純然たる誠実に告ぐ | ナノ

オランウータン、フォーエバーはニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて、二階堂のセーラー服に手を伸ばした。二階堂が少女をスカーフと交換してしまっても、まるで動揺する様子も見せない。余裕の勝ち誇った笑みだった。その一トンの握力は、びりびりといとも簡単に彼女の胸元を裂く。鼻息は荒く、表情は嬉々としていて、二階堂が恐怖に表情を崩すのは今かいまかと待ちわびているかのようだった。対照的に二階堂はぼたぼたと流れ落ちる血液にもそんなフォーエバーの行動にも無関心だと言わんばかりに至って冷静で、無表情のまま、ただ静かに、氷よりも冷ややかな視線を向けていた。

「この汚らしい下種が」

腹の底から喉を伝って声帯を震わせたかのような、ずしりと冷たく低い声が出た。そこに含まれていたのは、もはや怒りではない。死ねばいい。ずいぶんと久方ぶりにそう思ったと分析までする程度には、二階堂自身も余裕だった。そのとき、興奮したような笑い声を上げていたフォーエバーの背後に浮かんだユノーが、二階堂にちらりと合図を送ってから。(おそらく、二階堂とフォーエバーが睨み合っている間に拾ってきたのだろう)壊れた錠前でその頭を勢いよく殴りつける。耳をつんざくような悲鳴が上がって、ゲラゲラと笑ったユノーはパンチを見舞われた。その隙に狐が再び触れていたスカーフと体を入れ替えるも、まもなく吹き飛ばされて壁に叩き付けられたユノーのダメージが体に反映されて、ずしりと体が重くなる。二階堂は何をやっているんだという目でユノーを一瞥すると、ピンチだったのはおまえだろうという視線を向けてきた。狐に向けて、小さく舌を打つ。自分のスタンドの脆さには、まったく嫌になると思った。額から血が流れ、口の中で血の味がした。おまけに、ごくりと呑み込んだ血の味と、周囲の血の匂いに喉が灼けるような熱さをはらんで、彼女は言いようのない危機感を感じていた。
危機感の矛先は、無論、目の前で下卑た笑い声を会える猿に対してなどではない。
二階堂は、刃に宝石の埋め込まれたアメリカ・ボウイを右手に構える。左手には、腹のえぐれたマチェットナイフ。これにも柄にルビーが埋め込まれていた。二三度グリップを確かめるように握りなおして、ひとたび深く息を吸う。
ふっ、と短く息をつく間に、ダガーをフォーエバーに向けて投擲していた。同時に二階堂は天井のパイプに向かって飛び上がり、爪をパイプに突き立てる、それは当然のようにかわされたが、それを自身と入れ替えてマチェットを床に突き立て、突き出した鉄骨とマチェットを支えに体を半回転させる勢いで強烈な蹴りをフォーエバーに叩き込む。さすがに二階堂の体重とその手首のひねりに耐えきれず、役目を終えてへし折れてしまったマチェットとアメリカ・ボウイを入れ替えつつ、二階堂は猿を追って壁を蹴った。床にめり込むようにして姿を隠そうとしたその腕に、迷いなく刃渡り16センチのそれを突き刺すとそのまま、グリップを滑らせて、抉るように半時計回りに回転させる。

「ホッギャアアアア!!」

触れるのも億劫だと思いつつ、二階堂はその腕を掴んで床の上に引きずりだした。頭を蹴り上げれば、100キロほどはあろうかという巨体が宙を舞う。その背に容赦なくダガーナイフが刺さる。ダガーをマチェットと入れ替えれば、その傷口は更に抉られるようにして広がった。痛みに耐えるような顔をしつつ、フォーエバーは怒りの咆哮を上げる。「捕えようってか?…そんなん無駄無駄ァァッ!!」そう叫んだ二階堂は口元に笑みすら浮かべていた。その間にも二階堂を捕えようと伸ばされた手摺だったものをかわし、それを足場にして宙がえった二階堂はフォーエバーの腹に強烈な一撃を叩き込む。飛んできた船のパーツをユノーは叩き落とし、壁に掬われればフォーエバーが自身から抜いて放り投げようとしたマチェットと入れ替えてしまって、ふたたび近づいた間合い、腕をぎちりと抑えて避ける間も与えずに、今度は二階堂のアメリカ・ボウイがオランウータンの眉間に刺さった。

「ギャァァァアアア」

血まみれになって床に倒れ臥したフォーエバーが、ヒイイイ、とうわずった声を上げながら後ずさる。
ようやく彼女を捕えることが不可能であったのだという事実を察したのだろう、腹を見せて、降参のポーズをとった。

「恐怖した動物は降参の証に腹を見せて助けを乞うって、聞いたことはあるけれど。……今更動物らしくしとけば助かるとでも思っているのか…呆れた、そんなん、無駄だよ」

返り血を浴びてところどころ赤く染まった二階堂は鼻で笑う。彼女は、絶対零度の視線をくれてやっただけだった。

「最初に言ったろう、私はテメエのせいで、とても、気分を害したと」

二階堂の腕が、両方とも自身のそれに変わる。スタンドが目に見えない以上、本体を此方で殴っておくに越したことはない。ベルヴォルペ・ユノーの拳は、彼女自身のそれよりも若干柔らかいからだ。
二階堂要には、船員9名の命を奪うという不誠実を犯した猿に与える容赦など、微塵も持ち合わせてはいなかった。

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァァアアアア!!!!!」

強烈なラッシュが叩き込まれ意識を失ったのか、ミチミチと音を起てながら頭を掴まれ、完全に白目を剥き、力なく二階堂の手からぶら下がった100キロの巨体は、扉の向こうのスプラッタの中に放り込まれて、どちゃり、と生々しい音をたてた。
二階堂は右肩の裂けてしまったコートのボタンを閉じつつ(完全に破かれてしまったセーラーでいるよりはまだましだと思ってのことだ)、がたがたと、船が音を起てて崩壊しようとしているのがわかって、結局この船自体がスタンドであったのか、と、今更ながらに気づいたのか、小さくため息をつく。
(花京院やジョセフたちは無事だろうか、これではまったく、自分の対応は迂闊で、離れさせたのは無駄だったかもしれない、全然護れてないじゃあないか)
自分を責めると同時に、じりじりと灼けるような喉の痛みが意識の中から薄れていくを感じて、二階堂は眉間に皺を寄せた。
これが風邪だったら、幾分もましなのにと思いながら、彼女は息をつく。
と、膝を折っていた。めまいがしたのだ。血を流しすぎたかもしれない。
ユノーが体を支えようと二階堂の肩を掴むも、そのビジョンはすでに薄れていた。

「────、要ッ!!」

彼女のスタンドが姿を消し、重力に従って崩れたところを、ジョセフが間一髪のところで抱きとめる。
倒れ臥したのが床の上ではなく誰かの腕の中であったと気づくよりも一歩手前、二階堂は既にその意識を手放していた。凄惨な船内から目を逸らしがちになりながら、花京院が口を開く。

「ジョースターさん、要は…」
「無事…とは言えんが、驚いた…既に出血は止まっておる。一時的な貧血じゃろう」
「急げ、この船はもう沈むぞ」

承太郎の声に、二人が顔を上げた。ジョセフはそっと二階堂を抱き上げる。転がってきた血まみれのナイフを蹴飛ばして、承太郎は静かに言った。

「脱出するぜ…乗ってきたボートでな」



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