こんこん、と控えめなノックが聞こえて、二階堂は膨大な量のナイフをひとつひとつ確認するという作業を中断する。壁の隙間から影を伝ってきたベルヴォルペ・ユノーを見上げると、苦い顔をしていた。誰が来たのかは、だいたいわかる。ラッポラではない(彼の場合は牙を剥き、警戒の色を第一に見せるからだ)、しかしユノーが嫌う人物。空条承太郎か、それかあの、家出少女だ。ノックの弱々しさから、おそらく後者だろうと推測する。 がちゃり、と扉をあければ、そわそわしたような、どこか落ち着かない表情の少女が二階堂を見上げた。 彼女はずかずかと部屋に入ってくると、当然のようにベッドの上に腰掛ける。「そこには座るな」ナイフに触れられたら汚れる。怪我でもされて騒がれたら、それこそたまったものではない、という思いで、二階堂は苦々しく言った。少女は二階堂の指差した簡易ソファの上におとなしく移動すると、真新しいV金2号系鋼材のダガーナイフを新しい黒コートの袖にセットする作業を再開した二階堂の左手をじっとみつめながら、おそるおそる口を開いた。 「もう怪我は平気なの?」 二階堂は手を止めずに、ひとつだけ息を吐く。答えるのも億劫だと思いながら、小さく「ああ」と返事を返した。新しいコートとシースナイフたちのセットは少々勝手が特殊らしい、二階堂は付属していた説明書のようなものを読みながら、頭をひねっている。ナイフのブレード(うち多くはタングと一体になっている)の数に対して、明らかにハンドルのあるものが少ない。ハンドルの種類はハーフ・タング、パイプ・タング、ブラインド・タングの三種類がそれぞれ四本ずつ、ダガーはブレードがハンドルと一体になっているから問題ないにしたって、ハーフ・タングのハンドル型で、かつコートにセットできるブレードだけで、ざっと数えただけでも八本はあるというのにこれはどういうことだ。なによりアタッシュケースには、これでもかというほど所狭しにナイフのブレードがずらりと詰まっていた。クレーバーナイフを見つけた時には、さすがにこれをどう使えと、と突っ込まざるを得なかった。 家出少女は二階堂の作業を眺めながら、ああでもないこうでもない、といういつもの無駄話を始めていた。内容はまったく耳に入っていなかったが、承太郎という単語が何度か聞こえたかもしれない。と、少女のマシンガントークが途切れる。相槌のひとつでも打つべきだったか、二階堂はちらりと彼女を見やった。 「船でのことなんだけど、要の腕って……あれは…」 「何の話だ」 ベルトにセットするナイフを吟味しながら、極めて温度の感じさせない声で続ける。 「何を見たのか知らないが、気が動転していたんじゃあないのか」 「誰も信じてくれなかったのよ」 ふてくされたような声で、少女は続ける。 「どういう仕組みかわからないけれど、あたし、気づいたら甲板にいたの。もう怖くて、ふらふらしてて上手く声も出なくって、転びそうになったのを、承太郎が抱き留めてくれたわ」 「ふうん」 さして興味がなさそうに二階堂は適当な相槌を返す。ファスナーボルトの位置が同じであったことに気づいて、なるほど勝手にベルヴォルペ・ユノーを用いて刃を付け替えろということかと納得した。わざわざナイフを持ち替えなくて済む。これはなかなかに便利な機能かもしれないぞと思いながら、これでは無碍に投げられるナイフが限られてしまうな、と眉間に皺を寄せる。それから、ナイフ一本あたりの値段を考え直して、ストレングス戦での投げ捨てをまず反省した。 「それで私、見たことを素直に言ったの。そしたら花京院さんが血相変えて、船室に駆け込もうとして、それで…」 「突然動けなくなった?」 「そう。なんでわかるの?」 「それから、花京院は突然血を吐いた」 「そうなの!どうして…」 そりゃ、ハイエロファントグリーンが先行してパイプを伝ってったのが、あの猿にバレて捕えられたからだろう、とは、口が裂けても言えない。相当な圧をかけられて、息も出来なかったに違いない。二階堂は顔をしかめながら「だいたい聞いた」と呟く。余ったブレードをきちんとアタッシュケースに戻して、ようやく少女に顔を向ける。不安と期待のこもったまなざしを向けられて、どこか居心地の悪さを感じた。こういう、良くも悪くも純粋な人間を相手にするのは、なかなかに苦手だ。 「ねえ、要は私を助けてくれたッてことなのよね?」 「……」 「私…「違う」 少女はその声に、びくりと肩を揺らした。おそるおそる表情を伺うと、無表情のまま、冷たい目をしていた。そんなこと、死ぬほどどうでもいいと言わんばかりのため息をひとつついて、半ば呻くように言う。 「アンタは邪魔だっただけだ。あの猿を殺すって時に、足手まといが存在すること自体が無駄だ。無駄に恩着せがましい感情を抱こうとしなくたっていい。うっとおしいだけだ」 バチン、と音を起てて、アタッシュケースを閉じた。真新しいコートを羽織り、その上からナイフと替えのブレードの下がったベルトを通した。ずしりと重いが、ある程度の速度で動ける程度のものだ。夜であれば、重さすら感じない程度であろう。二階堂は立ち上がると、扉に手をかける。 「そ、そうだ!もうすぐ晩ご飯だって言ってたわ」 「……」 「それから、明日の朝にはシンガポールに着くだろうッて」 「それも、さっき聞いた」 とはいえ、半日って、12時間のことだったのかよ、と二階堂は頭の中で毒づきながら。二階堂の袖を引こうとする家出少女を若干鬱陶しく感じながら。そういえば、腹が空かないこともない、と思う。波に揺れる船室をあちこち移動してまわるユノーをなんとなく眺める。右手はいつものように、ピアスに触れていた。 ← ▼ → ×
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