純然たる誠実に告ぐ | ナノ

二階堂が目を覚ました時、彼女は未だ揺られている感覚を感じていた。どうやら自分が海底に沈むという最悪のシナリオは回避できたらしいが、それからのことはまったく覚えていない。まだ海の上なのか、ここはどこだ。
首を回すと、花京院がベッドの横に腰掛けて、目を閉じていた。何を考えているのかはわからなかったが、二階堂は静かに彼の袖を引く。まもなく、ぱちりと目が開いた。

「要…!目覚めたんだね。傷はどうだい?痛みは…」
「ない。……血のにおいがする」
「まだ傷が塞がってないのかもしれない」
「ちがう、私のじゃあない。君のだ」

二階堂の目が鋭くなる。花京院は少々眉間に皺を寄せた。

「血を吐いたのか」
「まさか、そんな」
「君は私にウソをつくのか」
「……、少し口の中を切ったんだよ、胸部を圧迫されたときにうっかり舌を噛んでね!」

半ば吐き捨てるように言った花京院に、どこか腑に落ちない、といった表情で二階堂は小さく「そうか」と呟いて、自分の掌を見つめた。相変わらずの白さとその指の細さに、ため息をつく。強靭なラッシュを繰り出した拳は、傷一つついていないというのに、自分は結局、花京院を危険に晒してしまったのだと思うと憂鬱だった。

「……僕は君に言いたいこと満載なんだけど」
「いい、小言は聞きたくない」
「いいや、言わせてもらうよ。要、やっぱり君は一人で無茶をする傾向にある」
「無茶はしていない。現に死んでない」
「そういう問題じゃないだろう!…どうして敵と遭遇してすぐに知らせなかったんだ。何故あんな状態になってからあの子を交換するような真似をした?何かあったらすぐ知らせると言ったジョースターさんに、了承したのは君だろう!」
「あの状況に君が来ても誰が来ても足手まといだからだ。あの猿には、私が一番向いていた。現に、あの猿は私を捕えることができなかった、だからああなった。決着がついた。洋服を破かれたとか怪我をしたとか、そんなことはどうでもいい。現に私が奴と対峙したから、猿が君たちから気を逸らして、いっぺんに殺されずに済んだんじゃあないのか」
「それはただの結果論であって、君はまったく…!」
「無駄に熱くなるなよ、うっとおしい!」

二階堂のその静かな怒声に、花京院はぐっと押し黙る。しばしの沈黙が流れて、二階堂が小さく口を開いた。

「…それより、今の状況を説明してくれ」
「………要が意識を失ったあと、僕らは乗ってきた救命ボートで脱出した。船員は既に全員亡くなっていたから、僕たちとあの女の子だけ。漂流してから数時間で、SPW財団の船に救助された。シンガポールまで、あと半日ほどで着くだろう」
「SPW財団だって…?そんな都合良くいくものか」
「僕も最初はそう思ったさ。でも、確かにジョースターさんの知り合いが船に乗っていたというんだ」

二階堂が身を起こすのを手伝おうとしたのに、それを突っぱねられて、花京院は肩を竦める。
彼女が寝かされていたのは手触りのよいシーツにくるまれたベッドでだった。窮屈さを感じた肩を見やればキチンと包帯が巻かれており、右手首にはご丁寧なことに、点滴まで伸びている。薬品臭さを感じて、二階堂は軽く眉間に皺を寄せた。もう既に傷口は塞がってるだろうに、まったく余計なお世話というやつだ。二階堂はここまでやるマメな男を良く知っている。嫌という程、とてもよく知っていた。

「……ラッポラか」

静かに呟いたその名前に、花京院が顔を上げる。

「要も知り合いなのか?」
「知り合いもなにも、奴は私の「婚約者」…違う」

二階堂は無表情のまま、若干苛立ちの籠った声で否定の言葉を述べながら、船室の戸の前に立っていた男をぎろりと睨みつける。それにはノックもせずに入って来たのを咎めるつもりも含まれているのだが、彼女のその反応に、花京院は不審そうな顔をした。ニコニコと笑う優男はコツコツと踵をならしながら歩み寄る。「寝言は寝て言え」二階堂は点滴を手首から引き抜きながら、苦虫を噛み潰した時のような声で言った。

「ああっ!なんてことするんです!」
「もう治ってる。無駄なものはいらない」
「まだ血中糖度が足りてないってのに!」
「大げさだ。キャンディでも舐めとけば元に戻る……それより、貴様がいるということは、もう既に注文したものはあるって、そうとっていいんだろうな?」
「ええ、もちろん。こちらですよお嬢。……まったくあなたは、無茶をする人ですねえ」

恭しく、いっそわざとらしい仕草で二階堂にアタッシュケースを渡したラッポラと、花京院の目が合う。一瞬彼の目がひどく冷たくなったように思えて、花京院はぴくりと眉を動かした。かれを取り巻く空気の変化に、二階堂は思わずため息をつきたくなった。

「お嬢がテメエなんぞに「うるさい。もういい下がれ、邪魔だ」…ひどい!」

起き上がった二階堂が足を振るう。ぶおん、と空を切る音が鳴って、花京院はその鋭さとキレに驚くことはもちろん、その素早さに目がついていかなかった。その矛先は、もちろんラッポラである。あろうことか彼はいとも簡単にぱしりとそれを受け止めると、「不意打ちはだめっすよお嬢〜」ぱさりと落ちた前髪を掻き上げながら、彼は間の抜けるような声で言った「タイツもボロボロなんですから」二階堂は無表情のまま、彼の掌を振り払う。花京院の背筋に冷や汗が垂れた。新手のスタンド使いか?と思わず二階堂の顔を伺う。しかし彼女はフン、と小さく不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。

「こいつは…もう知ってるかもしれないが、ラッポラ・E・ロセッティ。SPW財団の医療班で……私の、元、家庭教師だ」

厭そうな声で、元、を強調した。のんきに「現婚約者?」と訊いたラッポラに二階堂の左腰のホルダーに残っていた最後のダガーが飛ぶ。「ちげえよ」心臓が底冷えするような低い声だった。ラッポラは自分に向けられたそれを難なくかわして、「最近じゃあ専ら、研究室に籠ってるのがフツーですけどね」ラッポラは眼鏡を上げながらにこやかに付け足す。二階堂が舌打ちを打ったのを見て、彼女があくまで本気であると悟った花京院は、彼女の性格がこうなった理由の片鱗を見た気がして、乾いた苦笑いを零した。

「俺、こんな小僧よりも誰よりも、お嬢のことならなんでも知ってますよ」
「何を誇らしげに…ストーカーかテメエは」
「だって将来の伴侶のことは、やっぱり知っておかないと」
「そのストールで絞め殺されたいと見た」
「そんな、照れます」

噛み合ない会話に心底厭そうな顔を浮かべた二階堂は「そもそも11歳差だろう、君と出会ったのは。今からもう6年も前のことだ……」大げさに、呆れの入り交じったため息をつく。ラッポラはけろりと笑っていった。

「……お嬢、ゲンジ=ヒカル・プロジェクトって知ってます?」
「ロリコンか。死ね」




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