手の中で遊ばせていた鍵を差し込んで、捻る。押し開けた扉の中を覗いて、隣でうずうずしていた家出少女が小さく歓声をあげた。 足を踏み入れる前にと部屋に駆け込もうとした少女を制して、二階堂は自分の影を見つめる。ぽっかり浮かぶようにしていた赤い宝石は彼女の影を伝ってゆく、怪訝そうな顔をして家出少女が二階堂をしばらく見つめていたが、「入らないの?」二階堂は首を横に振る。一通り部屋を駆け巡って、ユノーは無事戻ってきた。 「ひっろーいッ!ホントに、アンタ達って金持ちなのねェ―――ッ!」 確かに広すぎる部屋だと二階堂は半ば呆れながら、アタッシュケースをキャビネットの上に置く。ジョセフが言った通り、一人では広すぎる部屋だろう。クリーム色の壁紙にマホガニーブラウンのカーペット、清潔感があるベッドは悪くないと思った。落ち込んでいた気を取り直して、さっそく窓際のロッキングチェアに腰掛けてルームサービスのメニューを手に取って眺めていると、横から少女が首を突っ込んできて言った。 「要!わたし、これがたべたいわ」 指差された先のハワイアンハンバーガーには見向きもせずに、二階堂は静かに答える。 「それよりマッシュルームのポタージュがいい」 「だったら、さっき、フロントでピザの宅配のチラシもらってきたの。これ、承太郎たちのところにもって行って、いっしょに食べない?」 ぴらりと出されたそれを一瞥して、二階堂は頷く。メニューの一覧の中にめぼしいものがあったわけではなかったが、ピザというものをながらく食べていなかったせいかもしれない、気が引かれるようなものがあった。「その方が安上がりか」それから、財団の金で自分が購入したナイフの本数と、このホテルの部屋のグレードを覚えていなかったというのもある。 「……要って貧乏性なの?」 「別に、そういうわけじゃあないさ」 自分が一般人の感覚を忘れかけていたような気がしたのを、少し反省してみただけだ。思っただけ、言葉には出さないで、二階堂はロッキングチェアから立ち上がる。14階からの景色は絶景だった。まだ高い所にある太陽と、透き通るように鮮やかな水色の空、ところどころに浮かぶ綿菓子のような雲。眩しすぎて少し目を細める。めずらしく会話が成立していたことに嬉しくなったのか、少女はぱちぱちと瞬いては自分の帽子を二階堂から遠い方のベッドの上に放り投げ、そのスプリングの上にダイブした。行くんじゃあなかったのか。半ば困惑したような二階堂の無表情を気にもせず、彼女はチラシを広げて、どれにしようか迷っているようだった。お前が選ぶのかよ。二階堂は思わず眉間に皺を寄せたが、彼女の中では決定事項なのか、いったいどういう神経をしているのか、二階堂にはわからなかった。そのうちにベッドサイドに設置されていた電話を取ると、フロントにつなげて外線に繋ごうと交渉している。なんのためなのかを訊かれて、宅配は許されるだの許されないだので揉めているのだろうか。声を荒げる少女に向かって交渉に関してはタフなものだと感心しつつ、しばらくその様を見つめていた。そのうち、こんこん、と控えめなノックの音が聞こえて、ユノーが駆けていく。覗き窓から確認しては口角を上げて笑うと、二階堂のスタンドはやんわりとドアを開いた。 「ジジイが呼んでるぜ」 承太郎だった。その後ろには花京院もいる。二階堂はじゃらりと放置されていたキーをふたたび手に取ると、ちらりと少女を見やった。彼女はどうやら交渉から雑談に話を切り替えているらしい、どういうことだと眉を寄せながら、承太郎に視線を戻す。 「ポルナレフが悪魔の暗示のカードを持つ『呪いのデーボ』と遭遇したらしい、散り散りになっているのは危険だ」 「なるほど」 メモスタンドの隣にあったボールペンでもってチラシに何やら書き込むと、二階堂は部屋を後にすることにした。忘れず鍵を手にとってドアを閉めると、「あの子を一人で残すのは危険なんじゃないだろうか」花京院が言ったが、二階堂はしれっと「べつに死なれて困る人間でもない。……そもそも私を狙いにくるのであれば、容易に殺したりはしないだろう」と素知らぬ顔で返すのだった。「人質にとられたら…」「その価値はあるのか?」真顔で見つめられて、花京院は盛大に眉間に皺を寄せる。 「うっとおしい、くだらねえ喧嘩はよそでやれ」 「……あ?」 二階堂が承太郎を睨み上げる。赤い瞳が不機嫌であることをありありと示していた。花京院は眉尻を下げて、一時休戦といったところか。肩をすくめて、「いちいちつっかかるんじゃない、要」二階堂はふんと鼻を鳴らした。 「ジョセフの部屋は1212号室…」 「話では五分後に集合だった。もう来てる頃なんじゃあないのか?」 承太郎が腕時計に目を落とす、二階堂が何度かノックすると、内開きに戸が開いた。顔を出したアヴドゥルに招き入れられた部屋で、ジョセフはベッドの地図を広げている。旅の進路を考えていたのだろう。 「ポルナレフは」 「まだ来ておらん」 「何を手間取ってるんだ。戦闘にはなっていなかったんですよね?」 アヴドゥルが頷いた。電話を取ったのは彼であったようだ。デーボの対策ねぇ、二階堂は半ば他人事のように、ベットの上に広げられた地図を眺めていた。 ここにくるまで、おおよそ一週間。ホリィさんの寿命がおおよそ五十日で見積もると、タイムリミットは一月半といったところか。ここ数日立て続けに敵と遭遇しているにせよ、大アルカナのタロットカードの枚数はたった22枚。うち、4枚はこちらにある。単純計算で、呪いのデーボとやらを含めても、敵はあと15人かそこらだろう。2、3日に一人の計算だ。あまりにも、多い。 それにしても、こちらの動きが向こうに筒抜け過ぎやしないか。 がちゃり、とドアが開く音がして「お、ポルナレフが来た」アヴドゥルのその言葉に、二階堂は視線を寄越すことはない。 「おそいぞ、ポルナレフ」 花京院が非難を込めた声を投げかけた。 「よし、みんな。それではさっそくだが…呪いのデーボにおそわれた時の対策を練るとするか」 ジョセフの声ではなく、ポルナレフが何か言った様な気がして、二階堂はようやく地図から顔を上げる。甘ったるいような、アルコールような、ジュースやウィスキーを混ぜこぜにしてぶちまけたかのような匂いが鼻をついた。額から流れた血と肩口の噛み付かれたような痕の傷。へたり込んだこの男が既に戦闘を終えてきていたらしいと気づくのに、時間は要さなかった。 ← ▼ → ×
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