純然たる誠実に告ぐ | ナノ

花京院典明には、少し変わったものが見える。
物心ついた時には、自分の周りで浮かぶ、キラキラ光る緑色のそれを認識していたし、それをいくら指摘したところで両親は首を傾げるばかりだったから、いつからかそれの話をすることはやめた。まるで宝石みたいなそれは、自分の身体に溶け込むようにして時々姿を消すし、きっとそれは自分の一部なのだろうとどこか自覚していたからなのかもしれない。彼は別段隠して生きてきたわけではなかったけれど、他のだれもそれを見ることはできないらしく、彼の同級生は誰もそれを指摘したことはなかったし、誰もこの花京院の不思議なそれに似たようなものを持っていなかった。結果花京院は、いつからか、「自分は、周りの人間とは違う」と思うようになっていた。「それ」がもたらす事実は幼い彼の心を傷つけもしたし、同時に彼の心を孤高に、気高いものにした。なにか困ったことがあれば、きらきら光る緑色の「それ」が助けてくれる。だから別段、一人でも困ることがなかったし、彼は自分の「それ」を理解しなくとも、両親が彼を愛するのと同じように、両親を愛していた。
だから、花京院には、彼が友達と認めるような人間がいなかった。
花京院の定義によれば、友達というものは、いつでも心を分かち合い、苦楽を共にし、そして互いを理解し合うものであったから、そんな絵本に描かれた「友達」のように、自分が誰かに心を開くことはないのだろう、そうして一人で生きていくのだろう、とぼんやり思っていた。
だから。
この街に引っ越してきてしばらく経って、初めて駅前の商店街に、母からお遣いを頼まれた時に見た、この黒い狐に、えも言われぬ感情を抱いたのはいうまでもない。
狐が漂う先を追いかけて、路地裏。地に伏せる男三人と、まるで最初からそこにあったかのように点滅している居酒屋の看板がその上に佇んでいた。涼しい顔をして千円札数枚を数えている、自分と同じくらいの歳と思われる子どもの腕に、狐は目を細めて絡みつく。髪が長いところをみると、どうやら女の子であるようだ。そしてどうやらアレは、彼女のものらしい。となると、この状況は彼女によるものなのか。
そう思うと、花京院はぞっとした。
自分が持っているそれと同じようなものを持っている人間に出会ったのは、これが初めてのことだったし、なにより、あの狐の紅い紅い宝石のような目が恐ろしくて、すくんでしまったとも言えるだろう。
けれど、声をかけてみようか少し悩んで、手の中でぐしゃぐしゃになったメモを見つめているうちに、狐と彼女はいなくなっていた。飲み屋の看板だって、自分のすぐ真上に当然のように掲げられていて、ただそこにはふざけた格好で寝転んでいる男性三人が倒れているだけだった。きっと道をゆく人たちがこれをみても、酔いどれが寝転んでいるだけだと思うだろう。
気のせいだったのだろうか、夢でも見たのかと思うほどだった。反面、自分は確かにこの目でみたのだ、という興奮が彼の心臓を高揚させていた。

(いや、きっと、また会える。きっと、あの子とは友達になれるはずだ)

花京院のなかで静かに確信めいた思いが生まれて、そこからようやく、自分がなかなかに治安の悪そうな場所にいることに気づく。
帰りを待つ母を思い出して、手の中でぐしゃぐしゃになってしまっていたメモを広げて、その場所を後にした。



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