純然たる誠実に告ぐ | ナノ

無事に脱出に成功した救助ボートの上から、家出少女が困惑と驚きの入り交じったような声を上げる。あれほど巨大だと思ってた巨大な船舶の影はみるみる間に姿を変える。がらがらと崩れ、溶けるようにしながら、お世辞にも綺麗とは言えない廃棄船のようなみすぼらしい小舟になると、やがて波の合間に沈んでいった。その様を見送って、アヴドゥルは小さく呟く。

「あの猿は…自分のスタンドで海を渡ってきたのか…恐るべきパワーだった、初めて出会うエネルギーだった…」
「我々は完全に圧倒されていたというわけか……要が最初に標的になっておらんかったなら、間違いなく…やられていただろう」

顔面蒼白のまま目を覚まさない自分の義娘の頭を撫でるように掌を乗せたまま、ジョセフは苦々しく言った。右手に伝わる彼女の体温は、ひんやりと冷たい。もともとの色白さも相俟って、その場にいる誰もがまるで死人のようだと思った。彼女の行動は確かに最善だったが、ダメージが大きかった、ということだろう。少なからず花京院は彼女を一人で行かせたことに対して、やはり後悔の念と二階堂への憤りを覚えていたし、ジョセフは自身が二階堂に船室を確認してくるよう命じた手前、自分の判断がまったく正しかったことであるとは思えど、言いようのない歯痒さを感じていた。

「ですが……いえ、なんでもありません」

言いかけた言葉を呑み込んで、花京院は一人ため息をつく。一行が(髪型を含めて)身長193センチの大男を担げようと、二階堂要は女子であることを一瞬たりとも忘れていたわけではない。それに彼女はきっとその扱いを誰よりも嫌うだろうというのは既に共通認識だったからだ。しかし花京院は、彼女が傷つくのが嫌だった。
花京院は眉間に皺を寄せたまま、ちらりと血まみれになったローファを一瞥する。潮風や日光が当たるのはあまりよろしくないだろう、そう判断した彼の学ランを被っているせいで、目に痛かったズタボロのタイツや傷、浴びた返り血も、幾分かましであるように思えた。

「……」

花京院は髪型を整えようとコームを手にする。しかしそれは花京院の手からこぼれおちて、足元にからりと乾いた音を起てて落ちた。上手く摘めずに苛ついているようだった。その手の震えを横目に見ながら、承太郎は静かに煙草を一本咥える。ガスライターを捻って火を潜らせても、ちりちりと端のほうを焦がしただけだった。

「やれやれ…モクがしけちまったぜ」
「かわかす太陽と時間は十分あるぜJOJO」
「太陽か…要にはあまり好ましくないだろう」
「……一刻も早く無事救出されてシンガポールに着けるように祈るしかないな」

霧の晴れた空、ジョセフは登り始めた太陽を見つめる。日本を出てから、四日が経とうとしていた。
そして、ジリジリと太陽に焼かれること数時間。一行は遠く水平線の向こうにぽつりと見えた船に救助されることとなる。
ジョセフがチャーターしたクルーザーによく似た構造のその船に縄梯子を降ろされて、ポルナレフは訝しげにそれの端をつまみ上げた。

「今度もまた、まさかスタンド使いなんてこたあねえだろうな?」
「そう願いたいな」
「無人船じゃあないのは、もうわかっておる上に、要の容体も心配だ。助けを求めないわけにもゆかんだろう」

ジョセフがアヴドゥルに目配せする。彼は頷くと、手際良く甲板まで登り切る。その後ろにポルナレフ、承太郎と続く。差し出された承太郎の手を、家出少女は今度は静かに取って登って行った。

「ジョースターさん、要は僕のハイエロファントグリーンで持ち上げましょう」
「ああ、そうしてくれると助かる」

花京院が梯子を登っていくのを見届けて、ジョセフは二階堂を花京院のハイエロファントグリーンに預ける。キラキラ光る緑色のその体に、そういえばどこかで見覚えがあると思って、それが二階堂の耳のピアスとまったく同じ色であったことを思い出した。梯子に足を掛けながら、陥没したような銀色のピアスがそれに変わったのはいつのことだったろう、スタンドが見えるようになったころだっただろうかと思い返す。彼女は右耳のピアスを弄くる癖を持っていた。自分が出会う前の彼女の境遇と、その癖とが結びついて、ジョセフは今一度、二階堂要という人物における「花京院典明」という存在とその比重の大きさの片鱗を見たような気がした。
ジョセフは二階堂を抱き留めていた花京院をちらりと見やる。彼の耳で揺れるピアスの色は、彼女の双眸を彷彿とさせる赤色だ。力なくだらりと垂れた二階堂の頭を擡げて、彼は苦い顔をしていた。彼が二階堂に関するとああいう表情になることが多い。ジョセフはこの数日間の中で既に感づいていた。彼の中における二階堂への絶大な信頼と尊敬、その影に隠れた羨望、それをまったく覆い隠してしまうような庇護欲。結局二人とも似た者同士なのだろう。そう結論づけて、ジョセフは小さくため息をつく。

「ジョースターさん!お久しぶりです!」

突如声を掛けてきた男を見やって、ジョセフは少々目を見開いた。「ラッポラじゃあないかッ!元気にしとったか?」良く顔の知った男だったためである。すらっとした体躯に、柔らかな黒髪。紅いストールを首に巻いて、知的な印象を与える眼鏡。人当たりのよさそうな笑顔を浮かべる彼と握手を交わし、「とすると、スピードワゴン財団の船、というわけか…」呟きながら、ジョセフは軽く首を回す。良く整備の行き届いた備品と、たびたびそれらにSPW財団のロゴが入っているのが確認された。

「上海沖でテニールの死体が引き上げられたという情報が入りましてね。これは遅かれ早かれ敵に遭遇、遭難してる可能性が高いと判断し、東シナ海に散らばった船舶の航海状況をひととおり洗いざらったんです。それで目星をつけて、ここまでやってきました」

ラッポラが口早に状況を説明する。少し遅くなりましたが、予想通りでしたね。彼は不敵に笑った。敵に遭遇した場合を考慮して、おおっぴらにロゴを掲げることはしなかったのだと言う。

「そりゃ、ご苦労だった。しかしまた、どうしてお前が…」
「それはもちろん、お嬢からナイフとコートの受注があったことですし……」

ラッポラはちらりと花京院の腕の中の二階堂に視線を向けた。その表情を見て、ジョセフは小さく息をつく。

「…お前は次に、『彼女が心配だったというのもある』という」
「彼女が心配だったというのもあります…はっ!」

彼とジョセフはずいぶん長い付き合いだから、ジョセフは彼の性格と行動特性と、そのある種の『厄介さ』を良く知っている。その結果。痛いほど察せられた。「やだもー、やめてくださいよォ、ジョースターさん!」にこにこ笑う彼の顔の下、その心情が決しておだやかでないということを。



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