純然たる誠実に告ぐ | ナノ

着替えるから、という理由で二人を追い出して、二階堂はひとり小さくため息をつく。まったく面倒ごととはこうも重なるものだ、と、彼女はもう一度ベッドの上に倒れ臥した。やはり、肌触りはいい。マットの堅さも上々で、船の上にしてはとても寝心地がよかった。二階堂は寝転がったまま、ずっしりと重たかったA3よりも一回り大きいサイズの、ずいぶんと分厚いアタッシュケースを開く。どうせあの男のことだ、軽量化なぞ、これっぽっちも気に掛けていないに違いないと思った二階堂であったが、それは大きな間違いで、彼は最善の努力を尽くしてこの重さに留めたものなのだとすぐに気づく。開いた三層構造の六分の一には二階堂の制服やタイツ、その他諸々の替え、そしてもう六分の一にはキチンと畳まれた黒いコートが入っていた。思わず起き上がってコートを広げる。若干生地が薄くなっただろうか、そういえばこれがエジプトへ向けての旅であったから、通気性や暑さへの配慮かと察した。転がり落ちた革製の手袋を拾い上げて、これがいい、ちょうどこれが欲しかったんだ、と、素直に感心して、それから、ラッポラへの先の扱いを少しばかり反省した。
ケースの底をがぱりと開くと、そこにはずらりと銀色が並んでいて、二階堂は感嘆の息を漏らす。いちいちこれらのナイフを確認していたらきりがないと思って、伸ばした手を引っ込める。とりあえず着替えるか、二階堂はユノーに目配せした。彼は船室の隅々を這うようにして部屋の隅々を注意深く見渡しながら駆け回った。そのうち部屋の隅とベッドの下と、それから時計の左隣をそれぞれ指差す。やっぱりか、とため息をつきながら、それぞれを殴って回った。ドン、ばきばき、めきり、がしゃん、と不穏な音がして、プラスチックと金属と、ガラスの破片がそれぞれで飛び散った。

「抜かりなさ過ぎて嫌気が差す」

彼女の、SPW財団の仕事の信頼は、主にラッポラの仕事の質からくるものであることに間違いはなかった。やはり反省はなかったことでよかったか。思い直しながら、二階堂は肩に几帳面に巻かれていた包帯を外す。白い肌にはまだうっすらと鬱血したような傷痕が残っていたが、すでにそこには痛みはなかった。
少々破壊的な物音が聞こえて、承太郎はピクリと眉を動かす。新手のスタンド使いか?と一瞬身構えたが、それからは何も動きがない。ポルナレフと何かを話していたジョセフをちらりと見やると、彼も特に気にした様子ではなかったので、かえって疑問に思った。

「おいジジイ、今、何かを殴りつけるような音が聞こえなかったか」
「ああ、おそらく要が目覚めたんだろう」
「…それがどうして破壊音に繋がるんだ」
「あー…それか。そうじゃな、ラッポラの意地と要の勘、とでも言っておくか」
「?……どういう意味だ」
「詳しくは奴に訊け」

と、そのとき。妙にぎすぎすした雰囲気を纏ったラッポラと花京院が甲板に姿を現す。西日を浴びて、赤いスカーフが余計に鮮やかに見えた。ラッポラはこちらに気づくと、二人に向かってにこりと笑いかける。彼はずりおちたスカーフを直しながら、二人のもとまでやってくると、苦笑いして言った。

「やられちゃいましたねえ」
「そのようじゃの」
「お騒がせしました」
「何の物音だったんだ?」
「お嬢の生着が…健康状態をキチンと把握しておかないとと思って、ビデオカメラを回していたんですが、彼女は聡いですからね。気づかれちゃいましてね、たぶん」

不穏な言葉が聞こえたような気がしないでもなかったが、承太郎は流してしまうことにした。そして「ラッポラはずいぶん長い間、要の家庭教師をしておった」と、ジョセフが先ほど語っていたのを思い出す。

「アンタはただの家庭教師ってわけじゃあないんだろう」

承太郎は静かにその眼鏡の向こうを見据える。ラッポラは苦笑いしたが、花京院はどうもその笑顔が胡散臭いと思えて仕方なかった。まったく微妙な顔をしている花京院を視界に捉えつつ、承太郎は続けた。

「そもそも、医療班ってのも怪しいな。アンタは二階堂に対して、とくべつ強い執着を持っている」
「そう…ですねえ、医療班ではありますが、他に仕事を持っていないというわけではありませんから」
「そこでだ、俺は二階堂について、『ほとんど何も』知らねえ。肩を並べて、命をかけた旅をしているってのに、『正体』も、『目的』も見えない。これは花京院に訊くよりも、アンタに訊くのが一番手っ取り早いんじゃあないのか?」

承太郎の強い瞳が、ラッポラをじっと見つめる。彼は相も変わらず困ったような笑顔を浮かべたままで、しかしその目がどこか冷静さを帯びていた。承太郎は気づく。こいつは、楽しくて笑っているのではないのだと。要領がいい世渡り上手であろうというのがわかって、へらりと笑うこの男に、承太郎はあまりいい感情を抱かなかった。ラッポラはジョセフにめくばせを図るが、彼が助け舟を出すことはない。説明してしまえということだというのはラッポラにもわかったが、しかし彼にとっては、あまり表に出したいとは思わない。目が思わず泳ぐ。

「とんでもない。そんなもの、ジョースターさんに訊いたほうが早いですよ。彼女の目的なんてのは、今も昔も、これっぽっちもかわっちゃいない。承太郎くんが知ってるそのまま、ずっと前から、冷徹で頑固者でストイック、無鉄砲なネクラっ子ですよ。そこがもう、かわいくてたまんないんですけどね。それにお嬢の正体なんて…」

そこで、ラッポラは言葉を切る。ジョセフの顔色を一度、伺った。彼は何も言わない。むしろ、その先の言葉を待っているのだろう、それを察したラッポラは内心ため息をつきたくなって、そして耳を澄ます。近くに彼女がいないことをキチンと確認して、少し声のトーンを落として、しかしそもそも、それ自体も彼女にはわかりきっていることなんだけれど、と頭のどこかでは割り切りながら。

「わかるわけないじゃあ、ないですか。俺はね、そのために、二階堂要という個体を研究してる、ただそれだけなんですから」

花京院は眉を顰める。何かを言おうとして、承太郎がそれを制した。ラッポラは、微笑んでいる。花京院はこの、『貼り付けたような』笑顔を、とてもじゃあないが好意的にはとれなかった。




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