を編む。

「ラッポラから何を聞いたのかは知らないけれど、とにかくあいつはろくな男じゃあないんだ。君が信頼するに値しない」
「テメエは信頼してないのか」
「彼の仕事っぷりには敬意を表する。ただね、空条承太郎。君はあいつから私について色々聞いたかもしれないけれど、その情報源にある、あいつに関してはほとんど何も知らないだろう」
「鵜呑みにするな、と言いたいのか」
「わかってるじゃあないか」

二階堂は背もたれに体を預けてシニカルに口角を上げた。

「ジョジョも花京院も知らないことを、確かにラッポラは知っている。けれどそれは、君が思っているよりもろくでもないことさ」
「……だろうな」

承太郎はため息に似たような息を吐いてから、呆れの混じったような声で返答した。二階堂は唇の端を持ち上げて、ニヒルに笑うような表情を作る。

「あいつに関してドン引きするようなことがあったとみるが、それ以上にあいつはただの変態だ」
「だがそれと、俺が言いたいことは違う」

ぴくりと右眉を持ち上げた二階堂に瞬きをひとつ落として、承太郎は言葉を続けた。

「いくら否定しようと、テメェは、テメェが思っている以上に、手や足が早く出るという癖を持っているぜ」
「……事実無根だと、何度も言わせないでくれ。それともなんだ?心配でもしているつもりか?笑わせるな」
「それがいずれテメエの首を絞めることになるかもな、というだけだ」
「無駄な心配りを、どうも。それから今朝の銃声は、君が思ってるような、敵に襲われたとかいう戦闘じゃあないぜ。ラッポラがよこしたガンブレードを試していただけだ」

もっとも、反動が酷すぎて、まだ使い物にはならないけれど、と、二階堂はため息まじりに呟く。承太郎は少し目を見開いて、瞬きを数度してみせた。実のところ、承太郎は二階堂の発言をこれっぽっちも信頼してはいなかった。おそらく一行の知らぬ間に戦闘になり負傷したものと決めつけていたが、「嘘は嫌いだ」と、二階堂は承太郎の目を見て言い放つ。紅い双眸の意志は真っ直ぐで、どうやら彼女の言葉に嘘はないらしい。

「どうせ長くはもたない体だ、そもそも、私はこれ以上自分が生き残ることに執着なんかしていない。今も昔も、それこそ十年以上も前から、私はこの旅のために、自分が生き残ることを思ってただひたすらに生きてきた。もう、そんなのは十分だ。自分の使い方くらい、自分で考えてるさ」

そう言い残して席を立った二階堂とは一度も目を合わせることはなく、彼女がロビーの外へ歩いていくのを黙って眺めていた。承太郎の影の中から姿を現した狐が、意味深に流し目を送ってきて、承太郎は口の端を曲げる。狐はそんな承太郎の帽子のつばをぱしりと叩き付けると、二階堂の後ろを追っていった。あの狐にはどうやらバレていたらしい、自分の足元に絡まる緑色の蔓のようなものがほどけていくのを「やれやれだ」と呟きながら一瞥して、自分も部屋に戻るか、と顔を上げた所で口を開いた。

「貸し一つだぜ、花京院」
「ああ、すまなかった」
「互いに対して、ずいぶんと過保護だな」

承太郎は咥えた煙草に火をつけながら、呆れた様に言った。「はは、美しい友情だろ?」花京院は肩をすくめて苦笑いしてみせる。

「ぼくは彼女を追うよ。チケットを買いに行く君たちとはここのロビーで落ち合うか、それか、もし来るのが遅かったら、先に行っててくれ。きっと、すぐに追いつく」

承太郎は黙って頷く。花京院はそれを見て頷くと、足早にその場を去ることにする。ユノーに自我があってよかった、とこれほどまでに思ったことはない。ハイエロファント・グリーンの触手の先は、かの狐の尾を握っていた。追いつくまでほんの数分もかからないだろう。



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