純然たる誠実に告ぐ | ナノ

(もし相手のスタンド使いが透明人間ないしそれに準ずる不可視な存在であるならば、獲物が一人になった所を狙う筈だ)

相手にとって、今の自分ほど好適な獲物は他にいないだろう、ならば、自分が囮になれば、花京院が傷つくことは、まずない。主人公ジョジョである承太郎だって一緒だ。敵が迂闊に攻撃するとは思えない。それに、肉の芽を埋め込まれた状態のポルナレフが言ったように、自分を『生きたまま捕獲』することが目的であるならば、自分が殺されることも、まずない。

(しかしああ言ったものの、本当にスタンド使いが鍵を壊したのだろうか?何のメリットがある?サルはどこへ消えた?ただ逃げただけか?それとも殺されたか?)

そもそも二階堂は、端からその仮説を信用していなかった。敵の能力も、敵の策も、まだ彼女の目には見えてはいない。
しかし彼女は今、一人だった。誰も自分をたしなめたり、護ったりしようとしない。これは好都合というべきだ。自分は今、無駄な制約を持つ必要がない。自由だ。二階堂は歩きながら考える。首のネジ曲がった錠前は、彼女の手の中でガチャガチャと音を起てた。これといって何の変哲もない壊れた錠前であったが、さきほどユノーで確認した通り、この錠前は"交換"できない。
この船にあったものは、交換することができない、らしい。
それだけが、敵の情報として、彼女が唯一掴んでいることだった。
薄暗い船室の暗い闇の向こうをじっと見つめる。何かがいるような気がしたが、それが何かはわからない。二階堂は息を殺し、足音を消して歩いた。

「左腕を交換しろ。ストックは一本、アメリカ・ボウイを取り除け」

この船に乗ってから、二階堂はいくつか気づいたことがある。
一つ目に、ストックはまったく無制限に更新され続けるのではなくなり、彼女の意志によって、更新の取捨選択が効くようになっていたということ。
二つ目に、ストックのうちの三つは、何度でも交換が効くようになっていたこと、その場合、ストックされたもののどこかに、紅い宝石の粒が埋め込まれること(これは解除することで自然に消える)。
三つ目に、ユノーの腕と自分の腕を交換することで、自分をストックに換算することなく交換が効くようになり、また、消費したストックを補充することができること。
ただしその間、二階堂の腕を持つユノーは影に溶けることができなくなり、まったく無防備な状態になること(無防備といえど、彼は鋭い歯を持っていたし、鱗のような"ひだ"はそれなりの硬度をもっていることを、二階堂は知らない)。
ユノーが目で頷く。二階堂が一度瞬きをする間に、彼女の左腕はまったく人間離れした、獣のような毛にびっしり覆われた左腕に生え変わっていた。反対に、ユノーの左腕はひどくすらりとした、細い女性的な腕。あれが左半身にふだんぶら下がっているものかと思うと、二階堂は少々いい心地がしなかった。完全に"左腕"を交換したのだ。多少のアンバランスな感覚に慣れようと、二階堂は掌を数度握ったり開いたりして、感覚を確かめる。ふう、とひと息ついて狐を見やると、狐はどこか誇らしげににやりと笑った。二階堂には、その意味がよくわかる。彼女は確信していた。
ベルヴォルペ・ユノーは、成長している。
息を殺したまま、ぎい、と音を起てて船室の戸を開く、ユノーがぎらりと目を光らせた。
ポケットに突っ込んだ左手には、既にダガーが握られていた。ここが件の船室であるはずだ。しかし人気のなさに、二階堂は眉間に皺を寄せる。どういうことだ、と思っていると、向かいの階段の方から人間の話し声が聞こえた。移動するなと言っただろうに、二階堂はちいさくため息をつく。階段を登ってくる軽い足音が聞こえて、それが家出少女だというのはすぐにわかった。

「あっ…要!ちょうどよかったわ、探してたの…わたし、その、シャワーをあびたくって、ええと…見張りを……してほしくって」
「……」

「そんなもの必要なのか」怪訝そうな顔で見下ろされて、少女は「なによ!わたしだってデリカシーのひとつやふたつ、あるんだから!」そう言うなり、強引に二階堂の右袖を引いた。二階堂は少々目を見開いて、しかし振り払うのも無駄だと判断して、大人しく彼女の後ろにつく。通りがかった船室には、ちょうど乗船したまま9人の船員たちが籠っていて、ああでもないこうでもないとこの船の異変を論議していた。左手が見られてはいけないと、少々あせりを抱いていたためか、少女が前を向いたままぶつぶつと口にしていた何やら謝罪のような言葉は、二階堂の耳にはまったく入っていなかった。

「ここで待っててちょうだい」

そう言われて、シャワールームの前に立たされる。カーテンで仕切るだけとは、確かにこれで見張りなしというのはこころもとないかもしれなかった。
今まで張りつめていた彼女の緊張が若干切れそうになったが、二階堂はふと気づく。
議論していた船員達の声が、聞こえない。
眉をひそめて、ふと隣の部屋を覗き込んだ、次の瞬間。二階堂は思わず、その強烈な鉄の臭いに噎せ返る。彼女の視界には、まさしく、スプラッタの代名詞とも言えそうな地獄絵図と形容するに相応しい光景が広がっていた。
二階堂は咄嗟に目を逸らす。しかしそれは意図的なものであった。少女が危ない、そう思って足を踏み出そうとして、二階堂はふたたび目を剥いた。
今まで頑丈な板張りだった筈の床が不自然に歪み、彼女の足をぎっちりと挟み込んでいた。



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